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[MVP of battle collection]オランダの次世代担うワイナルドゥムがブラジルにトドメ

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 世界の頂点を目指し、「白か黒か」勝負を決する2014 FIFAワールドカップ ブラジルに向け、アディダスが開発した「バトルコレクション」は、シンプルかつ斬新な白黒のバトルグラフィックを採用。「プレデター インスティンクト」「アディゼロ f50」「ナイトロチャージ1.0」「パティーク11 コア」の4モデルの中から選手はそれぞれのプレースタイルに合わせ、最も自分に適したスパイクを着用する。そんな“バトルプレイヤー”の中から、その日最も活躍した選手を「MVP of battle collection」として選出する。

 ブラジルの息の根を止めた。2-0と勝利を確実なものにしていた後半アディショナルタイム、オランダはDFダリル・ヤンマートが右サイドからマイナスに折り返したボールをMFジョルジニオ・ワイナルドゥム(PSV)が右足で流し込み、ダメを押した。開催国を3-0で粉砕。同国史上初となる“無敗”(準決勝アルゼンチン戦のPK負けは公式記録上は引き分け扱い)でブラジルW杯を終えた。

「僕たちの素晴らしいところは反発力だ。僕らは(準決勝で)一度負けた。でも、そこから立ち直り、3位になったんだ。僕らはいい形で大会を終えたかった」。英『スカイスポーツ』が23歳の喜びの声を伝えた。

 ワイナルドゥムはフェイエノールトに所属していた07年4月8日のフローニンゲン戦でトップチームデビュー。16歳148日のクラブ最年少出場記録を更新し、各年代別のオランダ代表にも選出されるなど、将来を嘱望されてきた。

 フェイエノールト時代には右サイドやトップ下でのプレーが多く、攻撃的なドリブラーとして鳴らしたが、視野の狭さを指摘されることも多く、パスより個人技に走る傾向のあるプレースタイルと判断の悪さは時に批判も浴びた。

 11年1月からの半年間はFW宮市亮ともチームメイトだったワイナルドゥムは11年夏、生まれ故郷であるロッテルダムを離れ、PSVに移籍した。当初はポジション争いに苦しんだが、12-13シーズンにはエールディビジで14ゴールを記録。MFマルク・ファン・ボメルが13年夏に引退し、同時期にMFケビン・ストロートマン(ローマ)、FWドリース・メルテンス(ナポリ)らがチームを離れると、昨季は背中の故障で離脱する時期もあったが、背番号10のキャプテンとしてチームを牽引した。

 ブラジルで見せたワイナルドゥムのプレーは、エゴイスティックなドリブラーから脱却し、中盤のオールラウンドプレイヤーとして成熟した姿だった。序盤の2試合は途中出場だったが、グループリーグ最終戦のチリ戦からは5試合連続でフル出場。MFナイジェル・デ・ヨングがいるときには攻撃的なインサイドハーフの位置でMFヴェスレイ・スナイデルと“ダブル司令塔”を務め、デ・ヨングが負傷で欠場したときには、スナイデルを前に押し出し、中盤の広大なスペースを一人で埋めた。

 中盤のリンクマンとしてパスをさばきながら、守備では最終ラインを助けるなど、惜しみのない運動量を発揮。時にはFWも追い越してチームメイトのためにスペースをつくった。2試合連続のPK戦にもつれ込んだ準決勝のアルゼンチン戦。多くの選手が疲労で動けなくなっている中、延長戦に入ってからもカウンターから相手のペナルティーエリア内へ飛び出していったのがワイナルドゥムだった。

 FWロビン・ファン・ペルシー(30)やFWアリエン・ロッベン(30)、FWディルク・カイト(33)、スナイデル(30)といったベテラン勢がチームの中核を成した一方、ワイナルドゥムを筆頭にDFステファン・デ・フライ(22)やDFブルーノ・マルティンス・インディ(22)、DFダレイ・ブリント(24)ら次世代を担う若手の台頭が目立ったのも、今大会のオランダの特徴だった。

 23歳のワイナルドゥムは11年9月2日のEURO予選・サンマリノ戦に後半41分から途中出場してA代表デビューを果たすと、試合終了間際に代表初ゴールも決めた。ブラジルにトドメを刺したゴールは、約3年ぶりとなる代表2得点目だった。24歳のヤンマートのアシストから決めたワイナルドゥムのダメ押しゴール。3位とはいえ、強烈なインパクトを残したブラジルW杯の有終の美を飾り、4年後のロシアW杯へ夢をつなげるゴールとして、これ以上ふさわしい形はなかったかもしれない。

▼ワイナルドゥムがブラジルW杯で着用する「バトルコレクション」の詳細はこちらから


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