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CPサッカー全日本選手権が台風の影響で29日の1日開催に変更。日本代表の大野僚久が対戦を熱望する先輩とは…

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横浜BAY FCの大野僚久は初優勝に燃える

脳の損傷によって運動障害のある人が行うCPサッカーの全日本選手権大会が岐阜・長良川競技メドウで29日に開催される(台風により、1日開催に変更)。

 プレーをはじめてわずか3年目ながら、早くも将来の日本代表の中心的な選手として期待される横浜BAY FCの大野僚久は「3度目の正直」を狙っている。

「おととし、去年と優勝できなかったので、今年は優勝したいです」

 中学までサッカーをしていた大野が突然の悲劇に襲われたのは2011年4月26日。高校に入学し、フットサルで日本代表入りを目指し、セレクションで合格して入団したばかりの湘南の下部組織・ロンドリーナで練習中、急な頭痛に襲われ、呂律も回らなくなった。倒れて1週間後、ようやく意識は回復したが、右半身が動かず、言語障害も残った。

「頭に言葉が浮かんでいても、人に伝えられませんでした。意識が戻ってきた当初は頭も痛く、たとえば看護師の方にアイスノンを持ってきてほしいと思って『アイスノン』と言った後に、『持ってきてください』の言葉が続かないんです。そのストレスも重なって円形脱毛症になったこともありました」

 先天的な脳動静脈奇形が原因。医師からは車いす生活になるだろう、との見通しも伝えられた。フットサルの世界で将来はばたくことを夢見た大野を襲った、突然の悪夢。「もう1度ピッチに戻りたい」という気持ちがありながら、日常生活さえままならないかもしれないと知ったとき、絶望感に襲われた。病室で父・重行さん、母・陽子さんと一緒に3人で泣いたこともあった。

 「もう一度フットサル、やりたいんだよな?」。  
 
 重行さんに言われた一言が、自分の思いと重なり、社会復帰へのモチベーションになった。施設で懸命なリハビリを続け、8か月後には利き足とは逆の左足でけり、走れるレベルまで回復。ロンドリーナは退団したが、その後高校3年生の1年間は小田原のフットサルチームでプレー。卒業後に福祉を学ぶ専門学校に進学後、県リーグでプレーしているとき、偶然、インターネットでCPサッカーの存在を知った。現在のクラブチーム・横浜BAY FCに入ったのは2016年4月のことだった。

右半身の麻痺も改善してきて笑顔を見せる大野僚久

 忘れられない思い出がある。CPサッカーをやりはじめて初めての練習試合でP.C.F.A.SALTARと対戦。日本代表で主将もつとめた先輩、芳野竜太選手もいた。お互いに中盤の攻撃的な位置で対面で対決。それまでフットサルをプレーしていた大野は「負けないだろう」と自信満々でピッチに入ったが、得意のドリブルが通用しなかった。

「同じ障害を持っているのに、こんなに違うのか、と愕然としましたね。芳野さんからボールも一度もとれなくて、ボールを持っても1度も抜けなくて……。ショックというか、そのことで逆にモチベーションあがりました」

 今年の全日本選手権は6チームがA、Bの2組に分かれて総当たりのリーグ戦を行い、翌30日にトーナメント方式で決勝ラウンドを行う。大野が所属する横浜BAY FCは29日、予選Aグループで大会3連覇中のESPERANZAと対戦後、芳野がいるP.C.F.A.SALTARと対戦する。 

「今のような熱い気持ちを持てるようになったのは芳野さんのおかげです。CPサッカーは様々な年齢で構成されていて、私のチームも20歳前後から50歳ぐらいまでいる。生活に不自由をきたす方もいるし、四肢に麻痺がある方もいます。麻痺はあるけど、体でボールを止めたり、蹴ったりすることで、リハビリにもなるんです。いろんな境遇の人が集まって、勝利を目指してチームとして動けるように頑張る。気持ちの熱さの面では、普通のサッカーをやる選手を上回るかもしれません」

 大野は初の頂点に立つために、「心の師匠」とのつばぜり合いを楽しみにしている。
  
(取材・文 林健太郎)

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