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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:泥臭くても。倒れても。(アスルクラロ沼津・畑潤基)

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写真協力=後藤勝

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

「なんか泥臭いプレーがカッコ悪いとか思う人たちもいるじゃないですか。それが全然なくなりました。『チームのために走って、倒れても別に関係ない』という想いになりました」。加入から7か月。ようやくアスルクラロ沼津でのデビューを果たしたストライカーは、自身に芽生えてきた変化を、そう口にした。畑潤基。23歳。『熱中フットボール』を掲げるチームの中で若者は今、“熱中フットボーラー”への道を歩み始めている。

 初見のインパクトは強烈の一言。東海学園大4年時に主将として臨んだ総理大臣杯。初戦で優勝候補の阪南大と対峙した畑は、ほとんど角度のない位置から凄まじい弾道のシュートをゴールネットへ叩き込んでみせる。その一撃に相手の応援団からは「えげつないな…」と呟く声も。3-0と完勝を収めた試合後に話を聞いても、朴訥な口調ながら「ああいう所から決めることが多くて、『入るんじゃないかな』という感覚で打ちました」「打ったら入るというのが結構多いですね。シュート力には自信があるので、インパクトさえすれば行けるかなとは思っています」と強気な言葉が飛び出す。「面白い選手だな」と感じた印象は、今でもハッキリと記憶に残っている。

 だから、その1か月後にV・ファーレン長崎の特別指定選手へ承認された時も、早々にJリーグデビューを果たした時も、さらに出場3試合目で豪快なJリーグ初ゴールまで奪ってしまった時も、あの“初見のインパクト”を考えれば、決して大きな驚きではなかった。東海学生リーグでも18試合で31得点という驚異的な数字を記録。年末には長崎への正式加入が発表され、ルーキーながら背番号も11に決定。周囲からの大きな期待と、何より自分自身への大きな期待を感じながら叩いたプロの門だったが、物事はそう簡単に進まない。

 迎えた2017年シーズン。開幕から3試合連続で途中出場を果たした畑の名前は、それ以降のメンバーリストから消えていく。リーグ戦では5試合に途中出場したものの、ゴールを奪うことができず、8月には期限付きでJ3の首位争いを繰り広げていたアスルクラロ沼津へ移籍。出場機会を求めて心機一転、新天地で勝負する道を選択する。

 ところが、沼津での日々は畑の苦悩を一層深くする。「ケガもあったんですけど、普通に自分が沼津のサッカーに溶け込めていない所があって、試合に起用されていませんでした」と本人も振り返ったように、ベンチにすら入れない状況が続く。長崎時代と求められるプレーの違い。自身の思い描くイメージとのギャップ。「できていたことができなくなったりして、若干自信はなくなりました」。最終節で惜しくも優勝を逃したチームにおいて、畑は1試合も出場機会を得ることができないまま、ルーキーイヤーを終えることとなった。

「わざわざ獲ってもらったのに、1試合も試合に関われなかったですし、自分の良いパフォーマンスを見せられなかったことが一番悔しかったですね」という畑は、2018年シーズンも移籍期限を延長して、沼津でプレーを続けることになる。「去年は悔しい想いがあったので、『見返してやる』という気持ちは自分の中でありました」というプレシーズンで、最も意識したのは“背後”を狙うこと。「ボールを奪ったら前に行くという、その速度もJリーグ最速を目指しています」と言い切る吉田謙監督が、フォワードに最も求める意識が“背後”。「『90分間出し切れなくても、とりあえず自分の走れる所まで“背後”に走り続けよう』とか、そういう部分は意識するようになりました」。沼津のスタイルにアジャストしてきた手応えも少しずつ掴んでいく。

 それは何となく数日前からわかっていたという。FC東京U-23のアウェイに乗り込んだ開幕戦。メンバー表の上から数えて9番目に彼の名前が並ぶ。「自分の中では気合いが入っていましたね。あまり表に出ていなかったかもしれないですけど」と笑った畑にとって、待ちに待った沼津でのデビュー戦。アップを続けていると、サポーターが歌う自身のチャントが耳に飛び込んでくる。「やっぱり嬉しいですよね。チャントを歌ってもらったり、応援されているというのは凄く力になります」。ようやく辿り着いた“1試合目”。夢の島の青空にキックオフの笛が鳴り響く。

