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"器用じゃない"水戸MF内田が生きる道…「気持ちがなければ何もできない」

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 プロサッカー選手として生き残るために、自分はどうすればいいのか――。正智深谷高から水戸ホーリーホックに加入して4年、22歳を迎えたMF内田航平は一つの答えを導き出した。ようやくつかんだレギュラーの座、そしてついに選出された年代別代表候補。自らの力で道を切り開いてきた男は、自慢の「武器」に磨きをかけてさらなる高みを目指す。

現実を見たからこそ
進むべき道がはっきりした


――プロ4年目を迎えた今季はシーズンを通してレギュラーとしてプレーを続けています。イメージ通りの成長曲線を描けていますか。
「最近はスタメンで試合に出られるようになりましたが、すごく感じているのがサッカー選手は試合に出てナンボだということです。試合に出て得られるものは本当に大きくて自分自身の成長にもつながるし、出られないときにコンディションやメンタリティーを整えるのは難しいことだと改めて感じました。ただ、イメージ通りに成長できているかと聞かれると、そうは感じないですね。僕は、今自分がやらなければいけないことをやるのにいつも必死で、良いことがあっても成功したのか、してないのか判断できません。客観的に自分を見ないといけないとは思いますが、難しいですね」

――ボランチとしてプレーする上で今、やらなければいけないと感じていることを教えて下さい。
「今、自分が考えているのはボール奪取力をさらに高めて、自分の中で武器を一つ確立したいということです。ボール奪取という武器を確立した上で、他のプレーの平均値を上げていければと考えています」

――なぜ、ボール奪取にこだわるようになったのでしょう。
「現実を見てからですね。いろいろな選手のプレーを見てきて、自分がこの先、どういうプレーをしていくべきかを考えました。ある程度、体ができてきて、ファイトすることができる。足もそこまで遅くはないので、瞬発力を高めれば、ボールを取れる選手になれるのではないかと進むべき道がはっきりしました。技術の高い選手、キックがうまい選手がいる中で、僕が試合に出るためにはボールを奪い、激しく戦える選手になること。そうなれば試合に出られる確率が上がると感じました」

――正智深谷高時代のプレースタイルとは違いますよね。
「高校時代は、ずっと攻撃していましたからね(笑)。ゴールを狙い、アシストをしたいと思っていましたし、縦パスを打ち込んだり、スルーパスを出したり、サイドチェンジを送ったりと、ゴールを意識したプレーばかりでした。でも最近は読み通りにボールを奪えたり、相手に激しく体をぶつけてピンチを防いだりすることに喜びを感じていますし、それがチームを助けることにつながると思います。周りのために頑張りたいというのを一番に考えられるようになったんですかね」

――ボール奪取とゴールを決めることではどちらがうれしいものですか。
「僕はあまりゴールを取ったことがないので分かりませんが、ゴールの方がうれしいんじゃないですか(笑)。ただ、1試合の中で3回くらい読み通りにインターセプトできたときは気持ちが良いですよ。僕は守備のときに相手選手の視線を見ていることが多いのですが、ボールを持っている選手は蹴る方向を大体見ます。相手の視線を見て『こっちにボールが来るだろうな』と感じても、狙っていない振りをして相手がパスを出した瞬間にスライディングで奪ったりできると気持ち良いですね」

――ボールを奪う上で課題に感じる部分はありますか。
「危機察知能力をもっと高めたい気持ちはありますが、最近はボールを奪った後のプレーを課題に感じています。例えばクリアしてプレーを切り、『ナイスクリア』で終わるのもいいのですが、スライディングしたボールをチームメイトにつなげられたら攻撃に転じられます。ボールを奪った後の一つ目のプレーをつなげることができれば、チームにとってもプラスになるし、自分自身の成長にもつながると感じています」

本気で誘ってくれたから
プロになるのに迷いはなかった


――正智深谷高を卒業した12年に水戸に加入しました。高卒でプロ入りするのに迷いはなかったですか。
「自分自身に迷いはありませんでしたが、周りは不安に感じていたようで、高校の監督やコーチは『大学に行った方がいいんじゃないか』という話もしてくれました。自分自身に実力がないのは分かっていましたし、肩書きもなかったので、周囲の人がそう感じるのも当然だったと思います。ただ、何も失うものがないからこそ、僕はチャレンジするだけだと思っていましたし、その気持ちをしっかりと伝えて水戸に来ました」

