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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:マイ・ウェイ(昌平高・古川勇輝)

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昌平高MF古川勇輝

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 小学生時代の思い出を話していた時のこと。「バルサ相手に2点決めて活躍したこともあったんです」。その左利きの高校生は衝撃的な言葉をさらりと口にした。テレビゲームの話ではない。れっきとした公式戦での話だ。小学校4年生からの4年間をスペインの地で過ごした17歳は今、埼玉を代表する強豪校で主力選手として躍動し始めている。

 最初にそのプレーを見たのは関東高校サッカー大会の準決勝。埼玉王者として大会に臨んでいた昌平高のボランチを任され、前半から存在感を放っていた古川勇輝は後半に爆発する。先制ゴールのアシストに続き、自らもミドルシュートを叩き込むと、アディショナルタイムにもエリア内まで飛び込み、チームの3点目を記録。ただ、それまでの献身的なプレーもあってか、シュートの瞬間に足が攣って派手に倒れ、これにはベンチのコーチングスタッフも大爆笑。絶対的な守護神としてチームメイトの信頼も厚い緑川光希も「僕も隠れて笑っていました」と素直に明かす。そして試合後。いろいろな意味でインパクトを残した古川について、藤島崇之監督からこんな一言が発せられた。「アイツ、スペインにいたんですよ」。本人にそのことを尋ねたところ、「サッカー留学で小学校4年生から中学校2年生までスペインに行っていました」と笑顔で認める。聞けば古川は高校2年生にして、かなり特殊なキャリアを歩んできていたのだ。

 もともと通っていた小学校の少年団に在籍していた古川は、その練習が土日に限定されていたこともあって、柏イーグルスTOR’82でも並行して活動するようになる。当時のライバルはイーグルスのチームメイトでもあり、現在は三菱養和SCユースでプレーしているU-17日本代表の中村敬斗。2人とも“飛び級”で上の学年のチームに入るような状況の中、揃って柏レイソルU-10のセレクションを受けたが、「最終選考まで行って『絶対に入れる』と思っていた」古川を待っていたのは、中村の合格と自身の落選という対照的な結果。9歳の少年は厳しい現実を突き付けられる。

 その悔しさをどう力に変えるかを模索している内に、自身のさらなる成長のため、「バルサが好きだったこともあって、スペインのサッカーを体験したいという想いがあった」という古川の意志を両親も尊重。度重なる家族会議の結果、それまでにも4度の短期留学を敢行していたスペインでプレーすることを決意すると、2か月ほど現地に行ってトライアウトを受け、所属チームを決めて再び一時帰国。お世話になった少年団のチームに県大会優勝という置き土産を残し、2010年8月に母親と妹の3人で古川はバルセロナへ移住することになった。

 普段は日本人学校に通っていたが、チームの共通言語はもちろんスペイン語。「短期留学である程度は理解できる状態」だったとはいえ、当然すぐにすべてが把握できる訳ではない。ただ、チームメイトとのコミュニケーションも「最初は難しかったですけど、フレンドリーな選手を中心にだんだん打ち解けていって、シーズンを通す上で仲良くなっていった感じですね」という。前述したFCバルセロナを相手に2点を決めた試合も、この渡西1年目のシーズンのこと。2年目のシーズンは同じカテゴリーで戦っていたFCバルセロナを倒し、リーグ優勝も達成するなど、自身のプレーにも少しずつ自信を深めていく。

 加えて古川にとって大きかったのは、カンプ・ノウという最高の舞台で世界トップレベルのサッカーを体感できたことだ。「スタジアムが大きいので上から見ることができて、誰が持った時にどういう動きをしているかとか、そういうのを何回も見たことで、今の自分があるんじゃないかなと思います」と当時を振り返る古川が、とりわけ参考にしていたのはペドロ。サイドハーフが主戦場だった彼は、「献身的なディフェンスだったり、マークを外す動きだったり、両足でシュートを打てる所とか見習う部分が凄く多かった」ペドロのプレーをスタンドから食い入るように見つめた。「あそこで海外基準を体感できたというのは良い体験だったと思っています」。“バルサ”の話になると自然と笑顔が増える。

 日本人監督が率いるクラブへ移籍した3年目のシーズンは、ケガに悩まされたこともあって、なかなか出場機会を得られず、4年目のシーズンはカタルーニャ州2部を戦うクラブに移籍。同じカテゴリーのリーグ戦では「家が近かったこともあって、何回か交流したこともあったんですけど、やっぱりバルサにいる選手なので良い刺激ももらいました」という久保建英とも対戦する機会があった。古川のチームもかなりの実力を有しており、FCバルセロナとの直接対決は引き分けだったが、最終的には得失点差で彼らに優勝をさらわれる。それでも2位に入ったことで1部昇格が決定し、確かな手応えを掴んでいたこの時期に、予想だにしない出来事が古川に訪れる。

