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体験者が明かす…W杯メンバー選考とその苦悩

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2002年6月9日、日本はロシアに勝利しW杯で初勝利

 ロシアW杯まで2か月あまりとなったところで、日本代表に西野朗新監督が就任。本大会のメンバーは“白紙”の状態に戻され、23人の行方の注目度は日に日に高まっている。
 いまから16年前……自国開催を目前に控え、日本はかつてないほどのサッカー熱に包まれていた。日韓W杯のメンバー選考にコーチとして立ち会った山本昌邦氏が、当時の記憶を紐解いてくれた。


ロシアW杯開幕まで1か月に迫った今月14日、35人の予備登録が締め切られた。国内合宿、テストマッチ(5月30日ガーナ代表戦@日産スタジアム)を経て、日本代表は5月31日に予定されている発表で、本登録23選手が決定する――。

 6月4日に締め切りとなる23人の本登録の選手は、予備登録に入った35人の中からしか選べなくなりますが、これは“準備”のための手順。W杯は大きなお金が動く大会で、選手もお金を稼いでしまうことから商業ビザを取る必要があるんです。ビザの取得には手間も費用も要しますから、予備登録を“第一段階”としてふるいをかけることになります。

 ほかにも理由はあります。本大会前にはFIFAが選手の情報を世の中に発信しなければならないのですが、誰が選ばれるかわからない状況から資料をつくるよりも、35人分のデータをつくっておいて、そこから23人分の情報を抜き出すほうが、混乱なく素早く処理できます。

 加えてFIFAの“演出”という側面もあると思います。35名が予備登録されればそれがニュースになり、さらに23名に絞ったタイミングでまたニュースになる。

 事務的な役割だけでなく、エンターテインメントの意味合いも含んでいるのが、予備登録なんです。一見、無駄なステップかもしれませんが、地球規模のビッグイベントを迎えるにあたって、平等性を保つためにも必要な手順だと言えるでしょう。

 ロシアW杯から予備登録のメンバーが30名から35名に増えたように、FIFAとしても大会とともにレギュレーションの部分も改善を重ねてきています。1998年のフランス大会から32チーム制になり、今回で6回目を数えようとしていますが、いよいよ成熟してきた感はありますね。

2002年5月ーー日韓W杯まで残すところ1か月。日本代表コーチだった山本昌邦は、予備登録のメンバーを含む26名とともに、欧州遠征に臨んでいた。誰が入って、誰が落ちるのか。世間からの注目が高まる中、“トルシエジャパン”は欧州遠征の帰国から数日後に23名を発表することになっていたーー。

 日韓大会のときも23名に絞り込むのが一番難しい作業でした。

 事前合宿から決勝まで、選んだ23人で1か月以上戦います。もし調子を落とした選手がいたら、調子が悪いまま大会を戦うことになるため、1人欠いた状況と等しくなってしまう。そこでコンディションがカギになるのですが、加えてチームの中での“役割”というのもすごく重要になってきます。

 まずは、スタメンで90分戦える選手。そこに、流れを変えられる選手や極端な特徴を持っているスペシャルな選手を加えていく。限られた人数で編成していく中で、複数のポジションを高いレベルでこなせる選手は非常に貴重な戦力になります。ユーティリティな選手が1人でもいると、戦術的にゆとりを持てるからです。

 いまは同じフォーメーションを使い続けて勝てるような時代ではありません。相手の弱点をいかに突くか、こちらの弱点を突かれたときにどうカバーするか。フォーメーションと選手の組み合わせを状況に応じて何百、何千もシミュレーションした上で、W杯本番では23人に落とし込んでいくわけです。

 もうひとつポイントとなるのが、23人の一体感。日韓大会では中山雅史(沼津)と秋田豊が最後の最後でメンバーに名を連ねました。彼らはメンバー発表直前の欧州遠征には帯同していません。欧州遠征ではレアル・マドリーとノルウェー代表に連敗してチームが追い込まれてしまったときに、「いまのチームで大会を戦い抜くのは厳しい。あの2人が必要だ」ということに気がつき招集することになったのですが、最後の23人を選ぶまでは苦悩の連続でした。

