beacon

J2から世界を目指すU-21代表・中島翔哉「すべての人を魅了したい」

このエントリーをはてなブックマークに追加

 1月にカタールで開催されたAFC U-22選手権にU-21日本代表の10番を背負って出場し、3ゴールを記録したMF中島翔哉(カターレ富山)。大会後、ジュニア時代から育った東京ヴェルディを離れ、FC東京に完全移籍したうえで富山に期限付き移籍することが発表された。「世界のトップになる」「メッシを超えたい」と公言する19歳は、J2という“現在地”を見つめながらも、子供のころからの夢を追い続けている。「すべての人を魅了したい」。ビッグマウスという言葉では片づけられない確固たる信念と自信。純粋無垢なサッカー少年がそのまま大きくなったような中島翔哉の強気な言葉の裏側にある素顔に迫った。

―小学生時代から過ごしたクラブを離れて、新しい街、新しいクラブに来ましたが、生活にはもう慣れましたか?
「慣れましたよ。自分には合っているなと感じています。ヨーロッパのクラブに行けば、サッカーをやるだけですからね。その準備としては最適だと思います。今まではずっと実家で生活していたので、初めての一人暮らしになって、家のことをやるので精一杯という感じです(笑)。料理も自分でやってますよ。大変かなと思っていましたけど、意外とそうでもないというか、楽しくやっています」

―あらためて今回の移籍を決めた一番の理由を教えてください。
「ヨーロッパに一番近いチーム、ヨーロッパに一番早く行けるチームがどこかを考えたときに、ここが一番だと思いました。活躍すれば、すぐにでもヨーロッパに行けると思っていますし、そのためにもまず試合に出たかったんです」

―安間貴義監督はどんな監督ですか?
「自由にやらせてくれますし、『どんどん仕掛けろ』と言われています。ヨーロッパの選手はみんな、まず仕掛けますよね。それがないとプレーの質も上がっていかないですし、見ている人も面白くないと思っています」

―FWやトップ下で出場することが多いですが、ポジションへのこだわりはありますか?
「代表では左サイドをやっていますし、ポジションにこだわりはないです。どこで出ても、ゴールに向かっていくだけだと思っています。なかなか結果が出ていませんが、自分が点を取ってチームも勝てば、いろんな状況が変わってくると思いますし、自分次第で変えられると思っています。自分がチームを勝たせるというぐらいの気持ちを持っていないといけないですし、試合を決められる選手というのがベストなプレイヤーだと思っています」

―普段から「世界トップのプレイヤーになりたい」と言っていますが、いつごろからそういうふうに考えるようになったんですか?
「小学生のときからですね。小さいころから世界のトッププレイヤーを見てきて、そういう舞台に行くためには、自分が世界No.1にならないといけないと思っていました。そういう選手と一緒にプレーしたいというのは子供のころからずっと思っています。メッシとも一緒にやりたいですし、超えたいとも思っています。いろんなところで言っているので、どこかで聞いたことがあるかもしれないですけど」

―あくまで世界のトップが目標としてある。
「日本代表とかも、もちろん大事だと思いますけど、日本代表に入るためにプレーしているわけではありません。世界のトッププレイヤーになれば、自然と選ばれるものだと思います。自分がすごく恵まれているなと思うのは、周囲にそういう目標を一緒になって応援してくれる方が多いということですね。前のチームでもこのチームでもそうですし、代表のスタッフやチームメイトもそうです。それはすごく恵まれていることだなと思っています。今はJ2にいますが、香川真司選手のおかげで、J2からでもヨーロッパに行くチャンスはあると思っています」

―高校2年生だった2011年にはメキシコで開催されたU-17W杯に出場しました。準々決勝でブラジルに2-3で敗れましたが、世界の舞台でプレーした経験は自分にどんな影響を与えましたか?
「もっと早く世界に、ヨーロッパに行きたいと思いましたね。ああいう観客の前で、ああいう激しさの中で毎日プレーしているヨーロッパや南米の選手と、それよりも甘い環境でやっている日本の選手では、年代が下のころは力が拮抗していても、これから先、どんどん離されていくんじゃないかと。そういう危機感をすごく感じました」

