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槙野が語るロシアW杯秘話「俺たち6人が戦犯扱いされる怖さもあった」

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日本代表DF槙野智章

 今夏のロシアW杯ではグループリーグ最終戦のポーランド戦で日本代表史上最年長となる31歳でのW杯デビューを果たし、サッカー選手としてのプレゼンスを飛躍的に上げたDF槙野智章(浦和)。ベスト16入りを果たしたロシアでの秘話、来年1月に迫ったアジアカップでの目標、そして4年後のカタールW杯に至るまで、今後についての思いを聞いた。

―今年はロシアW杯がありました。初めてW杯を経験して、あらためてW杯とはどういう大会だと感じましたか?
「一人の男をこれほどまでに動かし続けてくれる大会。それがW杯だと思います。僕の場合は前回(のブラジル大会)もチャンスがありましたが、そのときは落選でした。今回は年齢的にも最後の4年間の勝負と決めていた中でのW杯でしたから、いわば集大成の大会でした。実際に出場して感じたのは、内からも外からも自分を大きく変えてくれた大会だったということです。ここまで劇的に変われたという意味で、すごく価値のある大会でした」

―想像していたものと比べてどうでしたか?
「名前のある選手と対戦するので緊張感はもちろんありましたが、実際に行ってみて一番感じたのは1試合に勝つための準備も含めて、試合に出ている11人だけでは勝てないのだということです。出ていない選手やスタッフなど、いろいろな人たちが関わって得た勝利のあとは、喜びが全然違いました」

―槙野選手はハリルホジッチ監督時代はセンターバックのレギュラーポジションをつかんでいましたから、W杯本番前のチーム体制の変化には複雑な思いもあったのではないかと想像します。
「ハリルさんのころはあるときを境に、23人に入ることが目標ではなく、11人のピッチに入ることが目標になっていました。確かに監督が交代したところで、そのあたりの確実性というのはなくなったと思います。西野(朗)さんが監督になってからは、初陣のところから試されているとは感じていました」

―11人を意識するようになったというのはいつごろですか?
「昨年11月にブラジル、ベルギーと対戦した欧州遠征のころです。自分が中心となってゴールを守らなければいけないという使命感が出てきていましたね」

―監督が交代しなければ……と思うことはなかったですか?
「かっこつけじゃないですけど、監督が代わって自分が出られなくなってW杯を迎え、W杯を終え、だからこそ今まで気づけなかったことに気づかせてもらったんです。それはめちゃくちゃうれしかったし、僕の財産になっていると思います」

―レギュラーのままでは気づけなかったことがあるということですか?
「もし、あのまま監督交代がなかったり、監督が交代しても試合に出られていたりしたら、自分が今まで知っていたサッカー観のままだったと思うし、知りたかったことを手にすることもできなかったと思います。綺麗事かもしれないですし、もちろん試合に出られればそれも自分の経験になったと思いますが、出られなかったことで多くのものを手に入れることができました。それは試合に出たとき以上のものです。自分の武器として今後のサッカー人生にすごく役立つと思っています」

―「出なかった」と謙遜していますが、グループリーグ3戦目のポーランド戦に先発しました。
「W杯のドロー抽選が行われてからの半年間はレワンドフスキのプレーを頭に叩き込んでいましたから、なんとかチームが次のステージに行くためにという思いで、準備してきたことをグラウンドの上でしっかり表現しようと思っていましたね」

―ポーランド戦は勝ち点などで日本が有利な状況ではありましたが、それでもグループリーグ突破はまだ決まっていませんでした。プレッシャーもあった中で大会初先発したメンバーたちはもっと評価されるべきだと思います。
「西野さんは1、2戦目から先発6人を代えたのですが、この6人の選手たちで実はちょっとしたコミュニケーションがあったんです。『やらなきゃいけないね』というのもそうなんですが、一方で『まさかここで俺たちを使うか』という声もあった。『俺たちがここで結果を残さなければ戦犯扱いされる』という怖さもあった。最終的に6人で話したのは『俺たちが今できる最大限のことをなんとしてでもやり遂げよう』ということ。そのコミュニケーションがあって、6人の結束力はより深まっていました」