 ノルウェーで遠征最後の試合を終えた後、(フィリップ・)トルシエ監督、私を含めた3人のコーチングスタッフ、通訳の(フローラン・)ダバディの5人で、誰を選ぶかミーティングを行いました。模造紙に名前を書いていったのですが、証拠が残らないようにノートは一切とらない。ようやくメンバーが決まったところでトルシエ監督だけがメモをとって、模造紙はすべて細かく破いたうえで残さず処分し、「知っているのはここにいる5人だけ。これで漏れたらこの中の誰かだから」という状況にしました。

 メンバー発表当日、日本サッカー協会の人間ですら、中山と秋田の名前に驚いたくらい情報管理を徹底したのです。

2002年5月17日、運命の発表を行う30分前に日本サッカー協会にFAXが届いた。フランスにいるトルシエ監督から送られた最終メンバーのリストだ。日韓大会は日本が出場した5大会で指揮官の口から発表されなかった唯一のメンバー発表となった――。

 ノルウェーで23人の登録メンバーを決めた後、トルシエ監督が日本に戻るとメディアに追いかけまわされてストレスになるので、日本には帰らず、フランスで休養することを勧めました。自国開催を前にした異常な熱狂により、すでに彼のストレスはピークに達しようとしていたからです。こうして、故・木之本興三強化推進本部副本部長がメンバーリストを読み上げることになり、その後にトルシエ監督が帰国するという段取りに決まりました。

 一方、私は23人のメンバーリストを胸に秘めたまま26人の選手と同じ飛行機で帰国。W杯のメンバー入ることに人生を懸けている人ばかりですから、正直かなりつらかったです(苦笑)。「ここにいる全員が候補になっているけど、発表は当日の生放送のテレビを見てくれ。それがすべてだ」と選手に伝えて解散しました。

 じつを言うと、ほかにも懸念材料はありました。トルシエ監督の性格を考えると、何日か経ったら考えを改めて違う選手を選んでくるんじゃないか……。5人で徹夜でミーティングをして決めても、最終的な判断をするのは監督ですから。バランスを考え抜いた上で決めた23人だったので、代わっていたらどうしよう……と不安もあったんですけど、トルシエ監督が最終決定した23人はミーティングで選んだ23人と一緒だったので胸をなでおろしました(笑)。

1998年フランス大会にはじまった日本のW杯の歴史は、2018年ロシア大会で6回目を数える。西野朗監督のもと、日本代表はどのような23人で決戦に挑むのだろうか――。

 これまでW杯のメンバー入りをはたした日本人は78選手います。4大会でメンバー入りしているのは川口能活(相模原)と楢崎正剛(名古屋)で、3大会は中田英寿小野伸二(札幌)、稲本潤一(札幌)、遠藤保仁(G大阪)。フィールドプレイヤーとして3大会でメンバー入りしている4人は偉大ですよ。

 GKの2人は長きにわたって日本代表を支えた存在ですが、川口がフランス大会(1998年)とドイツ大会(2006年)、楢崎が日韓大会(2002年)と、レギュラーは交互に務めたので、川口が6試合、楢崎は4試合の出場にとどまっています。では、W杯に最も出場した日本人は誰かという話になると、やっぱり中田がすごい。日本人最多となる10試合に出場していて、そのすべてでスタメンを飾っています。

 中田の牙城に迫っていて(バヒド・)ハリルホジッチ前監督にも選出されていたのが、長谷部誠(フランクフルト)、本田圭佑(パチューカ)、岡崎慎司(レスター)、長友佑都(ガラタサライ)、川島永嗣(メス)の5人。南アフリカ大会(2010年)とブラジル大会(2014年)で選出されている彼らは、現在7試合に出場しています。仮の話をしますが、ロシア大会のメンバーに選出されてグループリーグ3試合に出場したら出場試合は「10」になって中田とタイ記録に。決勝トーナメントまで行ったら11試合出場で記録更新となります。

 どんなメンバーが選ばれるかに日本中の注目が集まっていますが、別の角度から注目してみるのもロシアW杯の楽しみ方のひとつだと思います。

(取材・文 奥山典幸)

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