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「2年半後、どこの国におるか分からない」MF堂安律、進化し続ける19歳が描く未来像

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フローニンゲンMF堂安律

 昨年6月にG大阪からオランダのフローニンゲンへの期限付き移籍を果たしたMF堂安律。海を渡ってから半年、順風満帆な船出とはいかなかったものの、見事に苦境を脱してチームの主力へと成長した。凄まじい勢いで進化を遂げる左利きのアタッカーがオランダでの生活、そして自身が描く未来像を語った(インタビューは1月4日に実施)。

コミュニケーションも大事だけど
結果を残せばすべてが変わった


――オランダのフローニンゲンに移籍して半年が経ちましたが環境には慣れましたか。
「ピッチ内もそうですけど、ピッチ外のコミュニケーションの部分、いろいろな面で人としても成長できているので手応えを感じています」

――初の海外移籍でコミュニケーションの部分での苦労はありませんでしたか。
「他の日本人選手がどういう感じかは僕には分かりませんが、確かにコミュニケーションで苦労するとは聞いていました。そこは何とかしないといけないと思っていたけど、何とかなりました(笑)。とりあえず、自分からご飯に誘うようにしたし、チームの集まりには絶対に参加するようにしたら、自然とチームに溶け込めましたね」

――英語での会話も問題ないと?
「僕は全然話せないけど、いけてるはずです(笑)。よく一緒にいる選手がチェルシーからレンタルで来ているロンドン出身の選手(トッド・ケイン)で、そのおかげで勉強になっているし、週に2回くらいは英会話の勉強をしているので上達していると思います。ただ、通訳をつけていないし、日本人もいないので、完全に一人で寂しいときもあります。寂しくなったら絶対に誰かに電話していますもん」

――それでも新たな環境で、その輪の中に入れるのが堂安選手の持ち味ですね。
「僕も最初の1か月は家にこもるという言い方は悪いですけど、家におる時間が長かった。ただ、『このままじゃアカン』と感じたし、何か行動に変えないとと思ったら、チームメイトとご飯に行くようになったし、遊びに行くようになった。僕の家でゲームをしたりしますよ。最初は車内で2人きりで喋れないからしんどいこともあったけど、今は何とかなります」

――ピッチ上では開幕スタメンを飾りながらも、その後リーグ戦4試合出場がありませんでした。
「どうやって、この状況を変えればいいのか、どうすれば、この状況を変えられるんだろうと思いましたね。そのときに、改めて海外で活躍している日本人選手のすごさを実感した。出られないときに頑張ってきたからこその活躍なんやろなって感じたので、僕も腐らずにやろうと思った」

――その間、エルネスト・ファベル監督とのコミュニケーションは?
「2戦目のアヤックス戦で先発を外されたときに監督のところに行ったら、『守備の戦術だ』と言われましたが、正直納得はしていなかった。ただ、1戦目の自分の出来が良ければ使われていたやろうから、『俺のせいや』と言い聞かせ、そこを言い訳にせずにトレーニングに励もうと思った。コミュニケーションはそんなに苦労しなかったけど、監督に自分の意見をうまく伝えることは難しかったですね。ドイツに住んでいて英語を話せる代理人に『この日に来てほしい』と伝えて、監督と話しをすることもあったけど、細かい部分まで伝える難しさはかなりありました」

――苦しい状況を脱するために意識したことは。
「とにかく練習しました。もちろん、コミュニケーションも大事だけど、結局ピッチ内でのプレーが一番だと思ったので、プレーで黙らせる覚悟を持って毎回の練習に参加していた。一番最後にピッチを後に出るようにして練習しまくったし、とにかく点を取ったら、何かが変わると思ったので、シュート練習もかなりした。あの時期が一番練習しましたよ、ホンマに小学生の気分に戻ったようにボールを蹴りました」

