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かつてのホームで躍動みせた磐田MF小林「やっぱり俺らは持ってるな」

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[11.1 J2第39節 東京V0-3磐田 味スタ]

 かつてのホーム、味の素スタジアムにジュビロ磐田MF小林祐希のチャントがこだました。東京ヴェルディの下部組織で育ち、2012シーズンにはトップチームで主将も務めたMF。鳴り響いたチャントは東京V下部組織時代から歌われてきたもの。しかし、歌っているのはサックスブルーのユニフォームを着たサポーターたちだ。移籍後も変わることなく、それは歌い続けられている。

 「ここ5試合で自分のプレーを出せるようになった」と言うトップ下で先発した小林。古巣戦ということで気負いがあるかに思われたが、「一切ない」と言い切ると、「ヴェルディへの敬意があるないではなく、ジュビロも愛しているってこと」と説明した。

 先発した開始2分にはPA手前から挨拶代わりのミドルシュート。0-0で迎えた後半5分には先制点を演出。中盤で奪ってのカウンター。右サイドから持ち込んだ小林は相手2人を引き付けると、MF川辺駿へパスを送る。川辺のシュートが決まり、退場者を出していた磐田が先制に成功した。その後に2点を追加した磐田は3-0で勝利し、J1自動昇格圏の2位を守った。

 アシストへの“伏線”はあった。0-0で迎えた後半開始直前。円陣を組んでいる際に、小林は川辺へ「俺らのところが肝になる」と話したという。そして、この言葉からわずか5分後にチャンスはやってきた。「やっぱり俺らは持っているなと」。アシストを決めたMFは満足げに振り返った。

 東京Vで育ってきた小林が磐田へ移籍したのは、2012年7月。19歳で主将を務めていたが、苦しんだ末に期限付き移籍を選択。その後、磐田で戦力として定着すると同年12月に完全移籍。幼い頃から着てきた緑のユニフォームを脱ぐことを決めた。今はサックスブルーの背番号4を背負い、トップ下へ君臨している。

 かつて、どんなときも東京Vのサポーターは、小林のチャントを歌ってきた。クラブユース選手権で日本一に輝いた2010年の夏、4試合連続で直接FKを叩き込んだ真夏のピッチ、東京都で高校生年代として初めて天皇杯本大会出場を成し遂げた西が丘……。トップチームが財政難によるクラブ存続問題で揺らぐ中、18歳だった小林は結果でチームを励ますと、アンダーシャツに『ALL FOR VERDY』と書いたこともあった。ユースの試合ということもあり、決して多くないサポーターだったが、どんなときも声高らかに小林祐希の名を歌った。

 しかし今、小林は磐田の選手として味スタのピッチへ立つ。磐田サポーターの歌うチャントについて、小林は胸中を明かさない。「逆に俺はヴェルディサポに聞いてみたい。俺のチャントを歌っているジュビロサポをどう思ってるのかなと。温かく見守っているのか。(クラブを去って)畜生と思っているのか」と独特の表現。「(ブーイングは)愛があってのことなんじゃないか」と前向きに捉えている。

 かつて弱冠19歳で東京Vの主将を務めていた当時は、チーム全員で背負うはずのものも一人で背負い込み、苦しそうにプレーしている時期もあった。考えすぎてかんじがらめになり、判断も遅れると思うようなプレーができなくなっていた。しかし、今は晴れやかな顔をみせる。

「俺の時代は来る」と口癖のように言っていたが、この日は違った。「今はそういうことは考えずに楽しくサッカーをしている。駿(川辺)や康太くん(上田)と常に話しながら楽しくプレーしているので」と言うとおりだ。

 十代の頃に描いていた未来は、東京Vを背負い、J1昇格、J1優勝。そして海外挑戦を果たすというものだった。思い通りにはいかないが「サッカーはこういうもの。何が起こるかわからない」と気丈に語る。

 この日は同級生のMF高木善朗(東京V)とピッチ場で“競演”するシーンもあった。「純粋に嬉しかった」が、試合後も言葉は交わさず。抱擁だけに終わった。「サッカーは言葉はいらない。そういうことですね」。しかし一方でベンチ外だった同級生のMF渋谷亮(東京V)には“愛のムチ”。「俺は渋谷亮がピッチに立っていないのが腹立たしい」と話す。これは小林なりの愛情だ。

 「かつて『ALL FOR VERDY』と書いていたが今は? 」と問われた小林は、しばし考えると「……今は『ALL FOR JAPAN』になるように頑張るしかないですね」と18歳当時と変わらない強気な顔で言い切った。酸いも甘いも知る23歳のMF。十代の頃から持つ、揺ぎ無い強い信念で自らの未来を切り拓いていく。小林祐希はこんなところでは終わらない。

(取材・文 片岡涼)

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