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ワールドカップ元日本代表・山口素弘の発見「知的障がい者とプレーしてわかったこと」

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合宿中に円陣の輪に入った山口素弘氏(中央)と遠藤宰(左から4人目)

 知的障害のある「アスリート」と知的障害のない「パートナー」が同じチームでプレーするユニファイドサッカーの初の国際大会「2018年スペシャルオリンピックスユニファイドフットボールカップ・シカゴ presented by TOYOTA」が7月中旬に開催され、スペシャルオリンピックス(SO)日本代表はイタリアに引き分け、ジャマイカ、ナイジェリアに敗れた。SO日本代表にアドバイザーとして帯同した元日本代表の山口素弘氏(名古屋グランパスアカデミーダイレクター)は、こう総括した。

「アスリートとパートナーがひとつのことに対して、お互いを理解しあって、何かをすることは意義深いです。現地で決勝(エクアドル―ウルグアイ)も選手のみんなと一緒に見ました。ウルグアイはW杯に出ていたあのウルグアイと同じイメージの迫力で、試合を見た選手の中から『あそこまで行けるんですね』と希望に満ちたコメントも出てきた。世界最高峰の試合を直接見て、レベルを肌で知って、『もっとやれる』と考えられる機会になったこともよかったです」

 ユニファイドサッカーは退場等がない限り、アスリート6人、パートナー5人で構成する。アスリートとパートナーがどう連携をとるか。SO日本代表も一筋縄ではいかなかった。パートナーの主将、橋本亮汰はこう振り返る。

「やる前は正直、『(アスリートに)どうからんでいいのかな』という不安がありました。アスリートの中には自分から言葉を発しない子もいて、アスリート同士、パートナー同士で固まってしまう。でも、5月に名古屋グランパスの練習場で2度目の合宿が行われたとき、名古屋のユースと試合をしてコテンパンに負け、その晩のミーティングが変わるきっかけになりました。普通は、監督が選手に語り掛ければ、大体理解できるかもしれない。でもそのやり方では、アスリートがわからない場合がある。そこでパートナーが、近くにいたアスリートに『今のわかった?』とこまめに声をかけ、かみ砕いて説明しながら進めたんです」

 その晩を境に、双方の心の「溝」が急速に埋まった。橋本が持っていたボールを、あるアスリートの選手がいたずらで持ち去り、ニヤニヤする。山口氏も、あるアスリートの選手から「人数足りないので一緒に練習しましょう」と誘われるようになった。

「アスリートはもしかしたら、周りから『自分でやろう』とする機会を与えられず、自信を持てなかったのかもしれません。寝食をともにして、同じ釜の飯を食う。そこですごく変わる。それは普通のチームを指導していても同じですよね」(山口氏)

 福島の石川支援学校に通うアスリートの遠藤宰は高校でサッカーをはじめ、サッカー歴3年足らずで大舞台にのぞんでいた。

「初めての場に行くと、先に『どう話していいか』ということをつい考えてしまう。学校では(同じ境遇の人と)遊んだりするので、そういうことを考えることはないんです。一緒にしゃべれなかったみんなと、少しずつしゃべれるようになってよかったです」

 パートナーの黒羽秀(くろば・しゅう、仙台大学)は、知的障がい者の兄・吏(つかさ、特別養護老人ホーム勤務)と、弟の光(ひかる、宮城工業高校)と3兄弟でSO日本代表に名を連ねた。

「私には兄が家にいるので、障がい者への接し方は自然にわかりますが、そういう境遇にない方がいきなりしゃべることは難しいと思います。障がい者の方が同じ学校にいたとしても、特別なクラスにいたりして、知る機会が少ない。でもサッカーというスポーツを通せば、それがコミュニケーションの手段になります。それがユニファイドサッカーのいいところかなと感じています」

 大会が終わり、帰国した後、レクサス郡山で自動車整備の仕事に戻った橋本が言う。

「障がい者に対する考えが変わりました。勇気を出して心の『壁』を超えると、話したがっていた子がたくさんいた。私は仕事でお客様と接します。以前、耳の聞こえないお客様が来てくださったことがありました。その時、私ではなく他の人が対応しましたが、ユニファイドサッカーをはじめる前なら、私はそのお客様に対して尻込みしていたと思うんです。でも今は先に踏み込める気がしています」

 山口氏はアメリカ・シカゴで、SOのグローバルアンバサダーという立場で日本代表戦も見に来た元日本代表の中田英寿氏や、SOのドリームサポーターであり、日本障がい者サッカー連盟会長の北澤豪氏らと「こういう大会を日本でやりたいね」と話をしたという。

 障がいがあるかないかで区別せず、スポーツを通して生きていく上で育めるはずの能力を引き出す機会を作る。その「ゴール」を決めるための「アシスト」を限りなく続けるつもりだ。

(取材・文 林健太郎)

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