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なぜドルトムントはバス爆破事件の“翌日”に試合を戦えたのか

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ドルトムントはテロに屈しなかった

 ドルトムントの首脳陣やファンたち、報道関係者たち、そしてとりわけチームの選手たちの心は恐怖に支配された。11日に選手たちを乗せたバスがテロの標的となり、DFマルク・バルトラが右手首を折るという重傷を負ったのだ。

 しかし、このようなサッカー界に激震を走らせた大事件にも、翌12日にはまるで何事も起こらなかったかのように、選手たちはチャンピオンズリーグ準々決勝のモナコ戦に臨むこととなった。忌まわしい出来事をできるだけ速やかに頭の中から拭い去るには、正しい決断だったかもしれない。

 だが、なぜそんなことが可能だったのだろうか。

 午前中に全員で軽く汗を流してから昼食を取り、その後チームでミーティングを行う。これがドルトムントの日課だ。これによって、選手たちはいつもの試合日のリズムを取り戻すことができる。ルーティーンをこなすことによって、余計なことを考えず頭を空にして、フットボールに集中することができるのだ。

 しかし、たとえルーティーンをこなしたとしても、事件に巻き込まれた者たちにとって、恐ろしい出来事の影響からすぐに立ち直るのはもちろん難しいことだ。実際、事件直後にコメントを残した選手たちは恐怖に震え、不安に苛まれるコメントに終始している。

 一方で、テロ事件の後、試合は延期となり、選手たちは家で待つ家族たちのもとへ帰ることができた。慣れ親しんだ環境の中で早く落ち着きを取り戻し、信頼できる人々と言葉を交わすことができただろう。翌日に試合をするにあたり、自らの家で過ごすことができたというのは、テロ事件との心理的な距離を開けるといった点で大きく選手たちを助けたはずだ。

 それが良いことが悪いことかは定かではないが、チームがテロの翌日に試合を戦うことが決まり、テロ事件についてじっくりと思いを巡らす時間はなかった。もちろん、チームのバスを目がけてテロが実行されたこと、仲間のバルトラがケガを負って入院したこと、そして自分たちがそういった脅威にさらされる可能性があることは、試合当日になってもまだ全員の頭の中にあった。自分たちの体がバスの床に投げ出され、ガラスが散乱していた様子も、やはり忘れることは難しい。バスの窓から爆発を目の当たりにしたスベン・ベンダーが、オウンゴールを献上したのは偶然ではないと言えるし、後半から出場したヌリ・シャヒンは「ピッチに立つまでは正直サッカーのことは考えられなかった」と明かしている。

 ハンス・ヨアヒム・バツケCEOにしても、事件が起きた晩にスタジアムで次のように語っていた。

「選手たちはショック硬直の状態にある。ああいう類の光景は、そう簡単に頭の中から追い出せるものじゃない。何とかして、明日にはある程度ピッチに立って戦える状態になっていればいいのだが」

 一方で、クラブの会長であるラインハルト・ラウバルは、うまくいくと確信していたことも事実だ。

「何と言っても、選手たちはプロのプレーヤーなんだ。彼らは不本意ながらも事件を受け入れて、明日はちゃんと仕事をしてくれるものと私は思っている。テロを起こした者たちが、なおそれによって何かの影響を引き起こすことができるとすれば、それこそが最も望ましくないことだろう。監督も選手たちも正しい道を進んで、明日の晩は可能な限り最高のパフォーマンスを見せてくれるものと信じているよ」

 ドルトムントも世界中のクラブも、世の中が日常を取り戻すことを強く求めている。パリのテロ事件の後、誰もがテロに抗する姿勢を示そうとしたように、今度もまたそれを成功させなければならなかったのだ。

 トーマス・トゥヘル監督は「UEFAから『明日、君たちはプレーする』と言われた。しかも連絡は携帯メールだったし、まるでバスに投げつけられるビールの空き缶のような扱いだ」と不満を示しているが、ルール地方を地盤とするクラブには戦士たちがそろっていた。一部の選手たちは戦うことを決心し、困難な状況であってもピッチに立つことを拒まなかったことも明らかとなった。

 そしてファンも選手もクラブの首脳陣も固く結束する美しい姿がスタジアムでは見られている。

 残念ながら、試合は黒星という厳しい結果に終わったが、少なくとも選手たちはテロに屈することなくプレーすることによって、邪悪な企みが凱歌を挙げることを妨げようとしたのだ。彼らは、正常な世界が戻って来ることを強く求めているからである。

文=シュテファン・デューリング/Stefan Döring


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