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“鉄人左SB”への道…早稲田大DF冨田康平はJ2京都へ「3人のように必要不可欠な存在に」

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早稲田大の左サイドバックDF冨田康平(4年=市立浦和高)

[12.17 インカレ準々決勝 早稲田大1-2順天堂大 味フィ西]

 早稲田大の左サイドバックで先発したDF冨田康平(4年=市立浦和高)は後半13分に途中交代となった。ベンチから敗戦を見守り、不完全燃焼な幕切れ。「やりきれなかった。泣くような感情にもなれなかった」と悔しさは残った。

 市立浦和高から受験をして早稲田大に進学した。「自分は当たり前にプロになれる立場ではなかった」。1年生のシーズンは出番がなく、左膝半月板を傷めた翌年は一年間離脱。両親からは一般就職を勧められたが、「プロになれるかもしれないと考えるだけでワクワクした」。念願叶ってJ2京都から声がかかり、6月末に入団内定を発表。特別指定選手として8月11日のJ2第28節岐阜戦に出場し、Jデビューを果たした。

 早稲田大同期のJ内定選手はほかに3人。関東リーグ得点王で主将のFW岡田優希(4年=川崎U-18/町田内定)、U-21日本代表GK小島亨介(4年=名古屋U18/大分内定)、特別指定選手としてブレークを果たしたMF相馬勇紀(4年=三菱養和SCユース/名古屋内定)が、先を行く活躍を遂げている。

「入部当時の実力も3人に劣っていたし、3人のように試合に勝つために必要不可欠な存在にはなれなかった。同期としては誇らしいけど、一緒にプロになる身としては悔しい。技術を高めることはもちろん、そうやってチームに必要だとサポーターや監督に思われるような選手になれたらいいなと思います」

 長所は豊富な運動量を生かした攻撃参加、スピードに乗った縦への突破。「キツくてもいかに上がれるか、戻れるか。最後は気持ちだと思う。徹底的に意識して走ってきた」。大学生活では苦しくなってから走って追い込む習慣をつけ、「今年は全然疲れなかった。いくらでも走れるなと実感した」という境地にも達した。

 理想の選手は、無尽蔵のスタミナを誇る日本代表DF長友佑都(ガラタサライ)。高体連から大学サッカーを経てプロの世界に身を投じた経歴も重なる。「運動量や気持ちでチームを支える存在になりたい」。スタートラインに立つ来季、目標への道筋は見えている。

(取材・文 佐藤亜希子)

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