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FC今治オーナー岡田武史の告白(上)「経営者は日本代表監督より苦しい」

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広島経済大学から名誉博士号を贈呈された

 18日のJFL最終節に来季のJ3昇格を目指すFC今治の岡田武史オーナーは11月上旬、広島経済大学から名誉博士号を与えられた。その後、行われた岡田オーナーの特別講演会の内容を2度にわたってゲキサカ内にて公開する。

 小谷幸生学長から広島経済大学名誉博士号をいただき、誠にありがとうございます。大阪出身で東京の大学を出た私が「なぜ今治でオーナーをしているんだ?」「なぜ監督じゃないの?」とよく聞かれます。私の先輩が今治で会社をやっておられて約15年間、定期的に教育担当顧問として通っていた縁がきっかけです。オーナーは普通、お金を持っている人がやるものですが、私は持っていませんでしたので、お金集めをする代表取締役も兼務しました。したがって今、とても監督業をやる余裕はないんです。

 私は日本代表監督を2度やらせていただきましたが、プレッシャーは経営者をしている今の方が私には大変です。日本代表の監督は「重い鉛の塊を担いでいる」ようなもの。でも、経営者は「真綿でジワジワ首を絞められる」苦しさです。
監督は自分の思い通りの体制が整っていなかったらやめればいい。でも経営者はそうはいきません。今、私が辞めたら、社員やその家族が食べていけなくなる。このプレッシャーはものすごい。辞めるに辞められないんです。ですから、代表監督のときに夜中に夢を見ることはほとんどなかったのに、経営者になってから会社の貯金通帳がゼロになった夢を見て、ガバッと目が覚めることが多くなりました。

日本代表では窮地に立たされるほど、力を発揮した

 2014年11月にオーナーになった後、今治に家を借りて住み、街中を見てみました。それまであったはずの大手デパートがなくなり、しまなみ海道という素晴らしい橋ができたので、港からフェリーが出なくなった。近くの小さな島から出るように変わってしまったんです。仮にFC今治が強くなってもこのままだと立っている場所がなくなってしまう危機感を覚えました。

 では、サッカーを通してどうやったら今治が元気になれるか? そのひとつが弊社の事業の大きな柱のひとつである「今治モデル」を作ることでした。
 FC今治が大きくなるには、ウチのクラブだけが強くなればいいわけではない。少年団、中学生、高校生のサッカー選手が一緒になってひとつのピラミッドを作り、その頂点のFC今治が強くて面白いサッカーをする。ですから27ある少年団の指導者、12ある中学校の先生、6校ある高校の顧問の先生に全員に会って「みんなでひとつのピラミッドを作りましょう」と訴えました。選手には今いるチームでプレーしてもらい、そのかわりに無償で指導者を派遣する仕組みにしました。FC今治が強くて面白いサッカーをしたら、四国から、そして全国からも若者が集まる。日本のサッカーはまだアジアではリスペクトされているので、アジアからも来るでしょう。人口16万人の街を、何とかコスモポリタンの活気ある街にできないかと考えました。

 壮大な夢を描いても、地元の方には最初、受け入れていただけませんでした。オーナーになった当初はJ3の2つカテゴリーが下にあたる四国リーグにいて、専用スタジアムはありませんでした。試合のときだけ仮設シートを用意する2000人収容の運動公園だけでした。J3昇格条件にある観客動員の平均入場者数2000人を目標にしました。街中でビラをくばり、講演して回り、ありとあらゆることをして雨が降っても満員にしたかった。でもダメでした。2017年9月に5000人収容の「ありがとうサービス.夢スタジアム」で最初の試合をするまで、平均入場者数が1200人を割るほどでした。

 当時6人だった社員が毎晩のように会社に戻って必死に議論していました。ふと私は頭に浮かんだ疑問を、スタッフに投げかけました。
 「ここに来て2年になるけど、今治人の友達いるか?」 
 誰もいなかったんです。東京など外部から今治に来て、FC今治内のスタッフで話し合い、メシを食い、酒を飲んでいた。私たちが街に出ないといけなかったんです。
 そこで「残業は午後8時まで」「友達5人作らないと罰金」というルールを作る地道な活動からはじめました。今治は古くから野球の街なので、昔、子供たちに野外体験教育をさせたいと考えてサッカー教室をしても、集まらない。そこで元ヤクルト監督の古田さん(敦也)を呼んで野球教室をしてもらったこともあります。

 サッカー場に2000人来てくれたとしても、純粋にサッカーを見に来るのは200~300人ぐらい。ですからスタジアムに来たらワクワクしてもらい、そして新しい絆ができる催し物を提供したいと考えました。スタジアムの広い駐車場にステージを作り、クラブスポンサーである吉本興業のタレントさんに来てもらったり、フードコートを充実させたり、小さなワクワクをたくさん散りばめたフットボールパークを意識しています。

2016年11月、JFL昇格を決めた直後

その夢スタジアムの開幕戦は2017年9月10日。その前夜、監督時代には感じたことないぐらいドキドキしました。すると、開門3時間前に300人近くの人が並んで待ってくれた。結局、キャパオーバーの5241人の来場を記録し、シートが足りなくて、ピッチにパイプ椅子を置かなければならない状況になりました。

 弊社には、うれしいことがあるとスタッフが記入するネット上の「ハッピーノート」というものがあります。女性スタッフがこんなことが記していました。
「開幕戦のとき、ゴール裏で泣いている女性がいました。心配して『大丈夫ですか』と聞くと、『3年前、岡田さんがきたときは、みんなネガティブだった。どうせ、有名人が来て、チョッチョッとやって、(東京へ)帰るんだろ、と。私も否定的だった。でも3年後、こんな姿が今治で見られてうれしい』と言って泣いておられたんです」
 それを目にしただけで、今まで苦しかったことがすべてがふっとびました。去年の最終戦は、もうJリーグににあがれないことが決まっていたのに3000人のお客さんに来ていただいた。私は全員をお見送りさせていただきましたが、ほとんどの人が「楽しかったよ」「また来るよ」と言ってくださった。サッカーがわからなくても、来て楽しかったよと言っていただける場を作ろうという目標を達成できたような実感がありました。

 皆様にようやく認めていただけるようになったのは今年です。4年かかりました。だから何とか今年、J3に上がりたい。ただ、そういった感情的な側面だけが理由ではありません。「仏の顔も3度まで」ということわざがあるように、もしJリーグ昇格を今年逃したら、これまでご支援いただいたスポンサーが離れる危機感も経営者として感じています。そこで私はある思い切った決断をしました。(明日に続く)

(構成 林健太郎)

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