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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:覚悟(東京朝鮮高・クォン・ジュンソク)

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東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 延長に入る直前のこと。「雨が強くなってきたな」と感じながら、「ボールが自分の前で止まることもありそうだな」と気持ちを入れ直す。セットプレーで自らに3回続けて訪れたチャンスもモノにはできなかったが、「まだ自分はここに帰ってきてからチームに恩返しができていない。今日は絶対に点を取る」という想いは揺るがない。延長前半9分。味方の放ったシュートが目の前で止まる。「来る!」と思って走り込んでいた直感は正しかった。右足で思い切り振り抜いたボールはGKを破ったものの、ゴールラインの直前にあった水たまりで減速する。「入ってくれ!」。執念の乗り移ったボールは、ゆっくり回転しながら何とか白線を越えた。「ベンチもみんな喜んでくれていたのが見えた」という東京朝鮮高クォン・ジュンソクは叫びながら、自らを受け入れてくれたチームメイトの元へ走り出していた。

「自分より上手い人がいっぱいいる中で、自分がどれだけ通用するかというのを見てみたかった」というのが最大の理由だったという。東京朝鮮中のサッカー部でプレーしていたジュンソクが、当時の吉永一明監督(現・甲府コーチ)と横森巧総監督に「君には熱いモノを感じるから来てくれ」と誘われ、進学先に選んだのは第88回高校選手権で全国制覇を成し遂げた山梨学院高。東京朝鮮高を率いる高隆志監督からも「オマエのいる場所はここじゃないか?」というメッセージをもらい、15歳の心は揺れたものの最後は挑戦したい気持ちが勝った。単身で乗り込んだ山梨の地。「レベルは凄く高くて毎日追い付くのが大変で、最初の頃は下から数えた方が早かったですし、1年の時は本当に苦労した」という日々を送る中で、支えになったのは同じ寮生活を送る先輩の存在。「今は中央大学にいる渡辺剛くんや山中登士郎くんが横の部屋でいつも面倒を見てくれたり、鹿屋体育大学に進んだ福森勇太くんにも仲良くしてもらって、自分がダメな時もアドバイスをもらったりしていました」と語るジュンソク。100人を超える部員を抱えるチームの中で、レギュラーとして活躍している憧れの先輩たちと過ごす時間は大きな糧になった。

 2年生になると「サブみたいな感じなんですけど、プリンスのB戦に使ってもらったり、色々な試合を経験したことで自分に自信が出てきて、そこで山梨学院の色も出しながら、自分の色も出せるようになってきた」手応えも掴み始めていた。そんな矢先の8月。ジュンソクに人生を左右する出来事が襲い掛かる。ある試合でヘディングした直後の側頭部に、相手選手の頭が激突した。その時はそれほど大きなダメージは感じていなかったが、「その後に『頭が痛いな』と思って病院に行ったら、思っていたより“重傷”という診断でした」と当時を振り返るジュンソク。頭というデリケートな負傷箇所ということもあって、いくつかの病院を回ったものの、どの病院でも『サッカーを続けることは難しいのではないか』という見解は変わらなかったという。「徐々に良いパフォーマンスが出始めた所」での予期せぬアクシデント。当然親とも話し合いを重ねる中で、最後は「こんな形で終わりたくなかったので、『もうちょっと頑張ろう』と思ってサッカーを続けることを決意した」というジュンソクの想いに、最後は親も「高校サッカーまでならば」という形で折れたそうだ。ただ、都内にある病院への定期的な通院は免れず、そのまま山梨での生活を継続することは困難な状況となった。

 10月6日。偶然にも17回目の誕生日となったその日に、ジュンソクは1年半ぶりに転校という形で“東京朝鮮”への復帰を果たす。山梨学院、東京朝鮮両校の理解を得てのリスタート。「本人が全国常連校に行って活躍したいという夢を持ってあっちに行ったので、それはそれで良いことだと思っていたんですけど、僕としてはこっちに戻ってきた時は嬉しかったですね。“カープの新井”みたいな感じで戻ってきたのかなと(笑)」と笑うのは高監督。ジュンソクも「中学校からの友達もいましたし、同じ学年には選抜で一緒にやっていたヤツもいたので、その中で『帰る』と言った時にみんな温かく迎え入れてくれたのは嬉しかったです」と仲間への感謝を口にする。すぐにサッカー部へ入部したものの、待っていたのは長いリハビリ。裏方の仕事をこなしながら、再びピッチヘ戻れる瞬間が来ることを信じて日々を過ごす。“東京朝鮮高”でのデビューは今年の3月に行われたイギョラカップ。ここで好パフォーマンスを見せたジュンソクは、関東大会予選1回戦の創価高戦で早くも公式戦初ゴールをマーク。左サイドバック。ボランチ。フォワード。様々なポジションで躍動した彼は「復帰した後も実力でしか上に行けないと思っていたので、みんなにはわからなかったかもしれないですけど、ずっと必死にやっていました」という想いを秘めながらも中心選手としての地位を確立し、全国へ行くためのラストチャンスとなる選手権予選を迎えることとなる。

