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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:うたかたの夢(帝京高・三浦颯太)

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敗戦の瞬間、帝京高MF三浦颯太は静かに立ち尽くしていた

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 タイムアップのホイッスルが駒沢陸上競技場の上空に吸い込まれる。「『ああ、終わっちゃったなあ』って。それだけで、他には何も考えていなかったです」。時間にして30秒くらいだろうか。3年間に渡ってカナリア軍団を牽引してきた8番は身じろぎもせず、ただそこに立ち尽くしていた。それはまるで水に浮かぶ“うたかた”のように、掴み掛けては消え、消えては掴み掛けていた“夢”が、とうとう弾けてなくなった瞬間。三浦颯太は、ただそこに立ち尽くしていた。

 その揺るぎない期待は、指揮官の言葉が物語っていた。「昔のジュビロで言えばN-BOXというのがあったけど、三浦のM-BOXというか、あそこでアイツが配球できるので」と話したのは、帝京高を率いる日比威監督。1990年代後半から2000年代初頭に掛けて、隆盛を誇ったジュビロ磐田。そんな彼らを中心で束ねていたのが、現在はジュビロで監督を務める名波浩であり、彼の頭文字を取って“N-BOX”と命名されたシステムは圧倒的な機能美を有し、Jリーグで猛威を振るった。それを模した“M-BOX”というフレーズ。名門校でそこまでの存在に登り詰めることも容易ではないが、その“M”が入学式を控えている新入生だとすればなおのこと。1年生の4月の時点で、既に三浦はそういう役割を託されていた。

「たくさん1年生が関われていることは来年も再来年も経験を生かしていけるので、監督に感謝したいです」「久我山とか強豪とやったら勝てないと思うので、もっと力を付けていきたいですし、全国出場を目指してやっていきたいと思います」。得意の左足で雄弁に主張するプレースタイルとは対照的に、消え入りそうな声で言葉を探す姿が、まだ15歳だということを思い出させてくれる。「正直1年生から出られるとは思っていなかったんです」と本人も振り返るが、ピッチ外ではどこか所在無げな雰囲気を当時の三浦は纏っていたように記憶している。

 前年度は5年ぶりにファイナルまで駒を進め、PK戦で敗れはしたものの、復権へ向けての準備も万端に、全国出場を明確に掲げて挑んだ選手権予選。だが、スタメンリストから10番を託されていた佐々木大貴と三浦を含め、1年生の名前はブラジル人留学生のサントス・デ・オリベイラ・ランドリックを残して消える。準決勝での西が丘は三浦もスタメンに返り咲いたものの、駒沢陸上競技場での決勝では再びベンチへ。佐々木と共にラスト20分のピッチへ解き放たれるも、チームの敗戦をピッチで突き付けられることとなる。最後は小さくない悔しさを覚えつつ、帝京での1年目は幕を下ろした。

 前年以上に期待と注目を集めてスタートした2年目だったが、なかなか思わしい結果は付いてこない。関東大会予選も総体予選も揃ってベスト8で敗退。ボランチでプレーすることの増えた三浦も、試合を1人で決めてしまう影響力を発揮するまでには至らない。それでも選手権予選では、2年続けて西が丘まで勝ち上がったが、実践学園高との準決勝は、1-1でもつれ込んだ延長前半に手痛い失点。三浦も懸命のチャンスメイクで得点機を演出したものの、ゴールは遠い。結果は1-2で惜敗。カナリア軍団の復権を期した2年目も、何かを成し得ることはできなかった。

 勝負のラストイヤー。3年生になった三浦のイメージが一変したゲームを覚えている。6月10日。総体予選2回戦の早稲田実高戦。常に先行される展開の中、前半からチームメイトを叱咤し続けていた8番は、1点ビハインドの後半に“柔と剛”の融合で魅せる。右からのクロスを体で収めると、マーカーを背負いながら飛び出したGKを浮き球でかわし、無人のゴールへループシュートを流し込んでしまう。しかもピッチは折からの雨で、多分に水を含んだ状態。ただ、「アレはスーパーだったね」と日比監督も称賛した一撃にも、本人は「相手をブロックしながら左足が伸びて、うまく触れたかなと思いますけど、あまり覚えていないです」と小さく笑う。

