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1年で松本退団、仙台大からの“再出発”…MF山田満夫「選んだ道に後悔がないように」

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 プロ生活に一度区切りをつけ、新たなるステージで自らを鍛えなおす覚悟を決めた。2013年に帯広北高から松本山雅FCへ入団したMF山田満夫(仙台大2年=松本山雅FC)だったが、1年での退団を決意。2014年春に仙台大へ進学すると、再びJリーグの舞台へ戻るという思いを胸に、日々ボールを追っている。

 3月初旬に行われた第30回デンソーカップチャレンジサッカー宮崎大会に北海道・東北選抜の一員として参加していた山田。背番号10を背負い、ゲームキャプテンを務めると全日本大学選抜撃破に加え、3位入賞という好成績に大きく貢献した。

 中盤の底で相手のボールを果敢に奪取。丁寧にボールを前へ運び、機を見ては決定的なパスを供給した。そのプレーは高く評価され、大会ベストイレブンにも選出。直後に発表された全日本大学選抜入りはならなかったものの、バックアップメンバーに名を連ねるなど、着実に上へのステップを踏んでいる。

 大学サッカーで奮闘するMFだが、高卒でJリーガーとなりながらも、なぜ大学進学という道を選んだのか。松本でのプロ1年目となった2013シーズン、公式戦で出場のなかった山田は新シーズン開幕直前の2014年1月にチームから呼び出しを受けた。

 GMを含めたクラブ関係者との面談。そこでの内容は、2014シーズンも松本に残るのか、レンタル移籍をするのか、そして「大学進学という案もあるけど、どう思う?」というものだった。全く考えていなかった大学進学という選択肢。「そういう選択もあるのか……」と感じた山田は家族を含めた様々な人に、今後についてを相談したという。

 大学進学を提案するクラブのアドバイスは、いわゆる“戦力外通告”にも聞こえる。しかし、山田は「自分の捉え方次第かもしれないですけど、クラブの方々は色々な言い方をしてきてくれたので、また頑張らないといけないなという気持ちに改めてなりました」と前向きなものだったと強調する。レンタル移籍も含め、様々な選択肢が浮かぶ中で最終的に家族とも相談し、決めたのは大学進学。胸の中には再びプロの世界に戻ってやるという熱い火が灯った。

 2014年1月と受験シーズン真っ只中での決断。大学サッカーに関する知識も乏しい中、知り合いなどの協力も得て、自らに適した大学探しを始めた。そして「自分を磨き直したかったというのもありましたし、自分がどのレベルの選手なのかを再確認したかった。そんななかでサッカーの環境やスタイルが自分に合っているは仙台大のかなと思いました。それとセカンドキャリアのためにも、体育の教員免許が欲しかったので仙台大を選びました」。総理大臣杯やインカレ出場の常連校でもある、東北の雄・仙台大への進学を決めた。

 一度離れてしまえば、プロの世界へ戻れる確証はない。それでも「メリットやデメリットもありますけど、将来的にいい方向にいければと一番いい選択肢を選んだと思います」と大学進学を決意した当時を振り返る。

 そして2014年春、大学進学の決断からわずか2か月足らずで仙台大への入学が決まった。同級生が一歳年下という状況だったが、「全くフランクでみんな受け入れてくれるいいチームだったので。そこでのメンタル的なストレスは何もなかったですね」。すんなりとチームに溶け込み、仙台大の戦力としてルーキーイヤーから結果を残した。東北リーグでは連覇に貢献。また大学の地域選抜対抗戦であるデンチャレには、2年連続で北海道・東北選抜の一員として参加している。北海道育ちのMFは今、杜の都・仙台の地で着実に経験を積んでいる。

 プロの世界での経験は何にも変えがたいものだったが、仙台大での毎日も試合勘を磨く上でこれ以上ない環境だ。「ゲーム感覚が一年間無かった分、大学もやっぱりレベルは高いので、いい試合を経験させてもらっているというのはありがたいです。選抜の活動もあって、全日本選抜やすごいチームとも試合ができるので。そういう中で切磋琢磨して、自分がどのくらいのレベルなのかというのもわかるので」と話すとおりだ。

 仙台大での活躍が評価され、北海道・東北選抜へ選出。そして全日本大学選抜のバックアップメンバーにも加わった。それでも上を見据える山田は満足しない。「まだまだもっとやらなきゃいけないなという気持ちが強いですね。(選抜では)背番号やキャプテンといった責任を感じながら、もっとさらに自分としてもチームとしても、上を目指していくような選手にならないといけないなと思うので。もっともっと頑張っていきたい」と力を込める。

 Jリーグから離れて約2年が経った。改めて松本での1年間を振り返った山田は「松本での時間が今の自分を作ってくれているなとすごく感謝しています。色々なことを吸収できたすごく濃い一年で、そこで自分自身は成長できました」と感謝を口にした。

 これから大学の残り2シーズンを戦い抜き、大学4年間を終えた先に目指すのは“二度目”のプロ入り。わずか1年ながら多くの経験を積んだ舞台へ舞い戻るつもりでいる。「もちろんそこを一番に目指してやっていて、絶対にプロになってやろうという気持ちでやっています」と話した山田は言葉を続ける。

「プロになるのは絶対ですけど、そのなかで活躍できるような選手になりたいです。プロになってからしっかりと試合に出て、長い期間プロ生活を送れるような選手になっていきたいです」。かつてはそこに到達するので精一杯だったかもしれないが、視野の広がった今ではたどり着いた先にどうするかまで考えられるようになった。

 もちろん山田は仙台大の一員としての自分があってこその“未来”だとも強く自覚している。「仙台大のチームとして、あと2年間のうちに絶対に全国の頂点を狙っていこうという話はみんなとしているので、そこは達成できるように頑張っていきたいです」と言うとおりだ。総理大臣杯やインカレでの戴冠を目指していく。

 夢だったプロ生活には1年で終わりを告げた。それでも現在の山田は、自身の現在地を冷静に見据え、努力を重ねては再び夢への距離を縮めている。「今の時点で選択が正しかったかはわからないですが、それはもう自分がこれからどうしていくかだと思う。選んだ道なので後悔しないようにしていきたい」。強い意志を胸に、自らが選んだ道を切り拓いていく。

(取材・文 片岡涼)

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