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賞金でブランド品購入?福田正博「キリンカップの優勝がプロになるきっかけをくれた」

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 今年は、じつに5年ぶりとなる「キリンカップサッカー2016」が開催される。ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、デンマークを日本に迎え、4ヵ国による一発勝負のトーナメント方式で、タイトルを争う。
 大会の復活を記念し、ゲキサカでは日本代表のレジェンドたちにインタビューを慣行した。Jリーグ日本人初の得点王で、日本代表としても45試合に出場して9得点を挙げている福田正博氏がキリンカップの思い出を話してくれた。


キリンカップで通用したことが
プロになる決断をさせてくれた


――キリンカップにはどのような思い出がありますか?

「実はキリンカップは僕が初めて優勝した大会なんです。1991年だったと思います。その時はAマッチじゃなかったんですけどね。4チームでやったんですが、国の代表はタイしか来ていなくて。チームで来たのはバスコ・ダ・ガマとトッテナムでした。トッテナムにはリネカーがいて、バスコ・ダ・ガマにはビスマルク、ベベットがいたんですよ。その中で3連勝。キリンカップで優勝した後にちょっとしてから僕はプロ契約になったんですが、プロになる決断をしたのは、実はそのキリンカップが大きかったんです」

――プレー面が通用したということですか?

「僕はウイングバックだったんですけど、そこそこやれたというのがありましたね。それで、自分の中ではある程度自信を持つことができたんです。キリンカップの優勝がきっかけをくれて、プロになる決断を最終的にしたんです。だからキリンカップというのは非常に思い出深いですね」

――でも当時は今とは環境が全く違いましたよね。

「ちょっといやらしい話ですけど、初めて優勝して代表で50万円もらったんですよ。そのお金でヴィトンのバッグを買いましたね(笑)。当時は三菱の社員だったんですけど、キリンカップが終わった後に、三菱が香港に遠征したんですね。もちろん香港に行って試合もしたんですけど、当時の香港はブランド品が安かったんです。まだ中国に返還される前でしたから。それでヴィトンの店とかを周って、買っていました。嬉しかったですね」

――当時は他の選手もみんな買い物したんですか?

「いや、全員ではありませんでした。プロの人だけでなくアマチュアの人もいましたからね。今では考えられないと思いますが、当時はプロの選手とアマチュアの選手と色々なことが混在している過渡期で、代表活動をやるのが非常に難しい時期だったんです。普通にサラリーマンの人もたくさんいましたから。でも当時はやっぱり50万円は大きかったですよね。そんな給料もらってないですから」

――ではものすごく目標にする大会だった。

「そうですね。ひとつ大きな国際大会という意味ではキリンカップは歴史も長いですから。今でこそもう国の代表が来るのは当たり前ですけど、国の代表ではなくても、世界を感じられる数少ない舞台だったという事は言えると思います。なかなか強豪とは試合をしてもらえなかったですから、当時は。そういう時代だったんです」

(取材・文 児玉幸洋)

ヨーロッパの強豪3か国が参戦!
激戦必至の「キリンカップサッカー2016」は、6月3日開幕!!


■準決勝
6月3日(金)19:40キックオフ
日本代表vsブルガリア代表(豊田スタジアム)

■決勝または3位決定戦
6月7日(火)
日本代表vsボスニア・ヘルツェゴビナ代表またはデンマーク代表(市立吹田サッカースタジアム)

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