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リオ五輪銅メダルのナイジェリア代表主将が“お家騒動”の舞台裏を激白…協会への不信と抱き続けたプライド

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リオ五輪で様々なトラブルに見舞われたナイジェリア代表。キャプテンのジョン・オビ・ミケルが振り返る

リオ五輪で躍進したナイジェリア代表が直面した数々の困難の舞台裏を赤裸々に語る

 今夏、リオデジャネイロ五輪へ臨んだナイジェリア代表を取り巻いた環境は、どんなに控えめな表現を用いても劣悪で最悪なものだった。

 もはや驚きすらない給与の未払いは序の口中の序の口。移動手段の手配の不備による会場入りの遅れ、満足に提供されない食事、トラブルが重なったことによる心身両面への負担……。

 日本でも『高須クリニック』の高須克弥院長が支援に乗り出したことで話題で注目を集めた騒動を、ナイジェリア代表キャプテンのジョン・オビ・ミケルが振り返ってくれた。

■サッカー協会は何もしてくれなかった

 ミケルは銅メダル獲得の快挙を成し遂げた裏で降りかかった様々な問題について口を開いた。

 ナイジェリア代表は同サッカー協会の不手際のため、給与の未払い、会場入りの遅れ、満足に提供されない食事など、様々なトラブルに直面した。ミケルは練習施設の予約手配なども含め、費用に自腹を切って危機を乗り越えたのだという。

 総額で3万ポンド(約400万円)ほどの自腹を切ったというキャプテンは、「そうするしかなかったんだ」と当時の“混沌”を明かしてくれた。

「僕は自分にこう言い聞かせた。『代表が大会を棄権することは何としても避けないといけない、そのために僕はできることは何でもするんだ』って。選手の食事の用意から練習設備の問題、時には練習場に行くバスがなかったこともあった。こういう問題すべてに僕はコーチと協力して資金を集めて対処しなければならなかったんだ」

「ブラジル入りする前のアトランタでのキャンプでは、チームメイト全員がフラストレーションを抱えていたよ。苦しかったし、腹立たしくもあった。僕らの目標は五輪でプレーすることだったのに、ブラジルに行けるのかも定かじゃなかった。まだ若いチームメートの始まったばかりのキャリアや夢がサッカー協会にぶち壊されてしまうと感じたよ」

 アトランタは1996年の五輪でナイジェリア代表が決勝でアルゼンチン代表を3-2で破って金メダルを獲得した思い入れの深い場所だが、ナイジェリア代表の苦難はすでにそこから始まっていた。ナイジェリア代表の現地入りの遅れをフライト確保の資金繰りの問題であるとサムソン・シアシア監督が説明した後、ミケルはピッチ外で監督と協力しながら調整に奔走し、ようやく初戦開始の数時間前に現地入りした。チームは様々なトラブルを抱えた中で日本代表と対戦し、5-4で勝利を収めている。

「ナイジェリア・サッカー協会はフライトのひとつも手配してくれなかった。大会開催の3-4日前にはアメリカを発つ予定だったけど、結果として初戦の当日に出発することになった。こんなこと、今までに経験したことがなかったし、すごく難しかったよ。思い返しても本当にばかげている」

「ブラジル到着後、すぐにホテルに移動して急いで荷物をおいてから、サンドイッチとか何か軽く食べられる物をほおばってすぐに会場に向かったんだ。選手登録も終わってなかったからね。会場に到着後、長い列にならんで登録手続きをしたよ」

「本当にクレイジーだった。思い返せばどうやってピッチに立って試合に勝つことができたのかわからない。頭が爆発しそうなくらい、とにかくもういっぱいいっぱいだったんだ」

 大会後、ミケルは所属クラブのチェルシーに戻り、日常を取り戻したようだ。今では3位決定戦でホンジュラスを3-2で破って銅メダルを獲得したことを、心から誇りに思っているという。

「まだたまに自分の家で銅メダルをかけてみるんだ。奥さんは羨ましがっているよ(笑)。子供たちもメダルをかけて遊ぶのが気に入っているんだ。あまりメダルの価値は分かってないみたいだけど、いつか大きくなったら本当の価値に気が付くだろうね」

「ピッチの外ではとにかく問題だらけだったけど、僕はチームメートにいつも『問題に左右されずに僕らがここに来た目的を達成しよう、祖国を代表して自分自身、家族、そしてナイジェリアの人々のために戦うんだ。そしてもし協会が責任を果たす気が無いのなら選手たちで自国のために戦えるよう努力しないといけない』と言ったんだ。僕はこんな言葉を毎日、若いチームメートに口酸っぱく言い聞かせた。彼らは本当によく理解してくれたよ。そのおかげでこの成功を勝ち取ることができたと感じているよ!」

●リオデジャネイロ五輪特集
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