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“自分を変えた”山口での1年半…手倉森J生き残り狙うMF小塚和季

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 長い武者修行を終え、アルビレックス新潟へと戻ってきた。レノファ山口FCでの1年半があったからこそ、「自分は変われた」とU-23日本代表候補MF小塚和季(新潟)は振り返った。

 帝京長岡高卒業後の13年、地元クラブでもある新潟に加入した小塚だったが、ルーキーイヤーはプレー機会を得ることができず。2年目の14年4月26日第9節徳島戦でJリーグデビューを飾ったものの、思ったように出場機会を伸ばせず、シーズン途中に当時JFLに在籍していた山口へと期限付き移籍を果たした。すると小塚が加入したチームは同年にJ3昇格、そして翌年の昨季はJ3優勝でJ2昇格を果たし、一気に階段を駆け上がった。

「高校時代は自分のやりたいようなプレーばかりしていた」小塚だったが、山口で出場機会を得ることで「味方がプレーしやすいところにパスを出すなど、自分的には変われたと思う」と自らの変化を語る。さらに、「プロになってからは初めてだった」というボランチでプレーすることで、「多くボールに触れて前向きのプレーが増えたので、自分の持ち味であるパスが多く出せるようになった」と新境地を開いた。

 そして、よりサポーターを身近に感じることで「山口ではJFLからのスタートになりましたが、『サポーターの大切さ』や『サポーターのために頑張ろう』という気持ちを今まで以上に学ぶことができた」と山口で過ごした1年半での変化を話している。

 新潟に復帰した今季、リーグ戦では開幕スタメンを飾り、第5節福岡戦ではフル出場。そしてナビスコ杯では全試合先発出場を続けるなどチームで徐々に存在感を示すと、今回の静岡合宿で手倉森ジャパン初招集を果たした。本人も「選ばれるとは思っていなかったし、本当にビックリした」と驚きの選出となったが、「ただ、こういうチャンスをもらったので、ここに残れるように頑張りたい」と意気込みを示す。

 現在所属する新潟サポーターのために、という気持ちを持つと同時に、山口への恩返しも誓っている。「僕は山口に行って本当に変われたと思う。今でも山口の方がいっぱい応援してくれているので、最終メンバーに残りたいという思いはもっと強くなりました」。2年前、JFLのクラブに移籍した時点で、五輪代表は遠い存在だった。しかし、そのクラブとともに確かな成長を遂げた男は、明確に見えるようになった五輪出場という目標に向かって猛アピールを続ける。

(取材・文 折戸岳彦)

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