――プロサッカー選手になりたいという強い気持ちが、水戸加入を後押ししたのですか。
「もちろん、プロになりたい気持ちはありましたが、何校か大学からも誘いをいただいていた中で、一番熱心に誘ってくれたのが水戸だったというのが一番の決め手だったのかもしれません。大学の方から誘っていただけたことはもちろんうれしかったですが、高卒の僕のために社長、GM、コーチが何度も僕の元を訪れてくれて、本気で誘ってくれていることを感じたからこそ、水戸で結果を残したい気持ちが強くなりました」

――プロになって4年が経ちましたが、プロサッカー選手として生きていくのに一番大事なものは何だと感じていますか。
「すべてにおいて気持ちがなければ何もできないというのが、この4年間教わってきた中で一番大きなものだと感じています。技術の面もテツさん(柱谷哲二前監督)から教わってきましたが、水戸のチームコンセプトでもある『戦う』という部分を学べたのは大きいですね。テツさんからはいつも、『サッカーがうまくても試合で100パーセントを出せなければ一般の人と同じで、メンタリティー、コンディション、技術が100パーセントになって初めてプロサッカー選手になれる』と言われていました。技術が100あってもコンディションやメンタリティーがゼロでは実力を出し切れないし、それならばプロでない人でもできると教わってきて、それは本当のことだとずっと思っています」

――言葉にする以上に実行するのは難しいと思います。
「ただ、それを学ばなければ試合には出られないし、自分自身成長できないと感じました。プロ入り1、2年目のときはなおさら年上の選手との実力差を感じていて、ルーキーの年に試合に出させてもらえたのも、テツさんが試合の雰囲気に慣れさせるために出場させてくれたというのも分かっています。「その恩返しをしないといけない」「監督の期待に応えないといけない」という気持ちが強かったので、テツさんの言葉は素直に受け入れられましたし、実行しなければいけない気持ちが強かったですね」

――ピッチ上で気持ちの部分をどのように表現していますか。
「戦える部分を見せるのは当然ですが、テツさんからも西ヶ谷(隆之)監督からも、声を出さなければボランチではプレーできないと言われています。声を少しでも出さないと、特にテツさんからは「何で声を出さないんだ」と何度も怒られました。自分が疲れる前に周りを使って疲労を抑えろと言われましたし、声を出していると頭も動いていると感じられたので、言葉は大事だと実感しています」

――なかなか声を出せなかったのですか?
「意識はしていても年上の選手に対してはなかなか強く言えず、自分のプレーを黙々とやっていて、周りは「何で声を出さないんだ」と感じていたと思います。でもスタメンで試合に出始めてからは、自分自身でも変わったと思いますね。チームのために戦うわけだから、そこは年齢に関係なくやっていかないといけないし、自分がチームメイトに声を掛けているわけですから、それ以上に自分はやらないといけないという責任感も生まれてきたと思います」

年上で強面だから
話し掛けられない?


――水戸でのプレーが認められ、8月にはU-22日本代表候補に初めて選出されました。
「自分が呼ばれるとは思っていなかったし、今回は候補合宿でしたが、代表に選ばれるチャンスが来ただけでも嬉しかったですね。最終日には京都との練習試合があったので、そこで自分のプレーをしっかり見せられれば、少しは手倉森(誠)監督の目に留まるかなと思っていましたし、フル代表の(バヒド・)ハリルホジッチ監督も視察に来ると聞いていたので、ひと暴れするかと思っていたのですが…」

――練習試合には負傷で出場できませんでしたね。
「今回、僕が呼ばれた理由は戦える部分だと思っていましたし、手倉森監督からも『ケガをしないような体』と言われていたのですが、いきなりケガをしてしまって…。練習試合前日のトレーニングで腿の裏が少し痛かったのですが、夜になったら段々と痛みが増してきて、次の日は歩くことも辛くなりました。テーピングを巻けば大丈夫だと思っていたし、せっかくのチャンスだったので誰にも言わずに試合に出ようかなとも考えましたが、チームにも迷惑をかけるし、大ケガにつながる可能性もあったので断念しました。本当に悔しかったです」

