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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:悲願(立教大学体育会サッカー部)

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関東リーグ昇格を喜ぶ立教大の選手たち

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 後半アディショナルタイムのラストプレー。コーナーキックに上がってきたゴールキーパーが、ヘディングで同点ゴールを叩き込むという、信じられないようなシーンを目の当たりにした会場のどよめきは収まらない。その時、関根陸(4年=桐光学園高)は「逃げ切れるかなと思ったのに、なかなか簡単には関東に上げさせてくれないんだな」と実感していたという。それでも、41年ぶりの悲願を諦める気なんて毛頭ない。「最後は楽しんでやれ。入れられたのはしょうがないから、とにかく楽しんでやってこい」という倉又寿雄監督の声が選手を後押しする。このメンバーでサッカーができるのもあと30分だけ。白いユニフォームを纏ったイレブンは延長戦のピッチへ駆け出して行った。

 ちょうど1年前。立教大学体育会サッカー部は、40年ぶりの関東リーグ昇格を目指し、参入戦に当たる関東大学サッカー大会に挑んでいた。1勝1分けで迎えたグループリーグ最終戦。1点差負けまでが昇格決定戦に進出できる条件だった産業能率大との一戦は、2点を先制されたものの、後半に1点を返し、そのままゲームは終盤へ。時間はアディショナルタイム。あと少しで試合終了を迎えるその時、相手のシュートがゴールに突き刺さる。結果は1-3の敗戦。土壇場での失点が立教大の希望を打ち砕く。「残り1分だけ守れば良かった」(倉又監督)、その1分を耐え切れず、彼らの2016年は幕を下ろすこととなった。

『“1分”や“勝ち点1”の重み』(倉又監督)の大事さを胸に刻んでスタートした新チーム。キャプテンに指名された関根が、まず着手したのはピッチ外のこと。「関東に上がるためにはそういった所もしっかりできる団体にならないといけない」という想いから、主務の江野優真(4年=初芝橋本高)と2人で「それぞれの選手の特徴や、どういうことを考えているのかを話すことによって、それをチームに反映するために」150人にも上る部員全員と面談を行った。

 また、遅刻に関しても厳格なルールを設ける。前年度まで特別なペナルティはなかったが、今シーズンは遅刻した場合、3日間は練習へ参加できないことになった。それはレギュラーであろうとなかろうと。指導陣も「1週間で2日以上練習を休むヤツは試合に使わない」と明言していたため、必然的に遅刻した選手が週末の試合に出場することはない。「正直な話、まだ遅刻するヤツもいて発展途上の段階なので、あまり効果があったかどうか…」と関根は苦笑いしながら話したが、倉又は「自分が就任してから少しウチには“甘さ”があったけど、そういう所も今のキャプテンが厳しくやってくれた」と評価を口にする。

 キャプテン同様、あるいはそれ以上にチームの輪をより強固なものにした立役者は主務の江野だという。彼を中心にして、部室やクラブハウスの使い方など、守るべきルールをホワイトボードへ書き出すことで、その徹底が図られていく。さらに、いくつも分かれている各カテゴリーの試合結果も一覧でホワイドボードに表示。「あまり他のカテゴリーの結果とかも知らずに、それぞれがバラバラでやっている部分もあったので、そこの部分の透明化は良かったと思います」とは同じ4年生の小椋健史(浦和西高)。関根も「みんなの見えない所で試合を組んだりとか、事務的なことをやってくれて、本当に一番頑張ってくれたのは江野だと僕自身は思っています」と主張する。

「揃ってメチャメチャマジメで、絵に描いたようなキャプテンと主務」と小椋が笑いながら表現した関根と江野に引っ張られる形で、少しずつ部の雰囲気も変わっていく。その変化を認めるのも倉又監督だ。「やっぱり大学生なので、何でもかんでもこっちが言ってその通り、という訳じゃなくて、選手が『関東に上がるために何をやらなきゃいけないのか』というのを自ら考えてやってくれたのが今年のチームで、そういう意味では成長したのかなと思うね」。関根も「意識の高い選手が多くて、付いてきてくれる選手も多かった」と言及した4年生を中心に、150人もの部員のピッチ外に対する意識は改善されつつあった。