 それ以上に印象深いのは守備でのワンシーン。最終ラインまで戻り、自らのチームのゴールキックにしようと、相手と競り合いながらボールをカバーする場面では、今までになく鬼気迫るような表情が浮かんでいた。逆転で相手を振り切り、勝利を収めた試合後。そのことについて尋ねると、「久保はディフェンス陣の柱なので、アイツがいなかった分、自分が守備で体を張らなきゃなと思っていました」と少し照れ気味に明かす。

 1年時から共に出場機会を得てきたディフェンスリーダーの久保莞太不在を受け、いつも以上に守備面での貢献を考えていたという三浦は、続けてこうも口にする。「1年生から出させてもらっているので、プレーでも声でも自分が引っ張っていかなくてはいけないですし、それに球際は激しく行った方がよりチームの士気が上がると思うので、しっかり負けないようにしています」。1年時に憧れていた選手は、バルセロナのセルヒオ・ブスケツ。それが3年になって、マンチェスター・シティのケヴィン・デ・ブライネに変わった。理由は「球際にバチンと行けるし、前に顔を出す回数が全然違うから」。上手い選手から、戦える選手へ。そして自分で試合を決められる選手へ。この前後から彼のプレーには、確かな覚悟が宿ってきたような気がしていた。

「夏の合宿はいつもヤバかったですけど、特に今年は結構エグかったです」と苦笑交じりに思い出す暑い季節を経て、高校最後となる選手権がやってくる。初戦は都立高島高に5-0と快勝を収め、西が丘へ王手を懸けた準々決勝の相手は堀越高。三浦はいつも以上に気合を漲らせて、ゲームに臨んでいた。ワンプレーごとにチームメイトへ厳しい声を浴びせ続ける姿は、周囲から浮き立って見えるほど。だが、本人もそれは自覚していた。「みんなが緊張していたので、もう一人だけ声を出して、『浮いてるぐらいやらなきゃな』って思っていました」。

 1点リードして迎えた追加点のチャンスに、中央へのパスを選択せず、シュートを放った選手には怒気をはらんだ指示を飛ばす。「関東大会予選で負けた駿台学園戦に似ていて、前半に1点決めて『行けるんじゃないか』みたいな雰囲気があったので、また同じことをしないようにというのと、練習でもチームで『100パーセントを選べ』とやっているので、『もっと落ち着け』って言いました」。頭は冷静に。心は熱く。周囲から見えている以上に、その2つのバランスはしっかり取れていた。

 後半25分には石井隼太のFKにヘディングで合わせ、ポストを叩いたボールがゴールネットへ転がり込む。「あの形は今まで1年生から4,5回決めてるんですけど、全部オフサイドになっていて(笑) 公式戦であの形で初めて入りました」と笑わせながら、自身の変化についても言及する。「中学生の時もそんなに怒鳴るタイプではなかったですけど、今年はやっぱり去年や一昨年より全国に出たい気持ちが何倍も強いので、それが形になっているのかなって思います」。

 堀越に2-1で競り勝った帝京は、東京朝鮮高との準決勝も2点を先行されながら、後半だけで4点を奪い返し、ファイナルへと駒を進める。しかも三浦はチームの1点目、2点目、3点目を1人で記録。自身3度目の西が丘で圧巻のハットトリックを達成し、チームを逆転勝利に導いてみせる。「自分はこんなに大事なゴールを決めたの、初めてなんですよ。ハットトリックも高校に入って初めてです。だから素直に嬉しかったです。やっちゃいましたね(笑)」。試合後の通路で、帝京の黄金期を知る荒谷守アドバイザーがこう呟く。「今のウチは三浦がやってくれるかどうかだよね」。再び辿り着いた駒沢陸上競技場。勝つか、負けるか。たった2つの結果が天国と地獄を残酷に分かつ、最後の1試合がやってくる。

「最初から駒澤さんのサッカーにお付き合いしちゃって、なかなか自分たちのペースにできなかった」と三浦も振り返った帝京の動きが重い。前半7分に先制を許すと、26分にも失点。2点のビハインドを背負ってしまう。日比監督も準決勝で同じ点差を引っ繰り返す要因となった2人の選手を、前半の内に途中投入したものの、駒澤大高の堅い守備陣をこじ開け切れない。「みんなちっちゃくなっちゃってましたね」と三浦。真価を問われるシチュエーションの下で、残された40分間のピッチへ走り出す。

