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1人少なくてもハンデにしない。ブラサカの日本代表候補・近藤を支えるラグビー魂

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壁際で激しく競り合う近藤正徳(左)

[10.20 ブラサカ東日本4節 Vivanzareつくば 1-1 GLAUBEN FREUND TOKYO 筑波大学]

 1人で2人分走る。身長184㎝の元ラガーマンがピッチを所狭しと走り回った。GLAUBEN FREUND TOKYOはチーム内の負傷者等で通常より1人少ない4人で挑んだVivanzareつくば戦。近藤正徳が相手の日本代表FP佐々木ロベルト泉や同候補の山川聖立、14日に代表合宿に練習生として参加したスーダン出身のモハメド・オマル・アブディンに自由なスペースを与えず。同点で試合が終わると、近藤は思わず手をたたいた。

「GKをのぞいたら3人しかいないので、役割を決めました。1人は攻撃、1人は守備。その間で僕がバランスをとる。早い時間帯(前半5分、神谷考柄)に点をとってくれたので守備を中心にやることができました。前半の時点でバテましたけどね」

 生まれつき網膜の病気で視野が極端に狭い。
「上も下も見えなくて、50円玉の真ん中から見ている感じです。夜盲といって、夜や暗い場所も見えづらいんです。でも小さい頃からずっと同じ感じできているので、これが普通なんだろうな、と思っています」

 気持ちでふさぎ込むことはなく、できる限りのトライをしてきた。山梨・桂高校では、兄がやっていたラグビーにも挑戦。ロック、フランカーとして、FWのスクラムを支え、BKのトライを導く、縁の下の力持ちに徹した。視野の狭さは、首をたくさん振って事前に情報を得ることでカバー。3年時には主将を任され、花園の県予選は、決勝まで進んだ。

「梶原(宏之)先生から『炎のタックル』を教わりました。あの3年があったから、ある程度のことは柔軟にできるようになりましたね」

 現在、52歳の梶原氏は歴代の日本代表選手の中でも指折りの猛タックラーとして知られ、1989年、ラグビー史に残る金星となったスコットランド代表戦にも出場した名選手だった。そのストイックな姿勢は指導者になっても変わらなかった。近藤も夏合宿では早朝に起きて3時間近く、ひたすらランパスを繰り返す特訓を受けたこともある。梶原先生に鍛えられた走力とハートの強さが、チームの窮地で生かされた。


 13、14日には日本代表合宿にも参加した。
「まだ技術、フィジカル、メンタルすべて代表のレベルにはない。でもそういう場に行けることは僕にとってはいいことです。病気が進むと、視力がゼロになってしまうかもしれない。そのときに選んでいただけるような選手になりたいです」

 ブラインドサッカーの国際試合に出られる選手は全盲の選手。まだ視力がある近藤は「できるなら目は今の状態を保ってほしい」という思いのほうが強い。先が見えない不安を抱えながらも、近藤は今を全力で走り続ける。
 
(取材・文 林健太郎)

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