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ブラサカ日本代表の守備の要・佐々木ロベルト泉のうれしい悩み

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 Vivanzareつくばの大黒柱で日本代表の守備の要である佐々木ロベルト泉は2日、buen cambio yokohama戦で今季初勝利をおさめ、東日本リーグを5位で終えた。

「最後にいい気持ちで終われてよかった。僕も(前に)上がりたかったけど、ポジションのバランスをとるために我慢して、一人一人のポジションを動かすことに専念した。攻守のいいリズム作らないとね」

もともとAvanzareつくばで日本代表のエース川村怜の名相棒の役割を担っていたが、他の選手の個々の能力を伸ばすことを目的に、Vivanzareつくばを結成し、チームを引っ張るリーダーとなった。自分がドリブルで一気に突破できるような場面でも、日本代表候補に選ばれている山川聖立、森田翼、スーダン出身のモハメド・オマル・アブディンにボールを預け、佐々木自身はカバー役に徹したシーズンだった。

「最近、寝不足でね」。

 目をこすりながらも、その表情は笑っている。佐々木は11月4日の朝、子供が生まれた。その日は日本代表のアルゼンチン戦当日。妻のそばにいてあげたくても、立ち会うことができなかった。

「試合前日の夜に、奥さんが陣痛が来たって報告を受けてから、心配でずっと寝られなかった。1、2時間おきに起きたり、寝たりでね。アルゼンチン戦、実は寝不足のままだった」

 アルゼンチン戦でエース川村が前半に先制ゴールを決めた。対アルゼンチン戦で日本代表の初得点という歴史的ゴールだったが、川村は偉業の喜びを噛み締めるのもほどほどに、仲間を思いやった。すぐに他の選手を招き、スタンドの観衆にむかってゆりかごダンスを披露した。佐々木の子供の誕生を祝うものだった。佐々木はしみじみと言う。

「ブラインドサッカーは、ひとつのボールで世界がつながる。日本人。ブラジル人。国籍は違うかもしれないけど、関係ない。今、世界は差別的なことも多いけど、サッカーの中では差別がない。いろんな友達、いろんなつながりできる。それが魅力だと思う」

 ブラジル・サンパウロ出身で、父を早くに亡くしたため、家計を助けるために18歳で来日。しかし28歳のとき、通勤途中に命の危機に瀕する交通事故にあい、失明。異国の地で人生がガラリと変わった。それでも、4日に生後2か月を迎えた愛する子供のために、これからも40歳のパパは明るく頑張る。

(取材・文 林健太郎)

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