 初戦の多摩大目黒戦で膝のケガから復帰したばかりのジュンソクは後半から途中投入されたものの、「スタミナが切れちゃって、ケガから復帰してからも自分で追い込めていなかった」ことを痛感した。チームは勝ったものの、自身のプレーに納得が行かない。「前の試合から4日間ぐらい空いたので、練習後に自分で走ってきたことで自信を持って臨んだ」という準々決勝の東亜学園戦。雨が降りしきる中でキックオフを迎えた一戦は、エースのリャン・ヒョンジュを欠く東京朝鮮が押し気味にゲームを進めていたが、高監督は「球際で向こうの選手にやられていたので、流れを変えるために」前半27分でジュンソクの投入を決断する。「前半が終わるまで自分が出せる力を全部出して、ハーフタイムで1回休めるという考えをしていたので、最初から飛ばそうとは思っていました」というジュンソクは投入直後からフルスロットル。後半開始早々にはイエローカードをもらってしまうが、「それでセーフティなプレーをするのも自分に合わないので、カードをもらったということは考えながら、自分の特徴である前から激しく追うという所はできていたと思う」とアグレッシブさを失わない。水の浮くようなピッチコンディションの中、80分間ではスコアが動かず、勝敗の行方は延長戦へと委ねられた中で、冒頭のシーンが訪れる。

 延長前半9分。ピョン・ヨンジュのシュートはジュンソクの目の前で止まる。「何度かチャンスがあった中で決め切れず、ベンチに帰った時も『信じているから』と、『1点で良いから決めてくれ』とみんなに言われたので、どんな形であろうとも泥臭いプレーで行こうと思いました」というジュンソクが右足で振り抜いたボールは、ゴール目前で水しぶきを上げながら減速したが、まるでスローモーションを見ているかのように白線の内側へ転がり込む。
「最後は気持ちでシュートを打ったと思いますし、あの子のハートがそのままゴールに行ったと思うので本当に良かったです。ウチに戻ってきてくれていなかったらあのシュートもなかったですからね」と高監督が笑顔を見せる。延長後半は東亜学園も猛攻を見せたが、リャン・ヒョンジュと共にAFC U-19選手権へ参加する北朝鮮代表に招集されたCBのキム・テウを中心に粘り強く守り切り、ジュンソクのゴールはそのまま決勝点に。東京朝鮮は11月6日に予定されている西が丘でのセミファイナルへと駒を進めた。

「自分は結構接触プレーもしているんですけど、今の所は頭にも異常はないみたいなので」と明るく笑ったジュンソクだが、「真剣な話をすれば、“覚悟”しながらやっているので、あとは『神様が』という感じです」と言葉を続けた。そんな彼には大事な約束がある。「山梨学院の人と約束したのが『お互い全国で会おう』ということなので、『自分が東京朝鮮を全国に連れて行くんだ』という気持ちで毎日やっています。全国で山梨学院と対戦するということが今の自分の原動力となっていますし、それが自分にできる最大の恩返しだと思っているので、それに向かって頑張るだけです」。

 余儀なくされた転校だったが、今のジュンソクには2組の誇れる“チームメイト”がいる。「授業中とかもみんなでバカしたりとかして、結構怒られるんですけど、最高の仲間ですね。メッチャ仲良いです」という東京朝鮮の“チームメイト”と、「みんなが『頑張れ』と言ってくれて、キャプテンとLINEしたりもしていますし、彼らに恩返しできるとしたら、またピッチで会うことだと思っています」という山梨学院の“チームメイト”。どちらもかけがえのない仲間であることは言うまでもない。「自分はみんなに助けられていると思っていますし、本当に周囲のありがたみを感じてきたので、だからこそその想いを『プレーで見せなきゃいけない』というのはずっと思っています。それに応えるためには『頑張るしかない』ですよね」と力強く言い切ったジュンソク。いくつもの覚悟を背負った17歳は 、“チームメイト”と共に“チームメイト”と全国の舞台で再会するため、最後の選手権へと挑んでいる。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務し、Jリーグ中継を担当。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」


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