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手術から復帰も「何もできなかった」 仙台内定の法政大DF永戸の後悔

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手術から復帰したDF永戸勝也(4年=八千代高)は悔しさを語った

[12.9 全日本大学選手権(インカレ)2回戦 法政大0-3大阪体育大 町田]

 自分を責めた。9年ぶり28回目のインカレ出場となった法政大(関東5)は2回戦で敗退。0-2の後半開始から途中出場した来季仙台内定のDF永戸勝也(4年=八千代高)は流れを変えられなかった自身に苛立ち、「監督やベンチの選手に信頼して出してもらった。そこで力を出し切れないのは僕が甘かった」と肩を落とした。

「まず1点は取れると思っていたし、確実に取りにいこうと思っていたけど、チームがバタついていた。僕と(黒柳)駿が(後半開始から)入って、チームを落ち着かせようと話していたけど、思った以上にダメージが来ているのは感じた」

 左膝半月板損傷で8月に手術を受けた。関東大学リーグの後半戦は出場がなかったが、インカレにぎりぎりで間に合わせ、2試合連続の途中出場。1回戦の高知大戦は後半27分からの途中出場で2得点に絡む活躍を見せ、6-0勝利に貢献した。この日も長短のパスで攻撃を活性化させたが、先に点が欲しかった後半8分に3失点目。チームを立て直すことはできず、そのまま0-3の完敗を喫した。
 
「フルでこの大会に出られるのか際どいところだった。出られる時間でやれることをやろうと思ったけど、何もできなかった。ケガがあってこの大会に万全で臨めなかったことに悔いはある。この試合だけでなく、この1年間の取り組みが悪かったなと思っています」

 6月に左膝半月板を損傷し、8月に手術、そして長いリハビリ生活。「(サッカーを)見ているとやりたくなるので、あまりサッカーのことは考えないようにしていた時期もあった」。思い詰めることもあった。離脱していた頃を思い返すと、背番号10は苦しそうに表情をゆがめた。

 ひたむきにサッカーに打ち込んだ4年間。9年ぶりのインカレ出場で、母校に歴史を刻んだ自負はある。法政大からはDF山田将之(4年=青森山田高)も来季のFC東京入りが内定。「山田と一緒に、法政出身の選手として看板を背負う。まだ(内定先を)探している選手もいるけど、9年ぶりに新しい時代をつくった僕らが先頭に立っていきたい」。

 夢の続きはプロの舞台。「仙台がポゼッションサッカーに変わってきたのは見ていて感じる。持ち味を出す自信はある」。法政大サッカー部の誇りを胸に、次のステージでも真摯にサッカーと向き合い続ける。

(取材・文 佐藤亜希子)
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