 2014年4月。未成年者の国際移籍を禁止する規定に違反があったという理由で、FCバルセロナにFIFAから移籍市場での活動停止命令が下される。これにより、同クラブに在籍していた18歳未満の外国籍選手の公式戦出場が制限される事態が勃発。同じカタルーニャ州のリーグに籍を置く古川のチームでも、彼の公式戦出場が難しくなる可能性が出てきてしまったという。自身の今後について不透明な状況が続く中、家族との話し合いの末に「シーズンが始まってしまったらもう移籍はできないし、そこで1回登録されてしまって途中で公式戦に出られないとなったら、1年間を棒に振ることになってしまうので、それだけリスクを冒すんだったら、日本に帰ってやってみるのもいいんじゃないのか」という結論を下し、日本への帰国を決断。4年間に及ぶスペイン生活は意外な形で終止符が打たれた。

 2014年の夏。予期せぬ格好で日本に帰ってきた古川は、大宮アルディージャジュニアユースの練習に参加していた。実は帰国を考え始めていたタイミングで、偶然にも彼らがスペイン遠征でバルセロナを訪れていたのだ。いきなりエスパニョールとの練習試合に飛び入りで参加させてもらった際には、「まったくと言っていいほど自分のプレーができなかった」そうだが、帰国後も練習参加を許される。最初はなかなか持ち味を出せず、当時の監督からも厳しい言葉を掛けられたものの、「ここを逃したら行くチームがないので、『何が何でもアルディージャでやってやる』という死に物狂いの気持ちで」練習に取り組み、何とか入団という結果を手に入れる。少しの停滞を強いられていた古川の時間は、大宮の地で再びその針が動き出した。

「入って凄く良かったです」と自ら語る昌平との縁も、帰国した2014年の年末にあった。「アルディージャで一緒だった子のお兄ちゃんがいたこともあって、選手権にちょうど出た時の試合を見に行った」ことで昌平の存在を知る。翌年もプリンスリーグ関東で戦う試合へ何度か通っている内に、「見ていて『凄く面白いサッカーだな』と感じましたし、『ここでプレーできればまた新たな成長が生まれるんじゃないかな』と思って」入学を決意する。

 実力者の揃うチームの中で、トップチームでの出場機会を増やしたのは今年に入ってからだが、前述した関東大会では優秀選手にも選出されると、総体予選でも準決勝の浦和学院高戦で2ゴールを叩き込み、全国切符の獲得にきっちり貢献してみせる。「日本人に比べてスペイン人は自己主張が強くて、自分の意見をズバズバ言うのが向こうのやり方だったので、日本に帰ってからも自分の意見をみんなに伝えることができるのは、海外にいたからこそだと思います」という古川。「サッカーを見て常に考えるプレーというのを意識しているので、サッカーについて話すことは凄く楽しいですね」と言葉を続ける姿からは、紆余曲折があって辿り着いた昌平で、自身の成長を実感する日々を過ごしている様子が窺えた。

 言うまでもなく、自分を支え続けてくれている家族への感謝は強い。「スペインにいた時も日本に残ってもらったお父さんには、ただでさえ忙しい生活を常に送っていたのに、家でも常に一人で家事も一人でしたし、妹もスペインへ一緒に付いてきてもらう選択をしなくてはいけないということもあったので、そういう意味でも家族全員に凄く感謝しています」。その想いへ応えるために、自分にできることは十分過ぎるほど理解している。

「アルディージャの時に高円宮杯には出ているんですけど、試合出場はできなかったので、自分にとっては初めて」という全国大会に向けて、「スペインやこのチームで磨いてきたものが、どれだけ通用するのかが見られるのも楽しみの1つですし、まずはチームのために戦って、優勝を目指してやれたらいいなと思っています」と意気込みを語った古川。これから日本でのキャリアを積み上げていく上でも、この夏はきっと彼にとって大事な季節になることだろう。

 4強を経験した昨年度の全国総体を経て、「去年の選手たちがあそこまで行ったことで、基準がそこになったので、僕たちはそこを超えなきゃいけないなと思っています」と緑川も話した通り、明確に日本一へチャレンジする昌平。その中でも一際異彩を放つキャリアを歩んできたスペイン帰りのレフティが、そのベールを脱ぐ日もそう遠くはなさそうだ。



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