beacon

『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:恩師(V・ファーレン長崎・高杉亮太)

このエントリーをはてなブックマークに追加

34歳にしてJ1デビューを果たしたV・ファーレン長崎DF高杉亮太

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

「たぶん誰も僕がJ1のピッチに立つなんて思っていなかったと思いますし、僕も狙ってはいたんですけど、『長崎で無理だったらもうないな』と思っていました。そのぐらいの、確率的に言ったら小さなものでしたけど、しっかりその小さな確率をモノにできたのは、やっぱり周りの人のおかげだったと思います」。2018年2月24日。J1リーグ開幕戦。34歳にしてとうとう日本最高峰のステージへ辿り着いた高杉亮太は、そう周囲への感謝を口にする。そして、スタンドからはそんな彼の昔を知る1人の“恩師”が、静かにピッチを見つめていた。

 地元出身の高木琢也監督に率いられ、Jリーグ加盟6年目にして、トップディビジョンへの挑戦権を得たV・ファーレン長崎。迎えた開幕戦のメンバーリストには、一部の選手を除いてJ1出場試合の数字に“ゼロ”が並ぶ。その中の1人であり、やはり33歳でJ1デビューを手繰り寄せた前田悠佑が「相手が湘南ということもあって、何度か去年もやっていたので、『J1だ!』という感じはあまりなかったんですけど、雰囲気は違ったので、そういう部分では『やっぱりJ2と違うのかな』という感じは受けました」と話した一戦。だが、前田同様にJ1での“1試合目”に臨む高杉は、選手入場に際してあることが気になっていた。

「今日の手を繋いでいた子がちっちゃい子だったので、『ゆっくり歩かなきゃ』という気持ちの方が強くて、あまり感慨に浸れなかったです(笑)」。確かにグラウンドへと歩みを進める湘南ベルマーレと長崎の列は、後者が明らかに遅れていた。「後ろに申し訳ないなと思ってました」という言葉に性格が滲む。エスコートキッズの“エスコート”を無事に果たし、キャプテンとしてコイントスを終え、いよいよクラブと自身の“1試合目”が幕を明ける。
 
 失点を許したのは前半8分。左サイドを松田天馬の突破で破られ、イ・ジョンヒョプにシュートを打たれる。軌道は「あそこまでえぐられちゃうと難しい部分もあって、ボールを見ちゃったというのが全体的にあった」という高杉の伸ばした足に当たり、ゴールネットへ吸い込まれた。「もっと厳しく行けば何の問題もない所を、軽くいなされて」の先制点。早々にビハインドを追い掛ける展開となる。

 前半15分。長崎にフリーキックのチャンスが到来する。左サイドでスポットに立った前田は、ピンポイントのキックをファーサイドへ。ここにフリーで飛び込んだのは高杉。「かなり用意していたものがうまくハマった」形からのヘディングは、しかし相手のGKに弾き出される。それでも、「『あっ、やっちゃった!』と思ったら、大地がいたので良かったです」とキャプテンが振り返った通り、こぼれを田上大地がきっちりプッシュ。スコアは振り出しに引き戻された。

「いやあ、惜しかったですね。『行った!』と思ったんですけどね」と振り返る高杉と前田。クラブの歴史を築いてきた2人が絡んでの同点弾は、長崎にとっても記念すべきJ1リーグでの初ゴールだったが、どちらにもアシストもゴールも付かなかった。「一発目に決めてくれたら良かったんですけど、そこは置いといて、次にまたチャレンジしたいと思います」という前田に対して、「そうですよね。決めれば良い感じになっていたんですけどね。申し訳ないです」と苦笑した高杉。この会話にも彼の隠せない性格が透けて見える。

 長崎のJ1初出航は、勝ち点を手にすることができなかった。後半35分にフリーキックの流れから、ルーズボールを押し込まれて再びリードを許すと、終盤は猛攻を仕掛けたものの、1点が遠い。高杉も「結果がすべてなので、とりあえず『申し訳ないな』という気持ちでいっぱいです」と唇を噛む。34歳の“デビュー戦”は黒星という結果で、90分間を終えることとなった。

 実はこの日のスタンドには、かつての教え子の姿を見守る、よく日に焼けた男の姿があった。「アイツを見に来たことにしておきます? それは本当に全然なくて、監督が曺(貴裁)さんだし、高木さんだしという所で。ちょっと“盛って”も良いですよ(笑)」と笑うのは、今シーズンからSC相模原の指揮を執る西ヶ谷隆之監督。「本当にあの人のおかげで今がある」と言い切る高杉と“恩師”の出会いを知るには、時計の針を一気に14年ほど巻き戻す必要がある。

 高知高時代の高杉は3年時に全国総体こそ出場したものの、選手権で全国を経験することは叶わず。進学した名門の明治大も周囲のレベルが高く、「高校から大学に入って、『ああ、コレ通用しねえな』みたいな感じがかなりあって、もうあまりサッカーも楽しくなくて『ダリー』みたいな、典型的なダメになるよろしくない流れ」の日々が続いていた。

