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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:エクストラ・タイム(駒澤大学・須藤皓生)

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駒澤大CB須藤皓生(右)が法政大FW上田綺世と競り合う

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 悔しくない訳はない。苦楽を共にしてきた仲間と、日本一になりたかった想いは当然ある。でも、どこかで清々しいくらいにやり切った感覚も身体を包んでいた。「大学では仲間のためにというか、『自分はどんな姿でもいいからチームのために何とかしたい』と思えるようになったので、そういう所はこれから社会に出ても、辛い時に自分のことだけじゃなくて、他の人のことを思えるようになったんじゃないかなと。それを今後に生かしていければと思いますし、自信を持って社会に出ていけるモノを手にした4年間だったと思います」。須藤皓生は得難い経験を重ねてきた大事な“エクストラ・タイム”の思い出と自信を胸に、新たな人生のスタートを歩み出す。

 12月22日。全日本大学サッカー選手権大会決勝。8年ぶりに全国の舞台へ帰ってきた駒澤大学は、同じ関東代表の法政大学とのタイトルを懸けたラストマッチを迎える。ファイナル自体が12年ぶり、優勝すればやはり12年ぶりという大事な一戦。このゲームに臨む駒澤のスタメン用紙には、須藤皓生の名前が書き込まれていた。

「去年はセンターバックで、今年はサイドバックをやっていたんですけど、今シーズンの序盤は本当に何もできなくて、存在意義を自分の中で見い出せなくて… やっとインカレぐらいでちょっとやれるようになってきたかなぐらいの感じでした」と話す須藤は、初戦と準々決勝こそ右サイドバックとしてフル出場を果たしたものの、準決勝はベンチからチームが勝利を収める光景を見守ることになる。

 ところが、気合のディフェンスを披露し続けてきた4年生センターバックの伊勢渉が、その準決勝で大会2枚目のイエローカードを提示され、ファイナルの欠場を余儀なくされる。気まぐれなサッカーの女神と大学サッカー界指折りの名将として知られる秋田浩一監督が、最後の最後で用意してくれた本職のポジション。「『こういう運命だったのかな』と思って」、ディフェンスラインの中央でキックオフのホイッスルを待つ。そんな須藤は、そもそも大学でサッカーを続けるつもりのない選手だった。

 時計の針を2014年まで巻き戻す。総体予選で東京の頂点に立ち、初めて夏の全国出場を勝ち獲った駒澤大高は、キャプテンを託されていた須藤や鈴木隆作、幸野高士、安藤丈など結果的に大学でも4年間を共有するタレントも揃い、いわゆる“第1シード”として選手権予選へ向かうと、初戦は7-0の大勝。圧倒的な力を見せ付けて準々決勝へ勝ち上がる。

 相手は都立三鷹高。リーグの対戦では4-1で快勝を収めており、ワンサイドゲームすら予想された一戦だったが、前半の内に1点を先制された駒澤大高は、攻めても攻めてもゴールを奪えない。後半も一方的に押し込みながら、相手GKのスーパーセーブに阻まれ、時間ばかりが経過していく。追い詰められたアディショナルタイムも6分を過ぎた頃。FKが直接ゴールネットへ吸い込まれ、劇的な同点弾と思いきや、オフサイドの判定で万事休す。須藤たちの選手権は、想像より遥かに早く終止符が打たれてしまう。

「もともと大学でもやると言っていたヤツは、僕らの代はいなかったんじゃないですかね。みんな迷っていた感じで。僕も選手権に行っていたらやるつもりはなかったですから」と須藤は当時を回想する。ただ、あまりにも呆気ない高校サッカーの幕切れに、燃え尽きなかった想いが燻る。「あそこで決意しました。たぶん隆作とかも丈もそうなんじゃないかなと思います」。このままでは終われない。彼らのサッカーキャリアをもう4年間引き延ばすキッカケになったのは、1つの悔しい敗戦だった。

 全国中から精鋭が集う名門であり、数々の栄冠を手にしてきた駒澤大学体育会サッカー部。「入部する時から試合に出られると思っていなかった」須藤だったが、1年生から早速Bチームに抜擢されると、2年生の前期には関東大学リーグの公式戦で起用されるようになる。ポジションは慣れ親しんだセンターバックではなく、サイドバックがメイン。必死に食らい付いていったものの、「そんなに自分の中でやれている感覚はなかったですし、正直『大学サッカー厳しいなあ』という想いでずっとやっていました」と振り返る須藤は、それでも少しずつ出場機会を増やしていく。

 トップレベルでのプレーは刺激に溢れていた。「例えば筑波だったら三笘薫がいて、僕はマッチアップでしたけど、1人では止められないので、みんなでやってということも良かったですし、法政の上田綺世とはたぶん3回くらいやっているんですかね。やっぱり彼らがこれからどんどんキャリアアップしていった時に、『コイツらとやっていたんだな』という思い出ができたのは良かったですし、非常に良い経験になりました。そこは自分の中で誇っていけるものなのかなと思います」。

