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「東京五輪への推薦状」第36回:神奈川2部Lに出現した目を惹く個性、平塚学園CB早坂翼

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平塚学園高CB早坂翼

 2020年東京五輪まであと4年。東京五輪男子サッカー競技への出場資格を持つ1997年生まれ以降の「東京五輪世代」において、代表未招集の注目選手たちをピックアップ

 神奈川県西部、大磯町にある星槎国際高湘南のグラウンド。昨年、初のJリーガーであるGK市川暉記(→横浜FC)を輩出した場所で、一人のタレントが傑出した個性を表現していた。神奈川県U-18リーグ2部の試合に過ぎないと言われてしまうかもしれないが、個性というのは時にそうした場の水準を超えて目を惹くものだ。

 星槎国際と対峙していたのは、同じ西相地区に所属する平塚学園高。Jリーグ・湘南ベルマーレのお膝元にある高校で輝いていた選手は、案の定と言うべきだろうか、その下部組織である湘南U-15平塚の出身だ。キャプテンマークを巻いて周囲を鼓舞し、敵を威迫し続けていたCBの名を早坂翼と言う。

 身長182cmと特段に大柄なわけではないが、空中戦では相手FWをことごとく撃墜。途中から競るのを諦めた相手がわざとジャンプせずに懐へ入ってバランスを崩そうと試みるようになったが、それでも空中姿勢を保って跳ね返し続けていたのは印象的だった。この1年で体も太く、強くなったと言う。

 左利きという点も見逃せない個性だ。ビルドアップが重視されるようになった現代サッカーにおいて、左CBに左利きの選手を置くメリットは大きい。もちろん技術がなければ左利きでも無意味なのだが、その点も心配はない。精度の高いパスで攻撃の起点となりつつ、オープンスペースへのスルーパスやダイナミックな対角線のサイドチェンジを見せるなど、「自分の武器だと思っている」という言葉どおりの展開力を見せ付けていた。

 京都、鳥栖、湘南で大型DF、MFとして活躍した元Jリーガーである平塚学園・井原康秀監督は早坂の変化と成長ぶりについてこう語る。

「U-15時代は腰を痛めてパフォーマンスを落としていた時期もあって昇格を逃した選手でしたが、1年生のときのプレーを観たときに湘南の関係者はもう『上げなくて失敗した』と言ってましたね。少し前まではスピードへの対応を苦手にしていたけれど、それも予測力でカバーできるようになってきた。高さと左足についてはもちろん持ってますし、もっと上のレベルまで引き上げられるとも思っています」

 3月の3週目には地元・湘南への練習参加も実現。早坂のウワサを伝え聞いたU-18日本代表の影山雅永監督も視察に訪れる中、「パススピードも切り替えの素早さも球際の強さも(高校とは)まるで違っていた。自分の予想していた2倍、3倍のスピード感でした」(早坂)と、プロのレベルも体感した。ただ、井原監督は「あのレベルで日常的に過ごしていけば、また慣れて変わっていくはず」と語り、本人も「やれない」とも思わなかったと言う。手ごたえはあった。

 そんな早坂がもしも湘南でプロになろうと思えば、早坂には大きな壁がある。同じ左利きのセンターバックであるU-20日本代表DF杉岡大暉がいるからだ。練習や試合を通じてあらためてその攻撃参加の迫力に目を奪われつつ、プロでやれるかどうかの基準点も教えてもらった。あとは実力を蓄え、実績を積み上げるのみ。

 平塚学園が決してメジャーなチームではなく、そもそもスカウトに観てもらう機会自体がないことについても自覚的だ。強豪大学経由にせよ、直接狙うにせよ、プロへ行くための近道はチームで結果を残すことにある。U-17関東トレセンなどの選抜チームでも平塚学園の知名度不足は感じたようで、「平学の名前をもっと知ってもらいたい」という思いは強い。大志を胸に秘めつつ、まずはチームの主将として“平学”を県のトップ、そして全国区へと押し上げるためのシーズンに挑むことになる。

執筆者紹介:川端暁彦
 サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』元編集長。2004年の『エル・ゴラッソ』創刊以前から育成年代を中心とした取材活動を行ってきた。現在はフリーランスの編集者兼ライターとして活動し、各種媒体に寄稿。著書『Jの新人』(東邦出版)。
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