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デフサッカー日本代表FW林滉大が来春、ドイツのクラブに挑戦。現役日本代表では史上初!

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ドイツ挑戦を表明した林滉大

聴覚障がい者によるオリンピック(通称・デフリンピック)が2021年に開催されるが、そのアジア予選が今年11月に控える。日本代表の中心として期待されるFW林滉大(亜細亜大経済学部4年生)が今春、日本代表FW大迫勇也などがプレーするサッカー大国・ドイツで挑戦することが明らかになった。林が挑むのはドイツの下部リーグ。4月に複数クラブの入団テストを受ける準備を水面下で進めている。

「前回(2017年の)デフリンピックが、今回の挑戦を考える上で大きな転機になったと思います。予選リーグのイタリア戦で、引き分けでも初の予選突破ができたのですが、2-0と勝っている状態から負けてしまった。国内では体格のハンデを感じずにいい勝負ができたとしても、世界との戦いになると体の面で太刀打ちできないことを痛感したんです。自分はゴールを決める選手なので、ヨーロッパでプレーして、ヨーロッパの選手に対する慣れや経験を日本代表に還元したいと考えました」

 過去ブラジルに短期留学した日本のデフサッカー選手はいたが、現役の日本代表がヨーロッパの強豪国に挑戦するのは史上初。ドイツはデフサッカー界でトルコ、ウクライナに次いで世界トップ3に入る。しかも林が挑むのはデフのクラブではなく、健常者のクラブ。なぜあえて健常者のクラブに挑もうと考えたのだろうか。

「僕が思うに、日本の健常クラブを目指すのも、ドイツの健常クラブを目指すのも同じかなと感じています。僕が日本の健常クラブにいたときもコミュニケーションの『壁』は存在していて、これまでその『壁』を少しずつ壊していきました。スムーズなコミュニケーションをとることが難しいのは日本でもドイツでも結局、同じかなと思っています。それに、ドイツにはデフのクラブが50ぐらいありますが、日本は10クラブ前後しかない。サッカー大国のドイツでサッカーの文化そのものも学びたい。(大迫など)そういう選手とやれるようになるかどうかはわかりませんが、挑戦したい気持ちはあります」


 林の挑戦を、フリマアプリの「メルカリ」がサポートする。12月にクラブワールドカップに出場した鹿島アントラーズなどもサポートする同社は、世界で活躍することを目指すアスリートの支援を行っており、現時点で10人の障がい者アスリートを雇用。練習に集中して取り組めるように、フレキシブルな勤務形態を提供している。

「次のデフリンピックにむけて自分のレベルを高めたくて、プロフェッショナルなアスリートとして雇ってもらえる会社を探す中でメルカリと出会いました。会社の方が『メルカリは世界を見ている』とおっしゃていましたし、僕も世界を見ている。そこでマッチしました。今、ドイツ語も1日2時間勉強しています。リスニングができれば覚えるのも早いかもしれませんが、それができないので、本を買って見ながら勉強しています」と語る目は輝いている。

 先天性感音性難聴の林は生まれつき、耳が聞こえず、補聴器をつけていても音を言葉としてはとらえられない。したがって、口の形と音を組み合わせて言葉を理解する。通学していたろう学校に当時デフサッカー日本代表監督の教師がいたため、小学2年生の頃にはデフサッカーの存在を知っていたが、林自身は中学まで健常者に交じって一緒にサッカーをプレー。しかし高校では試練を味わう。全国大会にも出場経験のある古豪に進み、練習試合で点を決めたり結果を残しても、林は卒業まで公式戦には1度も出られなかった。林は入学当初、「障害をもった人を試合に出したら不利になるから試合には出せない」と言われていた。それでも朝早く練習し、夕方の全体練習後も個人練習を継続。勉強でも常に学年でベスト5に入っていた。

「すべてにおいて認めてもらおうと思って頑張りましたが、それでもダメでした。高校3年生の最後の大会のメンバーにも入れなくて、そこでサッカーに対する気持ちが一度、なくなりました」

昨年11月の全日本選手権ではMVPに輝いた

 亜細亜大学にはサッカーの推薦ではなく、指定校推薦で入学。大学入学を控えていた高3の2月、当時、デフサッカーの日本代表監督をつとめていた中山剛氏(現・U-23日本代表監督)が日本代表候補合宿に林を呼んだことがきっかけで、デフサッカーを本格的にはじめた。並行して亜細亜大学サッカー部でも活動。4年生時に公式戦に出られるまで成長し、11月のデフサッカー全日本選手権ではMVPに選ばれた。

「中学のクラブは障がいを関係なく、僕をひとりの選手として見てくれました。元北朝鮮代表だった当時の監督にはこう言われました。『自分は在日朝鮮人で日本人と一緒にプレーする中で言葉や人種など“違い”を理由とした困難に直面した。サッカーのピッチ上になると、聴覚障害は、人種が違う、国籍が違う、身長が高い、低いと同じで、特別なことではなくなる。君は他人に持っていない能力と技術を持っているからそれを伸ばしなさい』と。監督のおかげで中学では自分の本当の力を見せることができました。今思い出すと、監督の言葉が(試練の時期となった)高校3年間続けられたモチベーションになっていた気がします」

 正月は自宅で家族や5匹のチワワと過ごす林は、新年の決意をこう明かした。

「僕にとって、今年のアジア予選に出られれば初めての出場になります。自分がゴールを決めて、日本代表を勝利に導きたいです。負けるとデフリンピックに出られないし、前回大会のリベンジもできない。死んでも勝ち抜きたい」

 林が失意のときに声をかけた中山氏は、「奇跡の遭遇」を覚えていなければ、林に声をかけたかどうかはわからなかったという。その詳細は明日2日にお伝えする。

(取材・文 林健太郎)
(協力 亜細亜大学障がい学生修学支援室)

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