――ただ、手倉森ジャパンを肌で感じ、自分自身が生き残るためには何が必要かを感じられた部分もあると思います。
「自分の持ち味で勝負するしかないと感じましたね。体の強さとボールを取る力、ピッチ上で戦えるというメンタリティーの部分で勝負しないといけない。そうしないと周りの選手には追い付かないと思います。僕は器用なプレーヤーではないので、自分の特長を突き詰めていくことが必要だと感じています」

――京都合宿に呼ばれたメンバーの中で内田選手は3番目の年長者でしたが、ピッチ外でのコミュニケーションはいかがでしたか。
「僕は人見知りをするので、そこが一番難しかったかもしれませんね(笑)。U-22代表は同じメンバーが何度も集まっていて、一つのチームになっている感じの中、僕は一度も呼ばれたことがなかったので、ポンと入ったときは結構きつかった(笑)。呼ばれたことがないのに一番上の年代なので、なかなか話し掛けられないし、強面なこともあって絡まれませんでした。(水戸でチームメイトの鈴木)武蔵が気を使ってくれましたが、彼も水戸に移籍してきた直後は、同い年の僕にずっと敬語を使っていたくらいなので、僕が話しかけづらいタイプなのか、強面過ぎるのか…」

――話を伺っていると、すごく話しやすい印象がありますが。
「僕は話せば一緒にふざけるキャラなんですけど、馴染むまでが大変なんですよ。だから、またU-22代表に呼ばれることがあれば、今度は2度目になるので、積極的にコミュニケーションを取るようにします。ただ、僕は水戸でもまだ試合に出られないこともあるので、まずはチームでしっかり結果を残し続けないと次は見えてきません。今回、呼ばれたのも水戸で良いプレーを見せた結果だと思うので、また呼んでもらえるようにチームで頑張ります」

――来年1月にはリオ五輪アジア最終予選(AFC U-23選手権)が行われます。当然、メンバー入りは一つの目標になると思います。
「目標というよりも、サッカー人生の中での課題だと捉えています。難しいことですが、自分自身を客観的に見れるようになり、自分は今このレベルだから成長しないといけないと考え、そのレベルアップを重ねていくことで結果は後からついてくるものだと思います。僕は一度チャンスをつぶしてしまったので、メンバーに入らないといけないと思っていますし、そこにたどり着くまでにやらなければいけないことをこなして自分自身の手でしっかりとつかみたいです」

――アンダーアーマーの「クラッチフィット」を履いてプレーしていますが、フィット感はいかがですか。
「『クラッチフィット』は昨年から履いているので1年以上の付き合いになります。僕はターンをしたときにスパイクが伸びる感覚が嫌だったのですが、このスパイクは足にフィットしてくれるのでストレスなくプレーできています。フィットしている分、自分の足で蹴れている感覚があるのも好きなところですね。自分の足に合わないスパイクでプレーをしていると、足の裏がすごく痛くなったりしますが、包み込んでくれる『クラッチフィット』のおかげでプレーに集中できていると思います」

――カラーリングはいかがでしょう。
「良い色なので僕は気に入っています。明るい色が好きだし、ピッチ上でも目立ちますからね。プロである以上、何かしら目立たないといけないので、それを考えるとスパイクに助けられている部分もあるかもしれません」

――最近はサプリメントの摂取を始めたようですが、何かきっかけはあったのですか。
「磐田のジェイ選手のフィジカルの強さに脅威を感じたんです。競り合ったときに簡単に手で押さえられてしまった。体格差はあるにしても、僕はフィジカルコンタクトの強さも特長の一つだと思っているので、正直悔しかった。だから、フィジカル面をさらに向上させないといけないという意識が芽生えました。強い身体を作るため、パフォーマンスアップを目的にトレーニング内容を見直し、食事面での栄養摂取見直し、サプリメントの摂取も積極的に取り組んでいます」

(取材・文 折戸岳彦)
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