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小6の誓いから10年…東京V育ちの端山と杉本、重ならなかった2人の道

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 いつかピッチで再会するときが来たら……。2人はどんな顔で握手を交わすだろう。その時を想像した端山は「泣くでしょ」と言い、杉本は「超嬉しいでしょ」と笑い、まだ見ぬ未来へ思いを馳せた。

 慶應義塾大MF端山豪(4年=東京Vユース)の来季アルビレックス新潟内定が28日に発表された。東京Vユースで育った端山だが、古巣へ戻ることは選ばずに新天地となる新潟での挑戦を決断した。

 東京Vで育った端山にとって、MF杉本竜士(東京V)は親友といえる存在だ。ピッチ上では熱く激しさをみせる2人だが、実際には冷静な目を持っており、“やんちゃ”ではなく、賢さがある。似通った2人の出会いは小学校6年生の時。今から10年前にさかのぼる。

 東京Vジュニアに所属していた端山はトレセンで杉本に出会い、「俺らの代でヴェルディで全国制覇しよう!」と、府ロクSCに所属していた杉本を誘った。この言葉を受けた杉本は強くうなずき、東京Vジュニアユースへ進むことを決めた。

 東京Vで日本一になる。その夢は約束から6年後の高校3年生の夏、全日本クラブユース選手権優勝で果たされる。主将としてチームを率いた杉本は「あいつがいなかったら、俺はここにいなかった」と言い、「豪が一緒に全国取ろうぜって言ってくれたから、今ヴェルディで日本一になれた」と端山への感謝を語ると涙した。

 しかし、当時の端山は腰の故障から復帰したばかり。出場時間も短い中での優勝に物足りなさげな表情を浮かべ、「俺は全然何もしてないからね。これじゃ約束が違うから」とどこか寂しい笑顔をみせていた。

 その後、端山はクラブからトップ昇格の打診を受けるよりも先に大学進学を決断。杉本はFW南秀仁(東京V)やDF田中貴大(浦安)、DF舘野俊祐(松江)とともにトップ昇格を内定させた。当時のことを端山は「トップの練習に参加する中で大学に行くべきと判断したし、高校ではケガとかもあって、自信の根拠となる実績をつくれなかったから。もし、活躍して自信がついていたら状況は違ったかも」と振り返る。

 互いの進路も決まり、季節は冬に。共に戦う最後の大会となった2011年12月11日の高円宮杯プレミアリーグイースト最終節。勝てば優勝でチャンピオンシップ進出だった東京Vユースは、最下位・三菱養和SCユースにまさかの0-1で敗れ、最後の試合を終えた。

 プレミアリーグの初代王者を目指すと意気込む中でのまさかの幕切れ。試合終了と共に杉本は泣き崩れた。「もっとこのメンバーでできれば……」と主将としての責任に押しつぶされそうだった杉本を横で支えたのは端山だった。この試合でメンバー外だったMFは、フル出場した親友を黙って励ましていた。チームが勝ち上がれば、2人揃ってプレーする可能性はあったが、実現せず。東京Vユースでのラストゲームは終わった。

 足並み揃っての活躍といかなかった2人は大学とプロと違う道を歩み始める。慶應義塾大へ進学した端山。当初はスタイルの違いから苦しみ、出場機会にも恵まれなかったが、徐々に出場時間を増やすと慶應義塾大に欠かせない選手の一人となる。“忍耐”を覚えた端山は大学での活躍が認められ、2013年7月には東京Vで特別指定選手として承認された。

 再び東京Vで揃ってプレーする時が来たかに思われたが、奇しくも端山が登録された翌週に杉本は東京Vでの選手登録を抹消。FC町田ゼルビアへの期限付き移籍が決まった。端山が東京Vの一員として7試合に出場したとき、杉本の姿はなく、またも共にピッチに立つことは叶わなかった。

 その後も、それぞれの場所で奮闘。端山は大学4年時の今季は背番号10を背負い、ユニバーシアード日本代表にも選出された。一方の杉本も今季は開幕から28試合に出場し、3得点を記録。U-22日本代表候補にも選出されている。

 違う場所で輝きを見せ始めた2人。そんななか、約束した12歳の“あの時”から10年目を迎える夏がやってきた。新たな進路を決める季節。端山は古巣である東京Vと新潟のどちらにするか迷い続けていた。

 当初、電話で話した杉本は「豪の行きたいところにいけばいいよ」と声をかけた。しかし、「アイツの口から本当に『新潟にすると思う』と聞いたら、やっぱり自分の気持ちはちゃんと伝えておかないと」と考え直し、「豪と一緒にやりたい気持ちがある」と素直な思いをぶつけた。

 親友の本音を聞いた端山の心は揺れた。それでも最後は「新しい場所でチャレンジすることで成長したい。そのためにもより難しい場所を選んだ」と新潟へ行くことを決断。端山の報告を聞き、その思いを理解した杉本は「一緒にできると思っていたし、思っていたからこそ寂しい気持ちもあるけど。お前が決めたことだから何も言わないよ」とその背中を押した。

 当時の心境を杉本は「俺はあいつの一言でヴェルディに来ると決めたので、一緒にプロになるというのは、ある意味で俺の一つの夢だったから。南(秀仁)もそうだし、一緒に育った同世代のメンバーで活躍したい思いがあったので、悲しかった」と明かす。

 それでも親友の決断を尊重し、前を向いた杉本は「でもサッカー界は狭いから、またどこかで会うかもしれない。悲しいけれど、また一緒にサッカーできる日はきっと来るから。同じプロだったら、一緒にフィールドに立つ日は来るから。俺はあいつが選んだ生き方だから何も言わない」と微笑んだ。

 2人の道はまたしても重ならなかった。それでも杉本が言うように、ボールを追い続けていれば、再び出会う日はやってくる。互いがプロの選手になり、ピッチで再会する日がやってきたら……端山は「泣くでしょ」と笑い、「超嬉しいでしょ」と言った杉本は言葉を続けた。

「初めて一緒にプロのピッチに立ったら、敵味方関係なく単純に嬉しいと思うし、今まで真剣にサッカーをやってきて良かったなと思うはず。きっと入場して、握手しちゃったら、うるっと来るんじゃないかな」

 共に誓い合ったあの時から10年。2人はまたも別々の道を歩み出す。その道が再び交差するとき、少年から一人のJリーガーへ成長した二人はスタンドの観客を大きく沸かすプレーをみせてくれるはずだ。緑の血が通ったその足で。

(取材・文 片岡涼)

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