―普段から激しさの中でもまれているのを対戦相手から感じたということですか?
「顔つきが違いますからね。ブラジルの選手とかは生活もかかっているわけですから、命がけでやっています。あの大会は本当にいい経験になりました。もっと試合に出たかったですけどね。吉武さん(吉武博文監督)には、どうして試合に出してくれないのか、聞きに行きましたから」

―グループリーグ初戦のジャマイカ戦に先発したあとは、準々決勝のブラジル戦に途中出場するまで、3試合連続で出番がなかったですね。
「『協調性がない』と言われました。『お前はうまいんだけど協調性がない』と」

―そう言われてショックではなかった?
「ショックではなかったです。結局、ブラジル戦には出られましたし、点も取りました。でも、自分でやろうとしすぎるのも良くないですし、ある程度、人に任せることも大事なんだなということを学びました」

―中島選手はメンバーに入りませんでしたが、2012年のAFC U-19選手権でU-19日本代表は準々決勝でイラクに負けてU-20W杯出場を逃しました。当時はどのような思いで見ていましたか?
「勝てばU-20W杯に出場できたわけですから、また本大会で“いいとこ取り”してやろうと思っていました(笑)」

―今年1月のAFC U-22選手権の準々決勝でイラクに負けたあと、「サッカーがもっとうまくなりたい」と話していました。
「小学生のころから、だれよりも早くグラウンドに来て、だれよりも遅く帰っていました。特に何か考えていたわけではなく、自然にそうなっていました。前のチームでは、昔はトップチームの選手も育成年代の選手と一緒にサッカーをやってくれたりしていたんです。そういう環境もすごくよかったんだと思います。ユースの選手も小学生と一緒にやったり、そういう環境がありました。だからグラウンドに1日中いれば、絶対にだれかとサッカーができたんですよね」

―自分の試合を映像で見直すことはありますか?
「見ますね。見ている人を楽しませるようなプレーができているかどうかの確認をします。中でやっているのと、外から見るのとでは違いますから」

―「見ている人を楽しませたい」という思いが強いんですね。
「そのためにサッカーはあると思っています」

―子供のころに自分が海外のスター選手を見て楽しんでいたように、今の子供たちに自分を見て楽しんでほしいと。
「僕がうまくなれば、自然とそうなると思っていますし、勝つことももちろん大事ですが、それ以上に自分が楽しんだり、楽しませたりするというのがないと、見ている人も全然おもしろくないと思います。それは代表でもクラブでも一緒だと思っています。代表だから『国のために』『勝つために』という考え方もあると思いますが、僕はまったくそうは思わないです」

―早くA代表にも入りたいと思っていますか?
「もちろん、入れるなら入りたいですよ。入ったら楽しいと思いますし、やってみたいと思います。今年はW杯があるので、J2だから難しいとは思いますけど、最後まであきらめることはないです」

―アディダスの「アディゼロ F50」を履いていますが、スパイクへのこだわりはありますか?
「派手な色のスパイクが好きですね。子供たちにも見やすいですし、目立ちますから。僕の夢は『すべての人を魅了する』ことなので。例えば、緑のスパイクを履いていたら、見づらいじゃないですか? そういうこだわりはありますね。スタンドやテレビで見ていても、すぐに自分だと分かってもらえるスパイクを履きたいです」

―例えばメッシなら自分専用の「メッシモデル」がありますね。
「性格的に他の選手と一緒なのは嫌なので。そういう待遇を受けられるようになりたいですね。それぐらいの選手にならないと、『翔哉モデル』はつくってもらえないと思うので(笑)」

★関連ニュースはアディダス マガジンでチェック

(取材・文 西山紘平)

TOP