 谷口智紀のゴールで先制した沼津ペースで試合が進む中、その時は不意に訪れた。前半26分。青木翔大のスルーパスに普光院誠が走り込むと、ボールが目の前にこぼれてくる。「普段だったらインステップで打っていたと思うんですけど、なんかインサイドで。珍しく落ち着いていました」という畑のシュートは、ゴールネットへ一直線に飛び込む。その瞬間。頭の中は真っ白になったそうだ。「本当にラッキーだったかなって。でも、1点は1点なので、決められたのは凄く嬉しかったです」。決め続けてきたはずのゴールの感触が、とにかく懐かしかった。「まずは結果を出さないとこの世界では生き残れないと思うので、数字で結果を出そうと思っていた」開幕戦で残した“結果”。畑は66分まで走り切り、ピッチを後にする。チームも0-3できっちり勝利。29番のストライカーはこの日、沼津での第一歩を確かに踏み出した。

 ゲームが終わり、初々しいヒーローインタビューを終えると、既に挨拶を終えていたチームメイトから少し遅れて、サポーターの元へ駆け付ける。1人だけに注がれる視線とチャント。「自分はああいうの苦手なので」と言いながらも、「でも、今日は点を取れたので、あのぐらいになっても良いかなと思います。凄く気持ち良かったですね。全員がこっちを見てくれているので(笑)」と続けた笑顔に、少しの安堵と充実感が滲んだように見えた。

 そんな畑の身近では、最高の“お手本”がプレーしている。「初めて沼津に来た時は『ああ、テレビで見ていたゴンさんだ』と思って(笑)」。中山雅史。50歳。言わずと知れたスーパースター。ワールドカップでもゴールを奪った、日本サッカー史上屈指のストライカーである。「去年はゴンさんと紅白戦とかで2トップを組むこともあって、その中で『ゴンさんの動き出しはちょっと違うな』と。フォワードの嗅覚とか、そういう部分でも盗めるものがあって、それは凄く大きかったかなと思います。やっぱり誰しも憧れる人なので、それを全部盗めたら、自分ももっともっと上に行けるんじゃないかなって」。今年も練習試合を外から見た中山が、動き出しをアドバイスしてくれることも少なくないそうだ。その中でもやるべきことはハッキリしている。「“背後”優先というのは、ゴンさんが全盛期でやっていた時も変わらなかったそうなんです」。ディフェンダーにとって最も怖いのは“背後”。レジェンドの後ろ盾も、信じる力を支えている。

 古巣への想いも、今の畑を衝き動かす1つの原動力になっていることは間違いない。「まず長崎がJ1へ上がったことに対して、最初は嬉しいという気持ちだったんですけど、やっぱり自分が抜けて、どんどん結果が出てきて、というのは凄く悔しくて、『あの中に自分もいたかった』という気持ちはありました。今は自分がここで活躍して、帰った時にJ1の舞台で活躍できるようにという想いはあります。でも、ここでサッカーをしていることで、自分の気持ちも変わっている部分があるので、『去年の半年は無駄じゃなかったのかな』って思っています」。自らの立ち位置を変えれば、“逆風”はそのまま“順風”になる。あるいは長崎にいたら、あるいは沼津に来なかったら、知ることのできなかった何かに、彼はもう気付いているはずだ。

 目標を尋ねられ、「個人としてはJ3得点王。チームとしてはJ3優勝。この結果で終われたら最高ですね」と話した直後、畑が何気なく続けた言葉が印象深い。「監督も熱くて、選手もみんないい人なので、やりやすい環境です。『常に全力でやれ』と言われていますし、だいぶ変わってきたと思います。なんか泥臭いプレーがカッコ悪いとか思う人たちもいるじゃないですか。それが全然なくなりました。『チームのために走って、倒れても別に関係ない』という想いになりました」

 監督会見で畑について問われた吉田は、こう言葉を紡いでいる。「昨年の終わりから、サッカーに懸ける想いがプレーで表現できるようになってきた選手で、その想いが今日あのゴールに結び付いて、本人も自信になっただろうし、ここからが彼のスタートだと思っていますので、さらに泥臭くゴールに向かう、ゴン中山選手のように、なりふり構わず“熱中”するサッカー選手になるための、やっとスタートを切れたかなと思っています」。

 畑潤基。23歳。情熱の指揮官に率いられ、とにかくひたむきな『熱中フットボール』を掲げるアスルクラロ沼津の中で若者は今、“熱中フットボーラー”への道を歩み始めている。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」


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