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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』: “まだまだ”のキャプテン(前橋育英高・田部井涼)

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前橋育英高の主将MF田部井涼

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

「このチームにはもうないですね。日本一を獲れましたし、本当に自分が厳しいことを言っても付いてきてくれたので、仲間に感謝しかないです」。答えは思った通りだった。ただ、「けど、個人的にはもちろんあります。“まだまだ”って気持ちは。全然ありますね」と言葉は続く。納得した。改めて感心した。ようやく日本一に辿り着いたタイガー軍団のキャプテン。田部井涼の1年間は“まだまだ”と向き合い続ける日々の連続だった。

 昨年の1月下旬。選手権が終了して1か月も経たない頃。県の新人戦を制した直後に、新キャプテンへ就任した涼に話を聞く機会があった。「今年は我の強い“やんちゃ坊主”が本当に多くて、文句が出ている練習も多いんですけど、自分はそれで全然いいと思っていて、それをどうまとめるかというのが自分の使命なので」「1月9日は本当に忘れられない日で、山田が優勝の盾を掲げた瞬間は本当に悔しかったので、あの残像が今の原動力ですね」。淀みなく次々と言葉が出てくる。第一印象は聡明でしっかり者。「今年は田部井涼のリーダーシップがありますので。彼は違います」と山田耕介監督が口にした意味もすぐ腑に落ちた。

 その時の印象は今でも変わらないが、以前は時折“やんちゃ坊主”な一面も顔を覗かせていたという。2年生の夏。チームの調子が上向いてくるにつれ、自身のパフォーマンスも上がってきた実感があったにもかかわらず、出場機会を得られない。不満を募らせた涼は、監督に提出するサッカーノートをこの1行で終わらせた。『なんで出れないんですか?』。怒られるのを覚悟で翻した“反旗”。しかし返ってきたノートを見て、涼は驚かされる。「ちゃんと理由を書いてくれたんですよ。ノートの半分は監督の指示で埋まっていて、『デュエルを強くする』とか、『リーダーシップに期待する』とか、『セットプレーの質をもっと上げる』とか書いてくれたので、『これはちゃんと書かないとまずいな』と。そこでやっぱり『監督は凄いな』と思いましたね」。

「その時は結構アホだったんで(笑)」と自ら振り返るその出来事があってから、それまで以上にサッカーノートへ力を入れるようになった。今では山田監督も「田部井涼とは、物凄く的確にちゃんと書いてあります。チームの課題だったり、『どういうふうにやっていかなくちゃいけない』とか、『ここで切り替えなくちゃいけない』とか、よく書いてありますよ。他の子と全然違いますね」と認めるが、「悠の方が書くのは凄いです」とも指揮官は笑いながら教えてくれた。

 また、涼はキャプテンとしてサッカー面のみならず、私生活の部分に関しても、チームメイトに高い意識を求め続けてきた。キッカケは言うまでもなく“0-5の埼スタ”。後半29分から出場したものの、何もできないまま、試合終了のホイッスルをピッチで聞いた。「やっぱりあそこで良いプレーができなくて、『何でできないんだろう?』と思った時に、自分も私生活が全然ダメだった」ことを痛感した涼は、まず自分の日常を変える努力に着手する。授業中は寝ない。きちんと挨拶する。グラウンドを綺麗にする。「そういう所もしっかり自分からやっていかないと人には伝わらないと思うし、『アイツやってないじゃん』みたいなことも言われちゃうので、やっぱり自分から変わるというのが一番でしたね」。

 そんな彼には2人の目指すべきリーダーがいた。1人は昨年度のキャプテンを任されていた大塚諒(立教大)。もう1人はやはり昨年度の部長を務め上げた長澤昂輝(東洋大)。「あの人たちも裏では相当悩んだと思うんですけど、表では本当にそれを出さなくて、笑顔で振るまったり、後輩にも話しかけてくれたりしていて、そういう所をずっと見てきたので、そこは真似をしていますね」。とりわけ長澤の姿勢には想う所が多々あった。「昂輝さんは自分より厳しく言っていたんです。たぶん嫌われるのを覚悟で目標に向かって頑張っていたと思うので、その背中をずっと見ていた自分も『やらなきゃ』って思いましたね」。サッカー面では双子の兄の悠や角田涼太朗たちも意見を発信してくれる。「自分はそれ以外の所を厳しく言うのが使命」と覚悟を決めた。

