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金沢入りDF馬渡、右膝半月板損傷乗り越え…野心刺激したトップアスリートたちとの出会い

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 ガイナーレ鳥取は21日、DF馬渡和彰ツエーゲン金沢へ完全移籍すると発表した。東洋大から鳥取へ進んだ大卒2年目のDFはJ3からJ2へ“個人昇格”を果たすことになった。

 東洋大から鳥取へ進み、入団1年目の昨季はルーキーイヤーながら、開幕スタメンの座をつかんだ。順調にキャリアを積み、第20節までで5得点を挙げるなど、守備だけでなく攻撃面でもチームへ貢献。「試合に出ないとやばい、試合に出て早く上にいかないとやばい。そういう気持ちがすごくあった。先輩にプレーのことを聞いたり、求めたり、求められたり。上へいきたいという気持ちは誰よりも出していたと思う」。強い思いは結果につながった。

 しかし、フル出場した8月10日の町田戦(1-1)を最後に、2014シーズンは再びピッチへ立つことはなかった。8月中旬に右膝半月板損傷の故障を負い、長期離脱。全治約3か月と診断され、リハビリの日々を強いられたのだ。

 順調なスタートを切ったはずのプロ生活。打ちのめされるなかでリハビリへ突入したが、そこでの出会いが馬渡の野心を刺激する。手術後の時間を過ごした国立スポーツ科学センター(JISS)には、同時期にMF山口蛍(C大阪)やFW辻正男(金沢)、DF土屋征夫(甲府)や他競技の五輪選手が多くいた。

 リハビリに励む実績ある選手たちは、それぞれが“美学”や“こだわり”も持っていたという。「みんなそれぞれ貫いているものがあった。僕はそれを真似しようではなく、そういうものを作っていこうと思いました」と強く刺激を受けた。

「例えば、蛍くんだったら。オフの日も一人で練習場に顔を出してボールを蹴っているとか。ヨーグルトは無糖とか、水しか飲まなかったり。捕食もカロリーメイトかウイダー(inゼリー)とか、決まったものしか食べなかったり、こだわりがあった」

「リハビリ施設では日本代表として国を背負って戦っているような人たちが、自分の怪我と向き合い、必死にまた這い上がってやるんだと強い気持ちを持ってリハビリをやっていました」

「それなのに、J3の1年目でちょっと結果を残した僕みたいな選手がその人たちと同じことをやっていてもダメだし。それ以上のことをやらないとダメだなという気持ちにさせられました」

 誰よりも向上心は強いと自負していたが、JISSでの出会いで自らの甘さを痛感した。リハビリの日々で「もっとやらなきゃ、もっとやらなきゃという風に感じましたね。元々上へ行きたいという気持ちは他の誰より持っていたはずでしたけど、甘かった。さらに貪欲になりました」と話すとおりだ。

 そしてリハビリを終えて、実戦復帰した2年目のシーズン。より一層燃えたぎる野心を胸に秘め、「勝負の1年になる」と強く誓った。開幕戦で先発復帰すると、第2節・富山戦(2-1)では早速ゴールも記録。しかし、シーズンが終わってみれば、31試合出場で2得点と物足りなさが残る結果に。チームは首位・山口と勝ち点28差の6位。「結果が出なかったこと。鳥取が昇格できなかったことが何よりも悔しい」と馬渡はうつむく。

 リハビリを乗り越え、ここから這い上がるという強い決意とは裏腹に不本意な1年となったが、12月に入るとルーキーイヤーからの活躍を認めてくれた金沢からオファーがあり、「上へいきたい」と考えていた馬渡は移籍を決断。来季はJ2という新たな舞台で挑戦を始めることになった。「自分のキャリアをスタートさせてもらい、試合にも出させてもらった鳥取の監督やコーチ、スタッフ。応援してくれたサポーターの人には本当に感謝しています」と感謝の思いを口にする。

 東京育ちのDFは日本海へ面した鳥取でのプロ生活を振り返り、「過ごしやすかったけど、夏は暑いし、冬は寒かった」と早くも懐かしむように微笑む。これからは北陸の地でプロ生活の第二章が幕を開ける。どんな場所でも、どんな状況でも、決してぶれることない強い信念と、苦しいリハビリ生活で強まった野心を胸に秘め、自らの足で未来を切り拓き続ける。

(取材・文 片岡涼)

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