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日韓戦直前特別企画(後編) 永遠のライバル、日本対韓国激闘の歴史

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 7月28日に控えたザックジャパン4度目の日韓戦。1勝2分け(=PK勝ちは引き分け扱い)と韓国に対して無敗を誇るザッケローニ監督に対するのは、ホン・ミョンボ新監督率いる新星・韓国だ。選手として長年に渡って日本の前に立ちはだかってきた“アジアの壁”が、今度は監督として日本と対峙する。

 2年ぶりの日韓戦を前に、韓国サッカー事情に精通し、ホン・ミョンボ監督と親交のある慎武宏氏にインタビューを敢行。後編は日本対韓国の歴史を紐解いていく。


 東アジア杯を舞台に、2年ぶりに激突する日本と韓国。キーワードとなるのは、韓国代表の新監督である“ホン・ミョンボ”、そして決戦の舞台となる“蚕室(チャムシル)”だ。

「ミョンボが監督になって初めての日韓戦が蚕室というのが運命的で面白い。90年代後半から00年代前半にかけて、日韓戦のスタジアムといえば、日本は国立(競技場)、韓国は蚕室(総合競技場)。そして、韓国でその年代を象徴する選手が、ホン・ミョンボなんです。蚕室で代表戦が行われるのは13年ぶりですし、当時を知っているファンからすれば、感慨深いものがあります」

 常に韓国サッカーに後れを取っていた日本だったが、93年のJリーグ開幕を機に“ライバル関係”を築くようになる。ターニングポイントとなったのは、同年に行われたアメリカW杯アジア最終予選。日本はW杯予選で初めて韓国に勝利した歴史的一戦だ。

「日本がカズさんの得点で勝利した試合です。次のイラク戦で日本が引き分けたため、逆転でW杯出場をはたした韓国では“ドーハの奇跡”と呼ばれているのですが、日本に負けたことはミョンボに『今度日本に負けたらスパイクを脱ぐ』と決意させたという有名な話があります。本人にインタビューしたときに本当に言ったのか聞いてみたところ、『言ったもなにも、うちは負けてないだろ』と言っていました(笑)。実際、93年以降にミョンボが出場した試合では一度も日本に負けていません」

“ドーハの悲劇”と“ドーハの奇跡”。明暗を分けた両国が再び真剣勝負の場で顔を合わせるのは、98年フランスW杯アジア最終予選だった。グループBで同組に入った日本と韓国は、第4節で激突する。

「1戦目は日本の国立(競技場)で、ミョンボがかわされて山口(素弘)さんのループシュートで日本が先制しました。加茂(周)監督の采配ミスもあって韓国が逆転勝利をおさめましたが、ミョンボが『(前に)上がっていいですか』とアツくなっていたのを落ち着かせてしっかり守らせたのが2-1で勝てた勝因だとチャ・ブングン監督が会見で言っています。2戦目は韓国の蚕室で戦い、今度は日本が2-0で勝利するのですが、この試合ではミョンボは出場停止で出ていないんです。

 次に蚕室で日韓戦を戦うのは、98年の日韓W杯共催記念試合で、韓国が2-1で勝利しました。2年後、久しぶりの日韓戦も蚕室で戦って、1-0で韓国が勝つのですが、どちらの試合もミョンボは出場しています」

 04年に現役を引退し、韓国代表のコーチ、U-23韓国代表監督となってからも、ホン・ミョンボの“不敗神話”は継続する。コーチを務めていた07年アジア杯3位決定戦ではオシムジャパンにPK戦の末に勝利。さらに、監督として率いた昨年のロンドン五輪3位決定戦では、関塚ジャパンを2-0で下して銅メダルを獲得している。

「ロンドン五輪では、メダルを取れるか取れないかが重要でした。メダルを獲得できれば兵役が免除されるので、相手がたとえブラジルでも、アルゼンチンでも、すごく気合いが入っていたと選手は語っていました。さらに、日本戦だったということでより気持ちが入った。前日のミーティングで日本のVTRを見ているときに、ルーズボールになった場面でミョンボ監督が映像を止めて『明日の試合でこういうシチュエーションがあったら、恐れずに潰せ』と語ったそうです。決してダーティなプレーをしろという意味ではなくて、激しくアタックしろということだったのですが、それが選手のスイッチを入れるきっかけにはなったのだと思います」

 韓国ではホン・ミョンボと並び称されるスターであるパク・チソン(QPR)は、日韓戦がキャリアのターニングポイントになったと言っても過言ではない。

「A代表ではなくひとつ下の世代ですが、99年にU-23代表が国立とチャムシルで対戦して、日本が2戦とも圧勝するんです。当時ペルージャでプレーしていた中田(英寿)から誰もボールをとれなくて、親善試合でしたが韓国にとっては衝撃的な敗戦でした。このチームにパク・チソンもいて、『あの試合を通じて、日本と韓国の違いがなんなのか知りたくなった』と思い、翌年にJリーグの京都に入団したんです」

 それから11年後の10年、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)の一員となったパク・チソンに、今度は日本が為す術もなく敗れることになった。南アフリカW杯直前に埼玉で行われた親善試合で0-2の完敗を喫した日本は、本番に向けて戦術の変更を余儀なくされるほどの衝撃を受けた。

「パク・チソンのゴールなどで韓国が勝って、『これで日本との差はハッキリした』『格の違いを見せつけた』と韓国では言われた試合でしたが、その1年後に札幌で行われた親善試合では、香川(真司)や本田(圭佑)の活躍で日本が3-0で圧勝。わずか1年で立場が逆転してしまい、韓国では“札幌の衝撃”とも言われています」

 東アジア杯を舞台にした日韓戦の対戦成績は1勝2分け1敗で五分となっている。しかし、優勝回数では韓国の2回に対して、日本はゼロ。現在、日本は勝てば自力で大会初優勝を決めることができるが、ホン・ミョンボ監督率いる韓国がホームで易々と敗北を許すはずがない。ともにベストメンバーではないが、日韓戦の歴史に残る死闘になることは間違いないだろう。

[写真]11年の親善試合では、香川の2Gなどで37年ぶりに日韓戦で3得点を奪取。


◆プロフィール◆
慎武宏(シン・ムガン)
1971年東京都台東区生まれ。スポーツライター。在日コリアン3世として生まれ、東京朝鮮第五初中級学校、東京朝鮮中高級学校を経て、和光大学人文学部文学科卒。2003年、『ヒディンク・コリアの真実』でミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。最新刊に『増補版 祖国と母国とフットボール』、監訳書に『信じるチカラ』(朴智星著)などがある。

韓国サッカー協会ホームページ日本語版 
http://www.kfa.or.kr/

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