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世界最高峰スペインフットサルリーグで指揮を執る日本人監督 鈴木隆二(前編)

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 日本から欧州に渡るフットボール選手は、決して珍しくなくなった。しかし、欧州のトップリーグで指揮を執っている監督は、あまりいない。元フットサル日本代表のFP鈴木隆二は、数少ない1人だ。昨シーズン限りで現役を退いた鈴木は、今季からスペインフットサル2部Bリーグ(実質3部)のマルトレイで監督を務めている。彼は、どのようにして世界最高峰リーグのクラブで指揮を執ることになったのか。

 鈴木隆二は、カスカヴェウ(現ペスカドーラ町田)、ファイルフォックス、府中アスレティックFC、名古屋オーシャンズと数々の国内トップレベルのチームでプレーした経歴を持ち、フットサル日本代表にも選出された。その後、2009年には名古屋を退団し、スペインに渡っている。代理人も通訳もいないまま渡西した鈴木は、1部リーグの監督とコンタクトを取り、チームの練習に参加させてもらう。そこで知り合った選手の紹介で、2部リーグのレオンというクラブのトライアウトを受け、見事合格。スペインリーグでのキャリアをスタートさせた。

 レオンで1シーズンを過ごし、翌シーズンは同じディビジョンのハエンでプレー。そして、スペインでの3シーズン目となる11-12シーズンを前にマルトレイへ移籍した。このシーズンのマルトレイは、今もスペインでは『伝説のチーム』として知られている。クラブの予算規模はリーグで下から3番目。1部、2部でのプレー経験のある選手を合わせても、5人ほどしかいなかったチームは、2部リーグ残留を目標に掲げていた。ところが、リーグ戦で8位に入り、昇格プレーオフに進出すると、そこでも勝ち抜き1部昇格を決めたのだった。

 これにより、12-13シーズンは1部リーグでのプレーが叶うはずだった。しかし、チームはメインスポンサーを見つけることができずに、1部リーグへ参入することができず。昇格する権利を得ながらも、経済的な問題により1部に行けなかったクラブには、ペナルティーとして3部リーグ(実質4部)降格が待っていた。『伝説のマルトレイ』の選手たちの下には、次々とオファーが舞い込んだ。鈴木も例外ではなかったが、彼の下に1部クラブからのオファーは届かなかった。

「僕の中に基準があるんです。それは、3年間プレーしたら、その国が自分という外国人に対して評価を下すというものです。このとき、僕はスペインでの3年目を終えて、2部リーグの上位クラブから2つ、3部リーグのクラブからいくつか、それとマルトレイの市役所が運営する育成チームの監督のオファーを受けました。オファーをもらえて、スペインに必要な人材と認められたことは、素直に嬉しかったですよ。でも、同時に選手としての自分には1部リーグのクラブからはオファーは来なかった。この事実は、受け止める必要がありました」

 2部リーグで常に上位を争うクラブへ移籍し、再び1部リーグを目指す選択肢もあったが、鈴木はそれを選ばなかった。マルトレイで成し遂げたことを越える経験は、2部リーグでは得られない、と考えたからだ。そこで彼が選んだのは、マルトレイの市役所が運営する育成年代のチームの指導職だった。

 現役プロフットサル選手だった鈴木に、指導者のオファーが届いたのには、伏線がある。鈴木はプロ選手としてプレーしながら、指導者としての勉強も進めており、スペインの2シーズン目に講義に通い、モニトール(フットサル指導員)の資格を取得していた。また、マルトレイの選手兼会長であったジョルディ・ガイも、市に対して、鈴木の監督就任を後押ししてくれたという。

 そこで鈴木は12-13シーズン、2部リーグより一つ下のカテゴリーとなる2部Bリーグで現役選手としてプレーしながら、マルトレイ市の10歳、11歳の子供たちの指導をすることを決意する。「スペインは就労率も低い中で、市の仕事なんて、誰もがやりたくて仕方がない。その仕事を僕に振ってくれたことは、すごく評価してくれているんじゃないかなと思えました。指導者の勉強もしていたので、挑戦したいなと思ったんです」。

 2000年代まで、フットサルはブラジルの1強状態だった。それを阻止したのがスペインだ。ブラジルの圧倒的な個人技に対抗すべく、組織に磨きをかけて、00年、04年のフットサルW杯ではブラジルを破り、大会連覇を遂げている。組織面や戦術面では、世界トップにある国が、指導者としての自分に興味を持ち、期待を寄せてくれている。それは大きな喜びだった。

 マントレイ市が運営するクラブでは、年代ごとのカテゴリーがあり、それぞれに2つから3つのチームがある。鈴木が指導を任された10歳、11歳はアレビンという年代カテゴリーで、その下には8歳、9歳のベンハミン、さらに6歳、7歳のプレベンハミンと呼ばれる年代カテゴリーがある。さらに、その年代カテゴリーの1年目の初心者選手をC、1年目の能力が高い子をB、2年目の能力の高い子をAにわける。つまり、アレビンというカテゴリーには、アレビンA、アレビンB、アレビンCに分けられ、それぞれに10人から12人の子供と一人の指導者がつく。アレビンBでの指導をしながら、鈴木はもう一つ上のレベル1(レベル3が最高)の資格取得を目指すことになった。

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