 とはいえ、大人でもそんな役回りを務めるのは容易ではない。ある時、涼がふとこうこぼしたのを強く記憶している。「疲れますよね。体力的には全然大丈夫ですけど、精神的には。『言う』って簡単なことじゃないので、嫌われると結構精神的に来ます」。それでも部長の塩澤隼人と共に、皆の模範となるよう心がけつつ、チームメイトには常に厳しい言葉を掛け続ける。すべては、あのスタジアムで日本一になるため。すべては、このチームで日本一を獲るため。

 9月上旬。準決勝で流通経済大柏高に敗れた全国総体が終わり、公式戦が少し空いたタイミングで、涼は新チームになって2度目となる3年生だけのミーティングを提案した。夏までトップチーム以外の最上級生は同じチームでプレーしていたものの、リーグ戦に臨むカテゴリーが明確に分かれたことで、それぞれの選手間に意識のギャップが生じていることを、敏感に察知したからだ。「この学年で日本一を獲りたいので。やっぱり試合に出ている人だけが頑張っても、選手権は勝てないじゃないですか。ベンチやスタンドを見ていて出てくるパワーというのが、僅差の勝負を分けると思うので、ミーティングをやりました」と涼はその時を振り返る。

 そもそも名門で知られる前橋育英の門を叩いている選手たちだ。当然皆が自信とプライドを持ち合わせ、黄色と黒のジャージに身を包んでいる。「もちろんトップ以外の選手も上手い子が多い訳で、俺らが『やれよ』と言っても、彼らにもプライドがありますし、そこをどうまとめていくかは『少し大丈夫かな?』という気持ちはありましたけど、みんなちゃんと話を聞いてくれていたので、そこは本当に良かったですね」。

 キャプテンの想いが伝わってか、以降は3年生のトレーニングに臨む雰囲気も日に日に良化していったという。県の1部リーグで優勝を飾ったBチームのメンバーが、選手権予選中にAチームへ加わったことも、グループの活力を一段階引き上げた。県の決勝は試合終盤に悠の劇的なゴールが生まれ、全国への切符を手に入れる。「良い雰囲気を練習から創り出せれば、たとえ自分たちの調子が悪くても、『これだけやれば大丈夫』というのが見えてくると思うので、その雰囲気は確実に良くなっていると思います」。キャプテンはこう言って、少しだけ胸を張った。

 彼との会話を積み重ねる中で、頻繁に出てくるフレーズがあった。それは“まだまだ”と“もっともっと”。一度聞いてみたことがある。「“まだまだ”とか“もっともっと”ってよく口にするけど、満足することはなさそうだね」と。すぐに答えが返ってくる。「ないですね。100点満点とかそういう考え方がないので。満足してから切り替えるのは結構厳しいと思うんですよ。『これでできるじゃん』とか、『このままやればいいじゃん』という気持ちがあっても、その中でも刺激と競争が必要なので、常に『このままじゃいけない』というのはチーム全体に伝えていますね。たぶん自分がサッカーをやめるまで、満足することはないと思います」。“まだまだ”と“もっともっと”。その口癖に飽くなき向上心が滲む。

 年が明ける。1月3日に行われた選手権3回戦。富山一高と対峙するピッチには、苦悶の表情を浮かべる涼の姿があった。「膝の上の所に相手の膝が2,3回入って、右足が動かなくなっちゃった」状況の中、「監督には『チームに迷惑を掛けそうなら替われ』と言われていたんですけど、『ここで自分が抜けたらチームがやってきたことが出せない』と思って」プレーを続ける。

 0-0で突入した後半アディショナルタイム。飯島陸に決勝弾が生まれ、辛うじて準々決勝へと駒を進めるが、「振り返ってみると、陸のゴール以外は痛みしかないですね」と試合後に話した涼。山田監督も「難しいね。決勝まで行ってやっと戻って来れるくらいかな」と首を振る。1年間追い求めてきた日本一という絶対的な目標を前に、意地悪なサッカーの女神は、最後の試練を涼に与えた。「オマエがいなくてもチームは戦えるのか?」と。「オマエが築いてきたチームはホンモノか?」と。

