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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:因縁(岡山・長澤徹監督)

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東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 ピッチの中央から微動だにせず、喜びに沸く桜色の歓喜を見つめ続ける。「この光景を目に焼き付けておかなければいけない」。もちろん悔しい気持ちは十分過ぎるほどにあったが、一方で正々堂々と真っ向から戦えたという晴れやかな気持ちもあった。視線の先で胴上げが始まる。最後に残された昇格というたった1つの椅子を争い、お互いに知略を振り絞った相手の指揮官が宙に舞う。「最後に一番厄介な人に立ちはだかられたな」。長澤徹の頭の中には“一番厄介な人”との様々な想い出が駆け巡っていた。

 出会いは97年まで遡る。当時東京ガスサッカー部の監督を務めていた大熊清と、本田技研工業サッカー部の主力選手として活躍していた長澤は、山形で開催されたJFLオールスターサッカーで、コーチとキャプテンとして同じチームで戦うことになる。「まだ若くて血気盛んだった」という長澤にとっては、この舞台がある意味で格好のチャンスに映った。突然監督室にいた大熊を訪ね、「オレを獲って下さい」という直談判を敢行する。既に自らの今後を思い描いていた長澤は、選手としてではなく、指導者として自分を獲得して欲しいと大熊に申し出たのだ。「今から考えると『オレ、何してたんだろうな』って思うよね」と苦笑しながらその時を思い出す長澤。すると、本田技研で3年間のコーチ生活を経た2001年、現在はファジアーノ岡山のGMとして辣腕を振るう鈴木徳彦と、東京ガス時代から数えれば7シーズン目の監督生活に入っていた大熊が、長澤をFC東京に招き入れる。大熊はその年限りで監督を退任することになるが、長澤にとって4年越しで実現したタッグは実に刺激に満ちた1年だった。

 それから9年後。2人は再び同じ目標に向かい、小平のピッチに立っていた。2010年9月。J2降格の危機に瀕していたFC東京は、南アフリカの地で世界のベスト16に輝いたワールドカップを日本代表のコーチとして経験し、束の間の休息を得ていた大熊に監督として白羽の矢を立てる。古巣への復帰を決意した大熊が、クラブへ要求したのは当時FC東京U-15深川で監督を任されていた長澤のコーチ就任。濃厚な時間を共に過ごしてきた中学生への強い想いはあったが、最後は10年間に渡ってお世話になってきたFC東京というクラブを何とかしたいという使命感が勝った。ただ、一度狂った歯車は元に戻らず、チームは最終節で降格の憂き目を見ることとなる。それでもクラブは大熊と長澤のコンビに、1年でのJ1復帰を託す決断を下す。

 ただ1つの目標だけが課せられた日々。大熊を支え続けた長澤は、その指揮官の姿を見て「監督っていうのはこんなに孤独な職業なんだな」ということを痛感させられたという。傍から見れば盤石に思える結果も、想像を絶する苦しい日々の積み重ねによって成り立っていることは言うまでもない。昇格という目標達成に加え、クラブ初の天皇杯優勝を置き土産に大熊は監督を退くと、時を同じくして長澤もJリーガーとしてのキャリアを送ったジュビロ磐田にヘッドコーチとして赴き、小平の地を後にする。2人が初めて仕事を共にした日々から、既に11年が経過していた。

 長澤が岡山を、大熊がセレッソ大阪を率いて対峙した一戦の結果は、あえて触れるまでもないだろう。試合後、チームの輪から少し離れたピッチ中央で、C大阪の喜ぶ姿を見つめ続けていた長澤の姿が印象的だった。「『この光景を目に焼き付けておかなければいけない』と思ってね。『ああ、熊さんが胴上げされてるな』って。熊さんを見ていた所もあるかな。あの人は“使命”の人だから。周りに何を言われようと関係ないんだよ。自分に課せられた“使命”を果たすことしか考えてないから。そういう人なんだよ」。後半アディショナルタイム。タッチを割ったボールがなかなか返ってこなかったのを見た長澤は、C大阪ベンチに向かって猛ダッシュでボールを拾いに行った。その際に大熊と言い争っていたと見る向きもあったようだが、長澤はそれを強く否定する。「そんなことする訳ないでしょ。だって大熊清だよ」。その短い言葉に2人の過ごしてきた時間の重みが凝縮されていた気がした。記者会見で長澤との対戦について問われた大熊は、こう答えている。「本当に優秀な監督でこれからが楽しみだし、正々堂々と戦えたというのは誇りに思うし、苦しい中を本当にプロとして一緒にやってきたヤツなので、心より敬意を本当に払うし、本当に今日対戦できて良かったですね」。その眼は少し潤んでいるように見えた。監督室での直談判から20年。痺れる舞台での再会は、長澤にとって“一番厄介な人”の執念がわずかに上回る格好となった。

 会見で長澤はこう語った。「セレッソさんにも本当におめでとうと伝えたいです。昨年隣の長居で我々は、私自身もそうなのですが、その現場で福岡に敗れる姿を見ていました。そういう歴史の積み重ねで、やっぱり本当に最後の際という部分で押し込まれるとか、そういう部分があるのかなと、今ぼんやり思っています。我々は無念ではありますが、その無念がやはり次への想いとか願いとか祈りとかを輝かせると思っていますので、この敗退をしっかり受け止めて、選手と共にクラブでしっかり受け止めて、次に向かう一歩にしていきたいと思います。本日はありがとうございました」。彼らしく、相手への敬意と真摯に満ちた言葉だったと思う。ただ、20年前のあの日と同様に人一倍血気盛んで、人一倍負けず嫌いな面も持ち合わせていることを見逃す訳にはいかない。それは物腰の柔らかさと丁寧な物言いに覆い隠されているだけである。因縁に彩られた決勝に敗れ、昇格を逃したその夜。言いようのない悔しさに支配された長澤は一睡もできずに朝を迎えたそうだ。このことは最後に付け加えておきたい。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務し、Jリーグ中継を担当。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」


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