――そして、ピッチ上で結果を残し始めます。
「ピッチ外のコミュニケーションも大事だけど、結局はピッチ内での結果が重要で、それなんやろうなと感じた。試合に出続けることで徐々にチームメイトの信頼を感じられるようになって、今ではかなりパスも集まるようになってきたなというところです。海外でプレーするのに何が一番大事かはホンマに分からないけど、結果を残せばすべてが変わったという感覚が僕にはあって、すごく速いスピードでチームメイトとの距離が縮まったと感じています」

――トップリーグでここまで試合に絡むのは初めてです。
「ガンバにいるときにJ1リーグで出た試合数(15年2試合、16年3試合、17年10試合の計15試合)と、フローニンゲンで出た試合数(リーグ戦13試合、カップ戦2試合の計15試合)が並んだし、去年はガンバでの半年で4点(リーグ戦3点、ACL1点)を取って、フローニンゲンでも4点(リーグ戦3点、カップ戦1点)を取っているので、すごく濃い半年やったなと思います」

活躍して早く上に行かないと
ホンマ危機感になっている


――試合に出続けることで、今までとは違う成長も感じると思います。
「僕は試合に出ないと意味がないと思っていたので、この若さでオランダという地を選んだのもそういう理由でした。そして、すごく意味のある出場機会を得られたと思う。コンディションの作り方とかは、今までハードに試合をこなしていなかったので難しさもあったけど、どうしたらいいのかを試行錯誤しながら、うまくできた半年間だったと思います」

――Jリーグとは違う成長も?
「日本人選手は本当に技術が高いし、うまいので、そこに対して成長したかと言われたら、正直分からない。ただ、強さであったり、速さの部分、フィジカル的な部分は成長できたと感じています」

――昨年5月のU-20W杯前に「人生変えます」と話していましたが、人生を変えている気がします。
「いやいや、まだまだ変わってないですよ。あの大会が変わるきっかけにはなりましたが、これからももっと人生変えていきたい」

――ただ、堂安選手の言葉には力があり、「一日でも早く海外に行きたい」などの言葉をしっかり実現してきているように思います。
「自覚はないです(笑)。ただ、海外でプレーしたかったけど、今の状況も理想的とは言えません。ガンバでデビューしたときから海外で活躍したいと思っていたし、夢は大きく持っていたけど、やっぱりガンバを優勝させてから海外に行くのが理想でした。ガンバでの活躍は自分としては納得いかなかったので。ただ、よく言うじゃないですか、言葉にしたら夢は叶うっていう、言霊っていうんですかね。言葉にすれば自然と、そっちの方向に向かおうと努力するので、言葉にするようにはしています」

――自分の立ち位置をしっかりを考えて、しっかり努力すれば達成できるものを口にしていると感じます。
「目標設定は絶対にするようにしています。その中で僕は誰かと比較した方が頑張れるタイプなので、例えば本田(圭佑)選手や香川(真司)選手が何歳で海外に行って、何歳で代表に入ったというのは意識しているし、香川選手は19歳で代表デビューしていたし、身近で言えば宇佐美(貴史)選手が20歳でチャンピオンズリーグ決勝のベンチ入りをしていたと考えると、危機感しかないですね。僕も早く活躍して早く上に行かないと。世界を見ると(キリアン・)ムバッペ(パリSG)が同い年で活躍しているので、ホンマ危機感になっています」

――オランダでプレーを続けた先に、どういう自分が見えていますか。
「やっぱりステップアップする場所としてはベストな国を選んだと思う。ここで活躍すれば、プレミアリーグやブンデスリーガに行けると思うので、イメージとしては東京五輪のときにはチャンピオンズリーグに出場するクラブにいたい。東京五輪は22歳で迎えますが、それまでの伸びしろが半端ないと思うんですよ。だから、それまでにチャンピオンズリーグに出場するチームでプレーするイメージがあって、東京五輪が終わって23、24歳になったら勝負しに行くというか、ビッグクラブでプレーするという夢を持ちたいなと思っています」