―槙野選手、酒井高徳選手、山口蛍選手、宇佐美貴史選手、岡崎慎司選手、武藤嘉紀選手の6人ですね。
「ポーランド戦の3日前ぐらいの練習から、西野さんから『次の試合は大幅にメンバーを変更する』という話をチーム全体で聞かされていましたし、実際に練習の中でもそういう選手がチョイスされていました。ですから6人の中では次はそういうチャンスがあるなということは分かっていました。普段とポジションの違っていた酒井高徳選手や、(久々の先発となる)宇佐美選手も出ましたし、正直に言うと『このタイミングで俺らかよ』という思いもありました。でも、考えたのはやっぱり『この舞台を楽しもう』とか、『こういうタイミングでチョイスされた俺たちが結果を残して先のステージに行くほうがよっぽど難しい。だからこれはすごいチャンスだよ』ということです」

―難局を任された6人の結束が目に浮かぶようです。
「6人じゃなくて、1人や2人だったら逆に難しかったかもしれません。同じ状況にいたそれだけの選手が同じピッチに立てたことは、ある意味、強い絆で結ばれることにつながったと思います」

―森保ジャパンになってから4か月が経ちました。ご自身の立ち位置は変わりましたか?
「ロシアW杯が終わって自分の立ち位置はガラッと変わりましたね。今まで長谷部(誠)さんや川島永嗣さんがやってきたような立ち位置に自分がなりつつあるのかなと思うし、自分が選手とスタッフの間に入ってできることもあるのではないかと思っています。そういう気持ちで代表チームの中で振る舞っているという感覚はあります」

―具体的にはどのような役どころですか?
「試合に出るにせよ出ないにせよ、練習や試合へのアプローチの仕方とか、これまでA代表に名前を連ねてきていない選手たちにA代表の価値観や緊張感を伝えていかなければいけない。それが僕を含めたベテラン組の仕事だと思っています。今はただチームを盛り上げるだけではない。ここはA代表という特別な場所なんだということを伝えていかなければいけないと考えています」

―1月にはアジアカップが控えています。槙野選手はザックジャパン時代の11年カタール大会にも招集されていましたが、事前合宿中の負傷で途中離脱となりました。
「そうなんですよね。前はケガで離脱しているので、今回が初めてなんですが、2回目とも言える。とにかく、自分の中では個人的にとても楽しみです。(アジアカップには)まだ1試合も出ていないのでこの大会にかける思いは強いですし、浦和レッズでAFCチャンピオンズリーグ優勝も経験していますから、アジアの戦いを熟知しているという自負もあります」

―来年のアジアカップはUAEが舞台です。浦和レッズで出場した昨年のクラブW杯のリベンジという気持ちもあるのではないですか?
「そうですね。クラブW杯で敗れたことも含めていろんな思いがありますが、とにかくこの舞台を自分の次のステップに生かしていかなければいけない。チームがしっかり勝つこと、タイトルを獲ることが一番だと思っていますし、そこに自分のエネルギーをしっかり注ぎ込むことが重要だと思っています」

―日本の未来にもつなげていきたいですか?
「今まで見ていると、このアジアカップを経ていろいろな選手が急成長している印象があります。今回は森保ジャパンのだれかがそういう選手にならなければいけない。僕としてはそれをサポートできればいいなと思っています」

―インタビューの冒頭で14年から18年の4年間がラストチャンスと思っていたと、過去形で語っていましたが、今はこの先をどう考えていますか?
「正直に言うと、僕はロシアで終わりだと思っていました。ですから、そこから先は新しい目標を見つけなければいけないんだろうと思って迷っていたのですが、現に今、こうやって代表に呼ばれていますし、自分の立ち位置も理解しています。その中で自分の目標は何なのかなと思ったときに、まずは2020年の東京オリンピックに向けて、何か携わっていきたいなと思っています。それとやっぱりもう一度、2022年カタールW杯に向けて、年齢を感じさせないプレーと結果を出すということが大きな目標です。自分の中でそのように設定しています」

―キャリアの中で目標設定が変わったということですね。
「変わりましたよ。ただ、4年先を考えるとしんどいので、まずは間の2020年を考えて(笑)」

(取材・文 矢内由美子、取材協力 DAZN)

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