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笑顔で繋がったサッカーの絆(中央大学サッカー部と児童たちの交流)

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 「皆、笑顔だったな」
 「はい」
 「すごく喜んでくれたな」
 「そうっすね」
 20時を少し回ったところだった。中央大学サッカー部の白須真介監督がハンドルを握る白いワンボックスカーには、間もなくJリーガーとなる皆川佑介(サンフレッチェ広島)とシュミット・ダニエル(ベガルタ仙台)の姿があった。車は浦和から八王子へと向かっていた。

 この日、国立競技場では第92回全国高校サッカー選手権大会の決勝が行われた。準優勝した星稜高校(石川)の主将で背番号10を背負ったMF寺村介は、4月から中央大学のユニフォームを着る。白須監督が寺村の試合を見に行きたくない筈はなかった。

 しかし、彼はプロ入りが決まった2名の選手と3名の3年生を引率し、さいたま市内に住む障害児童とのサッカーイベントに参加したのだ。

「大震災後の東北でも、ウチのチームはサッカー教室を催しました。チームとしての社会貢献は常々頭にあります。普段は勝つための練習に明け暮れている選手たちですが、人として、大学生として、そういう経験をさせたいと考えています。特にプロはサポーターあってのものですから、このようなイベントには積極的に取り組むべきです」

 会場には、自閉症、広汎性発達障害、筋ジストロフィー、レット症候群など様々なハンディを抱える約60名の児童が待ち受けていた。サッカーのルールを説明しても理解できない少年、やりたくても体が動かない少女らが集った。「障害者手帳」を持ち、哀しいかな“社会的弱者”とされる子供たちである。無論、彼らがピッチに立ち、90分間試合をすることなど生涯を通して無い。

 そんな少年少女の何名かは、足が使えないため手でゴムのボールを打つ<サッカー>を続けて来た。「一度でいいから、プロを相手に自分たちのサッカーをやってみたい」。そんなリクエストに応じたのが、白須監督であり、中央大学サッカー部であった。
「どうなるんだろう…。自分は子供たちを楽しませてやれるのだろうか。果たして思い描いたことが伝わるだろうか」。そう気に病んでいた皆川佑介だったが、持ち前の技術で、あっという間に児童のハートを掴む。

 現在Jリーグ2連覇中の広島は、身長185cmで体幹が強く、ポストプレーを得意とする皆川を「今までの広島にないタイプ」として獲得した。大学1年生の時から、皆川はDFに身体を思い切りぶつけた後、しっかりボールを収めることができた。いわゆるタメを作れる選手である。

 白須監督は語る。

「周囲のアドバイスを素直に聞き、努力できる選手ですね。謙虚な男ですし、我慢が身についています。入学当初からポテンシャルは光っていましたが、先輩FWにもいい選手が多かったので、最終学年になるまでスタメンには定着できませんでした。でも、チーム内で自分は何をすべきかを見付け、一歩一歩コツコツやってきました。そういう成長を見るのは、指導者として楽しい作業でしたよ。プロになってもチームに順応し、頑張れるヤツです」

 皆川はボールを使って子供と会話ができた。児童たちはゲームをやり、PKをやりながら、これ以上ないというほどの笑顔を見せる。
「病状に関係なく、自分の存在が1つでも2つでも子供たちの励みになれば嬉しいなと思いました。僕も物凄く楽しかったですし、『もっとやりたい』『もっとやりたい』と言ってもらえて、かけがえの無い時間になりましたよ」

 196cmのGK、ダニエルはひたすらシュートを受け続けた。子供たちのシュートを止めればガッツポーズをし、ゴールを許せばシュートした児童とハイタッチを交わした。また、時には悔しがる素振りも見せた。
「数え切れないくらいの笑顔を見ることができ、こちらの方が嬉しかったです。皆さん、楽しんで下さったようなので、こういう機会をもっともっと作って、サッカーをやらせてあげたいなと感じました。」

 中学時代、ダニエルはサッカーを止めていた時期がある。

「体育の時間にサッカー部じゃない子に1対1でボールを奪われたことがあって『こんな調子じゃ、もう無理だろう。自分にサッカーは向いていないんだ』と思って、バレー部に移ったんです。ですから、中1の12月から中2の5月までは、サッカーを離れていました」

 それでも、やっぱり好きだという自分の気持ちに気付き、サッカー部に戻っている。高校に入学するまではBチームのボランチだった。その後、GKとして階段を上って来たが、中央大でレギュラーに定着したのは、皆川同様4年生になってからである。

 白須監督は、「努力というよりは、才能でプロ選手となった感があります。今後、本人が己の潜在能力に気付き、欲が出てくれば、飛躍的に伸びる選手だと思います」とダニエルについて話す。

 辛く、悔しい思いを糧としたからこそ、彼らはほんの数分で障害児の輪に入っていけたのではなかったか。人間としての度量の大きさと純粋さが、子供たちに伝わったに違いない。

「少しでも3連覇に貢献できれば」(皆川)
「一年目から必ずゲームに出て、最終的には代表としてワールドカップに出場したいです」(ダニエル)

 二人は思い出の詰まった八王子のグラウンドと寮を離れ、新天地へ向かった。彼らとの時間を共有した児童たちは、おそらく一生、2014年1月13日を忘れないだろう。サッカーの素晴らしさを、選手たちの微笑みを、いつまでも覚えていることであろう。

(取材・文 林壮一)

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