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[今日の言葉]「外れるのはカズ、三浦カズ」岡田武史監督が衝撃の“落選発表”

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“落選発表”を行った岡田武史元監督

1998年6月2日
「外れるのはカズ、三浦カズ」(岡田武史)

 20年前にもW杯日本代表メンバーの“落選発表”が行われた。日本が悲願のW杯初出場を果たした1998年フランス大会は今回同様、1度目の発表では登録選手を絞り込まず、最終的に選手を外す2段階選考となった。落選した選手は同じく3人。現在のW杯登録メンバーは23人だが、当時は22人だった。

 W杯開幕が目前に迫った98年6月2日、スイス・ニヨンで合宿中だった日本代表メンバーは25人から22人に絞られ、岡田武史監督(当時41歳)は「外れるのはカズ、三浦カズ」とFW三浦知良(当時31歳)の代表落ちを発表した。

「外れるのは市川、カズ、三浦カズ。それから北澤…3選手です」。98年5月7日に発表した25人から市川大祐(当時18歳)、北澤豪(当時29歳)、そしてカズの3人が外れ、登録期限直前に22人の最終メンバーが決定。長年、日本サッカー界を牽引してきたカズがまさかの落選。日本中に衝撃が走り、賛否の声が上がった。

 カズは97年のW杯アジア最終予選初戦のウズベキスタン戦で4ゴールを挙げる活躍を見せたが、それ以降は無得点。世代交代の波も押し寄せていたものの、経験豊富なベテランが最終メンバーから落ちることはないと見られていたが、非情な結果が待ち受けていた。

 ショックは大きかった。当初は落選した3人がW杯中も帯同する予定だったが、失意のカズと北澤はチームを離れた。発表前、それぞれに落選通告をした岡田監督は「チームのために残すのは得策じゃないと判断して、カズと北澤は僕の判断で帰した」と説明。2人はイタリア・ミラノで3日間を過ごし、4日発の便で5日に帰国。髪を金髪に染め上げて帰国したカズは成田空港で記者会見を行い、「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」という言葉を残した。

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