 4年生になってからは背番号も一桁の2番になり、リーグ戦でも15試合にスタメンで登場。複数ポジションできっちり仕事をこなして、チームのインカレ出場にも貢献してみせる。既に就職は決まっていた。あるいは高校で終わっていたかもしれないサッカーキャリアの締めくくりは、高校時代に届かなかった“冬の全国”。その舞台でも一定以上のパフォーマンスを続けた駒澤と須藤は、前述したように1つ1つ勝ち上がり、とうとう日本一に王手を懸ける。

「今回のインカレで一番うまく行かなかった試合」と須藤も言及した通り、決勝は法政のペースで推移していく。少ないチャンスを生かしたい駒澤だったが、前半に中原輝が放った鋭いミドルはクロスバーにヒット。先制点を奪えない。すると、後半15分に法政は注目の上田を投入。「あの時間に出てくるのはわかっていたので、『そこからが勝負だ』と自分でも決めていた」須藤がマンツーマン気味に付きながらも、世代屈指のストライカーは何度も際どいシーンを創り出し、駒澤ディフェンス陣にプレッシャーを掛けていく。

 後半27分。法政が試合を動かす。森俊貴の強烈なボレーはクロスバーを叩くも、ルーズボールに反応したディサロ燦シルヴァーノが素早く詰めて、懸命に戻った須藤の目の前でゴールネットを揺らす。破られた均衡。駒澤も交替カードを切りながら、反撃への意欲を前面に押し出すものの、決定的なチャンスを創り出すまでには至らない。ファイナルスコアは1-0。「今日の試合に関しては法政さんの方がすべてにおいて上だったと思います」と認めたのは秋田監督。快進撃を続けてきた駒澤も覇権奪還には一歩及ばなかった。

 “最後の試合”が終わって1時間は経過した頃。須藤が“最後のロッカールーム”から姿を現す。「あああ、もっと、もっとやりたかったです。悔いはなくて、後悔というよりは、難しい感情ですけど、このチームでやれたので良かったです。優勝はできなかったですけど、正直自分のキャリアを見てきて、こんな選手たちと、こんな舞台でやれることは想像していなかったので、今までやってきたことは間違いじゃなかったなと思いました」。話していく内に少しずつ、少しずつ、思考が整理されていく。

 チームでの自身の立ち位置についても話が及ぶ。「僕は本当に駒大史上、一番怒られた人間なんじゃないかなと思います。いつしかそういうキャラになってしまって(笑) 自分がダメなんですけど、期待を超えていけない所があって。ウチのスタッフは褒めないので、それに負けそうな時もありましたけど、逆に選手たちの絆が生まれてくる所もありましたし、そういう意味で“策士”かなと思いますね。そこまで考えてやってるのかなと。秋田監督はそれこそ出会えたことで、人生が変わったと思えるような人です」。そんな怒られる機会も、もうなくなってしまう。「寂しくなるんじゃない?」と水を向けると、「なる気がします。最後の監督のミーティングもいつも通り終わったんですけど、『もうこれが最後なのかなあ』と。ちょっと寂しくなる予感がもうしていますね」と小さく笑う。話していく内に少しずつ、少しずつ、“終わり”を実感していく様子が窺える。

 高校で終わっていたかもしれない須藤のサッカーキャリアには、1つの敗戦を機に4年間という長めの“エクストラ・タイム”が付け加えられた。「あの時の仲間には申し訳ないですけど、逆にあの“負け”があって良かったなと今は思います」と語った彼にとって、それはどういう時間だったのかが、実はずっと気になっていた。そのことを尋ねると、すっきりとした表情で須藤はこう言葉を紡ぐ。

「ここは人間的な成長を重んじるサッカー部なので、その面ではかなり鍛えられたかなと思いますし、物事の考え方や感覚がより変わりましたね。高校の時は自分が点を取りたいとか、選手権に出てテレビに出たいとか、そういう自分本位の気持ちがあったんですけど、大学では仲間のためにというか、『自分はどんな姿でもいいからチームのために何とかしたい』と思えるようになったので、そういう所はこれから社会に出ても、辛い時に自分のことだけじゃなくて、他の人のことを思えるようになったんじゃないかなと。それを今後に生かしていければと思いますし、自信を持って社会に出ていけるモノを手にした4年間だったと思います」。

 おそらく燃え尽きずに燻った想いは、この4年間を経て、彼なりに燃焼されたのではないか。もしもサッカーを続ける選択肢をチョイスしていなかったら、まったく違った大学生活が待っていたことだろう。ただ、須藤はサッカーを続け、自信を持って振り返れる“エクストラ・タイム”の思い出を手に入れた。きっと自分で決めたその道こそが、自分にとって唯一の正解であり、それは今までのサッカーキャリアよりずっとずっと長く続いていく、これからの人生においても同じことが言えると思う。自分で決めたその道こそが、自分にとって唯一の正解であり続けるはずだ。

「これで1つの挑戦が終わったという感じです。非常にサッカーをやって良かったなと思えるキャリアでした。これ以上のキャリアはないと思います」。そう言い切ってスタジアムを去って行く後ろ姿を静かに見送った。須藤皓生は得難い経験を重ねてきた大事な“エクストラ・タイム”の思い出と自信を胸に、新たな人生のスタートを歩み出す。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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