 後半21分。帝京が1点を返す。萩原颯都のクロスを三浦がダイレクトで落とし、粘った佐々木のシュートは鮮やかにゴールネットを揺らす。中学時代から6年を一緒に過ごしてきた3人での反撃弾。三浦も「良い時間に1点が取れて、今まで追い付いてきているので、流れが来ている」手応えを感じていた。あと1点。明日もこの仲間たちとボールを蹴るためには、少なくともあと1点…

 タイムアップのホイッスルが駒沢陸上競技場の上空に吸い込まれる。「『ああ、終わっちゃったなあ』って。それだけで、他にはなにも考えていなかったです」。それはまるで水に浮かぶ“うたかた”のように、掴み掛けては消え、消えては掴み掛けていた“夢”が、とうとう消えてなくなった瞬間。三浦颯太は、ただそこに立ち尽くしていた。

「最後まで、表彰式までちゃんとやろうとは思っていました」。毅然と、顔を上げて、戦い終えたばかりのライバルへ優勝旗が渡る光景を見つめる。声を嗄らした応援団の元へ挨拶に行き、メインスタンドにいた知人とも言葉を交わす。淡々と。粛々と。自分のなすべきことを1つ1つ消化し終えた8番は、静かにロッカールームへ帰っていった。

 30分は経っただろうか。三浦がミックスゾーンへ姿を現す。落胆の色は隠せないが、想像していたよりはサバサバした表情だった。「全国に行く力はたぶんあったと思うんですよね。やっぱり1人1人の、この大舞台でもちょっとした“ちっちゃく”ならない精神力とか、普段の練習の積み重ねが、ちょっと足りなかったのかなと終わってから思います」。一度は敗因を絞り出したが、少しあって「何が足りなかったのか、ちょっとわからなかったです」と本音を覗かせる。ずっとずっと追い求めてきた目標に、あとわずかの所で届かなかったのだ。そちらの方が極めて率直な想いだったに違いない。

 長くて短かった3年間に話題が及ぶ。「1年生から出させてもらっていたことで、結構注目もしてもらっていて、自分は逆に『やってやろう』みたいな感じでした」「自分としてはいろいろな能力を伸ばしてもらって、良いチームメイトにも囲まれて、充実していたと思います」仲間への感謝が口を衝く。それでもこの気持ちは覆い隠せない。「最後の最後はやっぱり結果が欲しかったです…」。

 日比監督はこの3年間を共に戦ってきた三浦について、こう語っている。「彼は本当にフットボーラーとしてもう1個も2個もレベルの高い所に行ける素材はあると思うんです。でも、その素材を生かせるか生かせないかは、今後のアイツの努力の部分ですよね。時間を掛けて一緒にやってきた分、優勝させてあげて、全国大会の舞台に連れていきたかったですけど、そうは簡単にやらしてくれなかったですね」

 久しく全国の舞台から遠ざかっているとはいえ、やはり帝京という看板の重さは、背負った彼らが一番実感していたことだろう。それゆえに1年から躍動してきた三浦が抱えるプレッシャーも、並大抵のものではなかったことは容易に想像できる。だが、望んだ結果は手に入らなかったかもしれないが、最後の1年間で見せたほとばしるような気迫や執念は、それまでの彼に最も求められていたものではなかっただろうか。「この経験はたぶんずっと忘れないと思うので、何が足りなかったのかよく考えて、しっかり自分を見つめ直して、また大学で成長できたらなと思います」。そう口にして、カナリア軍団の8番は通路の向こう側へ見えなくなった。

 何度も浮かんでは、そのたびに儚く消え、何度も届きかけては、最後まで届かなかった“うたかたの夢”。その残像を自らに刻みつつ、三浦のサッカーと生きる道はまだまだこの先へ伸びていく。そして、あるいはその行方に長く深い暗闇が待っていたとしても、きっと“うたかたの夢”を追い求める3年間で身に着けた強く逞しい光が、三浦の行く末を明るく照らしてくれることだろう。



■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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