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無名の存在から何を言われても曲げない、こだわりの強さで成長してきたU-21代表FWは「もう一段階上の上田綺世に」

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FW上田綺世(法政大)が母校・鹿島学園高の練習に参加。さらなる成長を誓った

 第18回アジア競技大会(インドネシア)で2度の決勝ゴールを決めるなどU-21日本代表の準優勝に大きく貢献したFW上田綺世(法政大)が10日、自身の原点の一つである母校・鹿島学園高でさらなる成長を誓った。

 彼にとって鹿島学園は「何を言われても曲げないというのが自分のスタイル。『こうだったとしても、自分はこう』という信念深さとか、自分のこだわりの強さというのは間違いなくここで生まれた」という場所だ。

 茨城を代表する名門である鹿島学園だが、彼が高校時代は茨城県1部リーグ所属(上田が3年時にプリンスリーグ関東参入戦優勝)。全国大会に出場しても前評判が高かった訳ではない。全国常連のチームでも、プレミアリーグレベルの名のある強豪と対戦する際には萎縮してしまう選手がいるだろう。だが、高校時代の上田にはそれがなかったという。「『オレにはこれができるから』という自信があったし、それが今になって誰にも負けないという自信になった。それはここで学べた部分かなと思います」。こだわって磨いてきた得点を奪うための術が、彼の評価を引き上げ、次のステージへと羽ばたかせている。

 その目標値はどんどん高まっている。アジア大会で日本を救うゴールを決めた上田だが、改めて大会を振り返ると「まだまだ日本を背負う点取り屋として出るには浅い」という思いを持っていた。「やっぱり、もっと自分のステータスを上げて、『もう一段階上の上田綺世にならない』と。もっと速くなりたい、もっと強くなりたいという欲が出た」と上田。高校時代は国体県選抜メンバーにも入っていなかった。そのFWは法政大進学後に大学日本一を争う試合や国際試合など大舞台を経験し、そこでできなかったことを改善しながら目に見える成長を遂げている。
 
 今回のアジア大会で彼が成長を実感している部分がある。今年3月のU-21日本代表パラグアイ遠征に参加した上田は、3試合でシュートゼロ。DFライン背後を狙った動き出しは味方と噛み合わなかった。それが、今回のアジア大会初戦・ネパール戦では無得点に終わったもののシュート6本。もちろん対戦相手は違うが、上田が感じたのは「シュート6本打って、ビッグチャンスもあって、その上で外していたので、落ち込むというよりも自分が一個成長できたな」という思いだったという。

 今回のアジア大会では他のどのFWよりもビッグチャンスに絡んだという自負がある。その上で「さらにその上に行くために1コ2コ決めていかないといけないという悔しさに変わった」。シュートを打てなかった悔しさから、決められなかったという悔しさへの変化。悔しさの種類が変わったことを本人は前向きに捉えていた。

 現在大学2年生の上田はJ1の複数クラブから熱視線を集めている。本人は色々な選択肢について熟考中。周囲からは「終わった時にどうだったかで評価すれば良いよ」との声もあるようだが、本人の考えは違う。「その選択肢を良かったとするかどうかは、その選択肢を選んだ自分次第」ときっぱり。これまで歩んできた道と同じように、自分の取り組み、こだわりによって「良い選択をした」という結果に結びつけるつもりでいる。

 彼は高校進学時、鹿島アントラーズノルテジュニアユースから鹿島ユースへの昇格を逃し、いくつかの選択肢の中から鹿島学園に進学することになった。当初は県外の強豪校への進学を希望していたというが、進路を鹿島学園に決めたからには「ここで輝いて、上に行きたいという反骨心があった」。その思いを持って自分自身を磨き、鹿島学園のコーチ陣や大学関係者に認められ、法大進学後に真の評価を勝ち取った。

 鹿島学園で高校3年間を過ごしたから、その過程があったからこそ、現在の幸せな時間があると感じている。だからこそ、今後についても、「自分が選んだ選択肢が成功だったと言えるように持っていきたい」。鹿島学園は人工芝のサッカー場(第2サッカー場)が新たに1面増えて、上田の在学中とは景色が変化。この日、かつて自信を得るまで武器を磨いた地で汗を流した上田は当時を思い出しながら、「もう一段階上の上田綺世」への新たなスタートを切った。

(取材・文 吉田太郎)

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