 ピッチ内では監督就任3年目の倉又が刺激を加えていく。一昨年、昨年と後期に入って成績が下降する傾向にあったため、5勝4敗で前期を終えた後、Aチームの人数を44人まで増やして競争意識を煽る。「44人ということは1つのポジションに4人はいる訳だから、サボったらすぐに落とされるし、下から上げられちゃうという気持ちもあって、その競争意識が良かったかな」という指揮官は、「自分が来て3年目として、本当に勝負に出なくてはいけないということで、今年は戦い方も『1年間変えないでやるから』と。それもAチーム、Bチーム、Cチーム関係なく、『こういうことをやろう』というのがある程度あった」とも続ける。結局、チームは後期に入って何と無敗を記録。「本当にサボるやつもいないし、ピッチの中で自分のできることを一生懸命やってきてくれた」(倉又監督)集団は東京都リーグ1部で2位に入り、今年も参入戦へと駒を進めることになる。

 グループリーグ初戦は0-2で落としたため、「負けたら決定戦に進むことができないという、凄い緊張感の中の」(関根)2戦目は5-1で快勝。3戦目は直前に行われていた他チームの結果により、引き分け以上が昇格決定戦進出の条件となる。2点を先制し、2点を返されたゲームは、再び立教大が勝ち越すも、後半終了間際に失点を喫し、たちまち同点に。関根の脳裏に1年前の悪夢がよぎる。それでも何とかそのままのスコアでゲームをクローズし、PK戦には敗れたものの、2位でグループリーグを通過。「この年代で、この150人で上がるという気持ちで、この1年間やってきた」(倉又監督)チームは昇格決定戦への切符を勝ち獲り、とうとう“41年ぶり”に王手を懸けた。

 11月19日。決戦の日がやってくる。相手は国際武道大。逆側のグループを首位で抜け出してきた難敵だ。「総監督にも『歴史を変えられるのは人生でそうそうないからチャンスだぞ』と言われていた」と小椋も明かしたように、立教大の歴史を塗り替えるためのゲームは、開始わずかに2分で動いた。4年生の黒田佳吾(正智深谷高)がコーナーキックを蹴ると、2年生の井浦智史(東久留米総合高)が合わせたヘディングは、そのままゴールネットを揺らす。湧き上がる紫の応援団。早くも立教大が1点のリードを奪う。

 前半は一進一退の展開が続き、1-0でハーフタイムへ。迎えた後半も拮抗した流れの中で、立教大にも数度の決定機が訪れたが、追加点を挙げるまでには至らない。後半39分に国際武道大が掴んだビッグチャンスも、立教大ディフェンスがゴールライン上で決死のクリア。時計の針は着々と進んでいく。

 そして、倉又も「もう絶対逃げ切れるなと思っていた」後半のアディショナルタイム。ほとんどラストプレーが予想された国際武道大のコーナーキック。青と白のユニフォームが混在するエリア内に、赤いユニフォームを着た選手が最後方から駆け上がる。キッカーが丁寧に蹴り込んだボールに“赤”が舞うと、頭に当てた軌道は右スミギリギリのゴールネットへ吸い込まれていく。土壇場で同点弾を記録したのは何と国際武道大のゴールキーパー。“山の神”を彷彿とさせるような信じられないゴールが生まれ、昇格決定戦は延長戦へともつれ込むことになった。

 奇跡的なシーンを目撃したスタンドは興奮とどよめきが収まらない。指導歴で言えば25年近い倉又でも「もちろん初めて」というゴールキーパーに許した失点。それが悲願達成目前のチームを襲ったとあれば、その心中は察して余りある。関根も「逃げ切れるかなと思ったのに、なかなか簡単には関東に上げさせてくれないんだな」と実感していたという。

 ただ、不思議とチームは、この局面で冷静さも持ち合わせていた。「『4年生とやれるのもあと30分だけなんだ』というのを考えたら、余計に『勝ちたい』と感じましたね」と話すのは2年生の佐藤大雅(光陵高)。小椋も「PKの練習も何度かしていたんですけど、あまりみんな得意じゃないので、『絶対に延長後半までに終わらせるぞ』というのはずっと言っていました」と振り返る。「最後は楽しんでやれ。入れられたのはしょうがないから、とにかく楽しんでやってこい」という倉又監督の声が選手を後押しする。このメンバーでサッカーができるのもあと30分だけ。白いユニフォームを纏ったイレブンは延長戦のピッチへ駆け出して行った。

 延長前半9分。追い付いた勢いそのままに、国際武道大がゴールを奪い、逆転に成功する。「あの失点には心が折れ掛けました」と関根。ところが、立教の執念はその2分後に形となって現れた。黒田の左FKから、3年生の井上瑠寧(桐光学園高)が足を攣らせながら残した球体を、「当てるだけで良いボールを上げてくれたので、逆にアレは緊張しましたね」という小椋がヘディングでゴールへ流し込む。2-2。激闘のスコアは再び振り出しに引き戻される。

