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日本代表を支援して40年…キリン社長「サランスクで飲んだ一番搾りは最高だった」

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背番号40の入った日本代表ユニフォームを手に笑顔の(左から)日本サッカー協会の田嶋幸三会長、キリンの磯崎功典社長、日本代表の森保一監督

「キリン×日本代表パートナーシップ40周年記念トークイベント」が11日、都内で行われ、日本サッカー協会の田嶋幸三会長、キリン株式会社の磯崎功典代表取締役社長、日本代表森保一監督が出席した。

 キリンが日本代表の支援を始めたのは1978年。同年5月には本格的な国際大会としてジャパンカップが開催され、ボルシアMG(ドイツ)やフィオレンティーナ(イタリア)、トッテナム(イングランド)、パルメイラス(ブラジル)など欧州や南米の名門クラブが次々と来日し、当時の日本代表にとっては貴重な国際経験の場となった。

 1985年からはキリンカップに名称を変え、森保監督が選手として日本代表デビューを果たしたのも1992年5月31日に国立競技場で行われたキリンカップのアルゼンチン戦だった。森保監督は「練習では自分が試合に出るとは思っていなくて、(当時の)オフト監督がホワイトボードに名前を書いているのを見たとき、サブのところに自分の名前がなくて、書き忘れていると思ったらスタメンだった」と冗談交じりに当時のエピソードを明かした。

 その後、A代表だけでなく、U-23日本代表や日本女子代表(なでしこジャパン)でもキリンチャレンジカップを開催。現在ではフットサル日本代表やビーチサッカー日本代表など、すべてのカテゴリーで日本代表を支援している。

 磯崎社長は今年6月のロシアW杯も現地で観戦。コロンビアを2-1で破ったグループリーグ初戦について「本当に一喜一憂で、90分間のドラマだった。劇的な勝利を目の当たりにして心が揺さぶられた。本当に40年間応援してきてよかったと思った」と述懐すると、「そのあとサランスクで飲んだ『キリン一番搾り』は最高だった。ありがとうございました」と笑顔を見せ、これには田嶋会長も「私も『一番搾り』を飲みましたが、その味は忘れられません」と満面の笑みで応じていた。

 トークイベントの最後には背番号40の入った日本代表ユニフォームに森保監督がサインを入れ、田嶋会長、森保監督から磯崎社長に贈呈された。

(取材・文 西山紘平)

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