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[CPサッカー全日本選手権]初優勝記念インタビュー 横浜BAY FC大野「涙が止まらなかった理由」

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喜びを爆発させた大野僚久(左)

脳の損傷によって運動障害のある人が行うCPサッカーの全日本選手権が29日に終了し、横浜BAY FCが初優勝した。チームに加わって3年目で初の頂点に立った日本代表の大野僚久は声を上ずらせた。

「チームのみんなの力で勝てたことがうれしい。試合後は涙が止まりませんでした」

 この大会で「今の熱い気持ちを持てるようになったのはあの方のおかげ」と大野が尊敬するP.C.F.A.SALTARの芳野竜太選手との直接対決が実現し、準決勝のCP神戸戦では日本代表GK柳英行からゴールを奪い、チームを決勝に導いた。それでも涙した理由とは何だったのだろうか。

「去年までは練習のために週に1度集まっても、どちらかというと日本代表候補に入る選手たちが『こうしよう』という呼びかけに、他の選手は静かに従うだけでした。でも今年は佐々木周也監督が練習中、選手だけで話す時間を意図的に作ってくれて、そこからコミュニケーションが深まったんです」

 ピッチ内の会話だけでなく、ピッチ外でも食事をともにするようになった。すると、お互いが何となく抱えていたわだかまりが徐々に解け、他の選手から日本代表選手の大野に対しても「俺はこうしたいから、あそこへ走ってくれ」といった指示が遠慮なくとぶようになった。決勝で同点ゴールを決めた長谷川潤も「変身」をとげた選手のひとり。大野にとっては、お互いが要求しあってチームを高める形ができてきたことが、優勝と同じぐらいうれしかった。

 先天的な脳動静脈奇形により、右半身に麻痺が残る大野は自らの成長を感じられた。

「1点決めたあのシュートも、グラウンドに水が浮く足場の悪い中、軸足になる右足で踏ん張れました。最近、昼食でハンバーグを食べたときも、左手でナイフを持ち、右手に持ったフォークでハンバーグをしっかりおさえて切ることができたんです。病気になって7年たちますが、最初は鉛筆も持てなかった右手に、徐々に力が入っている感覚があるんです」

 一筋の明るい光が差し込んできた大野には、横浜BAY FCで優勝し、日本代表で活躍する目標の先に夢がある。それは、病に倒れたときにプレーしていたフットサルの舞台に戻ること。夢の扉に手をかけた大野の瞳は、キラキラ輝いている。

(取材・文 林健太郎)

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