「みんな10何年と長い間サッカーをやってきて、その集大成として『残り何分できるか』と考えた時の気持ちの部分が、今日の試合の4年生にはあったはずなので、その4年生中心に最後はうまく引っ張れたのかなと思う」(小椋)。延長後半10分。左サイドを4年生の宮城良壽(那覇西高)が切り裂き、グラウンダーで入れたクロスはファーへ抜ける。「足も疲労が来ていて、ここぞという時に走れるためにちょっとパワーを残していたので、『そこにこぼれてくるかな』と思って走りました」という佐藤が蹴り込んだボールは、歓声と共にゴールネットへ到達した。

「時が止まった感じで、結構余韻があったんですけど、そこで声援が聞こえてきた」という佐藤が雄叫びと共に疾走を始めると、スタンドの選手たちもピッチまで駆け下りてくる。「誰が来ているのかわからなかったけど、本当に昂っちゃった」2年生ストライカーを中心にできた狂喜の輪。そこから慎重に、慎重に、時間を潰していく。一度あった相手の決定機は、1年生守護神の瀬尾光宏(三田学園高)が懸命に弾き出す。延長後半のアディショナルタイムは1分。ちょうど1年前。ほんの数十分前。もう同じ失敗は繰り返さない。最後の“残り1分”が様々な想いと共に消え去り、タイムアップを告げるホイッスルが150人の耳に届く。「劇的だよね。こんなのないよ」と笑ったのは倉又監督。壮絶な120分間を経て、立教大は“41年ぶり”の悲願を自らの力で手繰り寄せた。

「優しい"おじいちゃん"です(笑) だからこそ、たまに厳しいことを言われると響くというか、メリハリを持った方だと思います」と関根も笑顔で言及した倉又の手腕は語り落とせない。FC東京のトップチームやU-18、日本体育大でも監督を歴任してきた倉又が、立教大の指揮官として招聘されたのは2015年。その就任を意外と見る向きもあったが、「サッカー界ではどのチームを見ても変わらないと思うし、それはジュニアユースでもユースでも、大学でも変わらないと思う」というスタンスの彼にとって、指導の場に立てることは何よりの喜びでもある。健康面から最近は選手とボールを蹴る機会こそないものの、「今でも一緒になって混じってやりたいもんね。それが楽しいんだから」と話す表情に、“サッカー少年”のそれと大差はない。

 その反面、当然プレッシャーも小さくなかった。「ある程度試行錯誤しながらやっていたけど、『そんなに甘いリーグじゃないな』というのは1年目でわかった」中で、2年目もあと一歩で目標には届かなかった。ただ、「FC東京でもいろいろな経験をさせてもらったので、その中で『自分なりに何ができるのかな』というのを考えて」、ピッチ内外でチームを創り上げていこうとした姿勢が、選手たちとうまくマッチしたのは間違いない。試合後に嬉し涙を流す選手やマネージャーを見て、「スゲーかわいいなと思う。孫って言うほど年は離れてないけどさ」と笑いながら、「去年どうしても上げたいって気持ちがあって、今年はそういう面でプレッシャーを感じながらやってきたので、こうやって結果を出せて本当にホッとしてる。『嬉しい!』っていうんじゃなくて、ホッとしてる」と呟くように言葉を紡いだ姿から、58歳の本音と苦労が偲ばれる。

 キャプテンの胴上げが終わった直後。取材者に囲まれていた指揮官へ、部員たちの視線が遠慮がちに注がれる。「行った方がいいんじゃないですか?」と促しても、「いやいや、大丈夫だよ」と首を振る倉又の背中を無理やり押すと、あっという間に大勢の輪に取り囲まれた。1回。2回。小柄な体が宙を舞う。「倉又リッキョー!倉又リッキョー!」。FC東京時代に聞き慣れた節のチャントを部員たちが合唱する。「立教大学の歴史にコイツらの名前が刻めたので、それも良かったよね」。倉又の指導者キャリアにまた1つ、誇らしい勲章が加わった。

「自分たちの代の中では『絶対に関東に行こう』というのは1年生の時から言っていて、本当に意識の高いヤツらがいっぱいいて、自分たち4年生の『関東でプレーしたい』という目標は叶わなかったんですけど、その夢はしっかり後輩たちに託したいと思います」とキャプテンの関根はエールを送ってくれた。ここからはもう“悲願”ではなく、“現実”が彼らを待っている。40年分の想いを乗せて、立教大が新たな一歩を力強く踏み出した。
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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史


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