 帰ってきた埼玉スタジアム2002のミックスゾーン。「昨日は3点で、今日は6点取ったので、『俺がいるより点取ってんじゃん』という気持ちはありますけど(笑)」とキャプテンは笑顔でそう語る。涼が不在だった準々決勝と準決勝に、それぞれ3-0と6-1で勝利した前橋育英は、とうとう1年前と同じ舞台に辿り着く。涼は外から見ていたからこそ、改めてチームの“今”を客観的に見つめることができた。「たぶん自分が厳しいことを言ってきて、『何だよ』と思っていた選手もいると思うんですけど、それでも自分とシオに付いてきてくれましたし、チーム一丸となって厳しいことも辛いことも乗り越えてきたので、自分がいなくても大丈夫だったのかなと思います」。

 数えきれないほど悩み、葛藤してきた。心を鬼にして、仲間を叱咤してきた。その過程は気付けばチームを、彼がいなくても一丸となって戦える位置にまで引き上げていた。そのことが何より嬉しかった。自身の想いが報われたか否か。その手応えを問われた涼は、それでもこう口にする。「そう思えるのは日本一になってからだと思います。厳しい試合を勝ってきたのは、私生活の徹底だったりとか、本当に積み重ねが出たのかなと思いますけど、最終的に結びつくのは日本一なので、日本一になってから、『あの時にあんな厳しい言葉を言って良かったな』と思いたいですね」。すべては、あのスタジアムで日本一になるため。すべては、このチームで日本一を獲るため。その想いを結実させるべく、とうとう最後の1試合が幕を開ける。

 スタジアムにはまだ、直前に生まれた劇的な先制ゴールの余韻が残っている。1秒ずつ時間が消えていく。1秒ずつ終わりが近付いてくる。そして、タイムアップのホイッスルが曇天の空に吸い込まれた。膝の力が抜ける。視界が滲む。「安心感が一番ですね。ここで負けてしまったら本当に1年間やってきた意味がないので、ホッとした涙が出ました」。夢にまで見た日本一。1年前は下から見つめることしかできなかった、表彰台の真ん中で優勝旗を掲げる。高校サッカーのエンディングには、このチームのみんなで見ることを願い続けた「あの景色」が待っていた。

 大勢のメディアに囲まれる中、可能な限り質問者の方に体を向けて答える姿に、日本一のキャプテンが培ってきた人間性が滲み出る。少なくとも“反旗”の頃の名残は微塵も感じられない。実は最後の選手権に入ってから話を聞いてきた中で、1つ気付いたことがあった。以前はあれだけ頻繁に登場していた“まだまだ”と“もっともっと”は、ほとんど涼の口から発せられなくなっていたのだ。バスの出発の時間が近付いてきた。絶対に聞きたかった質問をぶつける。「日本一になった今でも、“まだまだ”と“もっともっと”って思ってる?」。

「このチームにはもうないですね。日本一を獲れましたし、本当に自分が厳しいことを言っても付いてきてくれたので、仲間に感謝しかないです」。答えは思った通りだった。ただ、「けど、個人的にはもちろんあります。“まだまだ”って気持ちは。全然ありますね」と言葉は続く。「プレーでもセカンドを拾う所で、『菊地泰智には絶対拾わせたくねえ』って思ったんですけど、何回か拾われてましたし、そういう所からも“まだまだ”というのはもちろんありますね。自分はあまりサッカーが上手いタイプではないので、向上心というか、“まだまだ”という気持ちが、ここまで自分を成長させてくれた一番の大きな要因かなと思います」。納得した。改めて感心した。

『まだ』を広辞苑で調べると、「もっと。さらに」という意味の他に、「この時期にあることが実現していない意を表す」とも記されている。きっと田部井涼の“まだまだ”は自ら話していた通り、サッカーをやめる日が来るまで、あるいはサッカーをやめた後でも、決して消えることはなさそうだ。そして、今を“まだまだ”と願うその心は、彼が田部井涼であり続ける最大の理由でもある。


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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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