東京五輪はA代表の選手として
決して夢ではないと思っている


――東京五輪世代の監督が森保一監督に決まり、チームはAFC U-23選手権に出場します(インタビューは1月4日実施)。始動の段階でチームに参加できない焦りはありますか。
「いや、焦りというよりも、ただ単純に一緒にサッカーをしたかったなという気持ちです。U-20W杯のチームは、ホンマに優勝を狙えるんちゃうんかというくらいチーム力があったので、そのチームでサッカーができたのは人生で一番楽しかったくらいです。ホンマに楽しかった思い出なので、あのメンバーと集まって、また一緒にサッカーがしたいですね」

――そのときのメンバーで、G大阪でもチームメイトだったDF初瀬亮選手が昨年12月のE-1選手権でA代表に初招集されました。
「(バヒド・)ハリルホジッチ監督は東京五輪世代も見ていると思ったし、この世代から誰か入るとは思っていた。(中山)雄太(柏)くんも試合にすごく出ていたので、雄太くんや亮くんもそうだけど、若い選手は誰か入るだろうなと。それが、たまたま元チームメイトの亮くんだったというだけです。A代表は元々、身近な目標だったので、亮くんが入ったことで『負けてられへん』という気持ちはありましたが、元々持っていた『A代表に入る』という気持ちにプラスされたという感じです」

――以前、東京五輪のときには、A代表でバリバリプレーしているのが理想と話していました。
「そこはブレないですね。オランダに行く前にそういう話をしたと思いますが、オランダに行ってプレーすることで、その目標には辿り着けると感じています。もちろん、今のままではダメだと思うけど、僕がしっかり努力を続けていれば、それは決して夢ではないと思っています」

――ご自身のプレーを支える『マーキュリアル』を履き始めて、どれくらい経ちますか
「高校3年のときから履き始めて今2年目ですが、やっぱり性能が自分にすごく合っている。僕が小さい頃に見ていたアタッカー、目立っている選手がマーキュリアルを履いていたイメージだったので、履きたいと言い始めました。僕は目立ちたがり屋だし、マーキュリアルは派手なカラーでインパクトがあるので気に入っています。さすがにプロになってからは、より性能のことを意識し始めましたが、履きたいという気持ちと性能を照らし合わせてみても、やっぱり一番は『コレだ!!』って感じですね」

――スパイクへのこだわりを教えて下さい。
「一つは軽さを重視しています。ただ、マーキュリアルはモデルが変わるたびに、僕の理想に近付いていってくれているので、今後どうなっていくのかなって恐ろしいくらいです」

――ちなみに憧れていた選手というのは?
「クリスティアーノ・ロナウド(レアル・マドリー)でしたが、今ではマーキュリアルといえばネイマール(パリSG)のイメージが強いですね。プレーだけでなく、言動もちょっとやんちゃというか、何か世間をにぎわすような感じじゃないですか。やんちゃが好きとかじゃないですけど、そういう雰囲気が格好いいなって思っていました。プレースタイルが違うから何とも言えないけど、得点能力はずば抜けているし、彼がボールを持つと皆がワクワクすると思う。そういう選手にホンマになりたいから、スタイルは違うけど、華やかさは近づいていきたいですね」

――フローニンゲンでは途中交代する際にスタンディングオベーションされることもありました。それだけ、観客を沸かせていると思います。
「最近やっとですもん(笑)。まだまだ、チームを勝たせる得点やアシストができていないので、もっともっと成長して、もっともっと見ていてワクワクさせる選手になりたいです」

――J1デビューしたのが15年6月で、2年半が経ちオランダでプレーしています。東京五輪まで同じ時間が残されています。
「東京五輪まで同じだけの時間がありますからね。今までの成長を考えたら、すごい成長ができますよね。デビューしてから同じくらいの時間があったら、2年半後、僕はどこの国におるか分からないですよ(笑)」

(取材・文 折戸岳彦)
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