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ブラサカ東日本リーグで初の2位躍進。free bird mejirodaiのエース鳥居が日本代表入りを断った本当の理由

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鳥居健人(右)は誇らしげに準優勝の賞状を掲げた

[12.2 ブラサカ東日本リーグ最終節 free bird mejirodai 3-0 Derroto Saber茨城  小石川運動場]

 チャンスがある限り、左右の足を振りぬいた。勝ち点7のfree bird mejirodaiは東日本リーグ最終戦でDerroto Saber茨城 と対戦。7得点奪い、さらに6点差をつければ、首位・たまハッサーズを逆転し、初優勝をもぎとれた。結果的に4点及ばなかったが、この試合でハットトリックを達成した鳥居は、創部3年目のチームが初めて2位になった喜びをかみしめた。

「純粋にうれしいです。他力本願ではなく、自分たちの力を出し切っての結果ですから。練習も週3回できていて、若い選手が多いのでやればやっただけ吸収して伸びていくんです」

 鳥居自身もリーグ戦で6点。日本代表のエース川村怜(Avanzareつくば)の5点を上回り、黒田智成(たまハッサーズ)の9点に次ぐ得点ランク2位に食い込んだ。しかし、代表には入っていない。いや正確には、鳥居のほうから丁重にお断りしていた。

「実は高田さん(敏志監督)に去年、声をかけていただいたんですが、free bird mejirodaiが発足2年目でまずはチームとして軌道にのせることに専念したかったんです。今のチームの監督(山本夏幹氏)とのかかわりの中で、立ち上げたチームですから。でも、代表に選ばれたら日の丸を背負うことになる。僕は14歳で初めて代表に呼んでいただき、16歳になった2007年のアジア選手権まで選んでいただきました。ブラインドサッカー以外にも、ゴールボールというパラリンピック競技で日本代表に選ばれたこともあり、2つの競技で日の丸をつけた責任感、重みを余計に感じます。『2020年を迎えるときはまだ30歳手前だから出られる』という考え方はちょっと違う。『自分が絶対にここでやるんだ』という覚悟ができない以上、軽い気持ちでは行ってはいけない場所だと感じています」

 鳥居は1歳半のとき、網膜のガンが見つかり、両目とも摘出。したがって、見えたときの記憶はほとんどない。

「日常生活をしていて不便なこともありますから、『見えたらよかったのに……』と思うことはもちろん、あります。でも物心ついたころから今の状態なので、見えないことによって生じる恐怖心は一切ない。それはある意味、強みだと思っています。見えていないからこそ今、ブラインドサッカーができていますし、健常者だったら絶対にやっていません。昔から見えていないことを強みに使えることなんて、日常生活ではなかなかないですから」

 置かれている状況のとらえ方ひとつで、試練は希望に変わる。今、目の前が暗かったとしても、鳥居はこれからもたくさんの希望の光を取り込むに違いない。 
 
(取材・文 林健太郎)

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