 西ヶ谷が明治大のコーチに就任したのは、ちょうどその頃だった。「腐っていたのかどうかはわからないけど、あまりサッカーはちゃんとやってなかったんじゃないですかね」と自身の就任以前に言及する西ヶ谷の指導が、高杉にはとにかく新鮮だった。「今まで教えられてきたものじゃない形でサッカーの考え方を教えてもらって、それが僕に合っていたんですよね」。当時は3年生。大学生活も既に折り返しを過ぎていたが、意識とプレーの両面が明確に変化していく。よき理解者を得たことで、ようやく高杉にスイッチが入る。

“教え子”は性格的にもシンパシーを感じていたという。「あの人も自分を前面に押し出すタイプじゃないじゃないですか。そういう所も僕と凄く似ていて、合っていたなと思います」。それを聞いた“恩師”はこう話す。「アイツは全然喋るタイプじゃなかったですよ。最初の頃はそれをイジっていましたから(笑)。 そういうタイプだったから、3年生の頃はあまりグイグイ行かずに、ちょっと様子見みたいな感じで見ていて、その後からいろいろなアプローチが始まったかもしれないですね」。

 故に今の高杉が不思議だと、西ヶ谷は首をひねる。「だから、よくキャプテンをやってるなと。周りを鼓舞するなんて昔じゃ考えられないから」。手元にある2008年のJリーグ選手名鑑。プロへの扉を開いてくれた愛媛FCで、2年目となるシーズンを控えた高杉のプロフィール欄には、『チーム一無口』との記述がある。「そのへんで変われたんじゃないですか。何か変化がなかったらこんなに長くやれないですから」と話す西ヶ谷が、それでも「キャプテンということが信じられないけどね。昔のことを思い出すと」と何度も笑いながら繰り返すあたりに、確かな月日の移り変わりが窺えた。

 ここ数年は対戦相手として対峙してきた2人。「試合が終わるたびにいろいろ話はしていましたよ。まあ、そんなに深い話はしていないです。『連戦でオッサンだから使ってもらえなかったの?』『そうです』みたいな(笑) そこは関係的には変わっていないですね」という西ヶ谷も、高杉の獲得を検討したタイミングがあったという。それは愛媛を契約満了になった2012年のオフのこと。結局実現には至らず、その時に加入した長崎でJ1まで辿り着くのだから、人生は本当に何が起こるかわからない。

“デビュー戦”を終えたばかりの高杉は、こう言葉を残した。「自分はほとんど運でやってきたと思っているので、西ヶ谷さんと出会ったのも運が良かったからだと思うし、一緒にやってきた選手もそうですけど、いろいろな人の支えのおかげという所が多くあるので、『そういう人たちのために少しでも長く頑張ろう』と思っていた結果じゃないですかね。ここまでやってこれたのは」。諦めてしまいそうなタイミングはいくつもあっただろう。諦めてしまった方が楽だったことも1つや2つではなかったはずだ。それでも、彼がここまで諦めずに前へと突き進んできたのは、彼を信じる周囲の人々と、何より自分自身を信じる想いを裏切ることの方が、難しかったからなのかもしれない。

 少し照れくさそうな口調ではあったが、西ヶ谷は“教え子”にエールを送る。「J1でやるのもそうだけど、J2でも10年以上サッカー選手を続けることはやっぱり大変なことだから、続けてやってきたことでJ1に行けたというのは、1つの成功例だと僕は思っていますけどね」「だから、キャリアを積み重ねてきたからこそ、今年1年は逆にJ1で何ができるのか見てみたいし、今までやってきたことをぶつけてくれればいいし、たぶんここからそのキャリアが、またセカンドキャリアに生きてくるんでしょうから。アイツがあんなになるとは思っていなかったし、だからこそもうちょっと長く続けて欲しいですけどね。クラブにいろいろなことを還元できるように頑張って欲しいなと思います」。

 西ヶ谷が会場に訪れていたことを告げると、「いつも尊敬する指導者の所は“西ヶ谷隆之”って常に書いているくらい、本当にあの人のおかげで今があるので、お礼を言っておいてください。まあずっと言ってるんですけど」と口にした高杉は、「本当にお世話になりっぱなしです。ここまで来たら最後まで面倒を見てもらおうかなと思っていますけどね」と、冗談っぽい笑顔でそう続けた。

 その言葉を伝えた上で、西ヶ谷に質問してみる。「いつか一緒にやれたら嬉しいですか?」。思ったより即答だった。「いや、一緒にはやらないですよ(笑)」。その言葉が本当か、嘘か。我々はもう少し彼らのこれからを見届けていく必要がありそうだ。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」


▼関連リンク
SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

TOP