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ブラインドサッカー日本代表・高田敏志監督の告白「僕がメダルを目指す本当の理由」

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 東京五輪でサッカーにおける唯一のパラリンピック種目のブラインドサッカーは2004年のアテネ大会で正式種目になって以来、日本代表はメダルどころか、出場経験すらない。現役時代はプロ経験がない日本代表・高田敏志監督は「初出場でのメダル獲得」という快挙達成を目指す背景に、熱い使命感があった。

「僕はたまたま監督をさせてもらっているだけで、僕を支えてくれる優秀なスタッフや選手はみな人間的にメダルに値する人たちです。彼らの努力に報いる意味でもメダルをとりたい。その先にパラリンピックスポーツに対する評価を変えたい、という気持ちもあるんです。世界ランク1位のブラジル代表、2位のアルゼンチン代表はオリンピックとパラリンピックの位置づけが同じですが、日本はそうではない。この位置づけがあがらない限り、日本でスポーツが文化になることはないと思っています。我々のようなチームが金メダルをとれたら、位置づけがかわるきっかけになるはずです。今、ここにいる限り、僕らにはそういう役割があると考えています」

 高田監督の現役時代のポジションはGK。高校時代は1985年の第9回クラブユース選手権で大阪府・交野FCの守護神として全国3位に貢献した。優勝は読売ユース。のちにヴェルディ川崎の黄金期を支えた1学年下の北澤豪、2学年下の菊原志郎を輩出した名門だった。高田監督は青山学院大卒業後はサッカーをやめ、一般企業に就職。その後、2002年に日韓ワールドカップ(W杯)を機に日本のサッカー界全体が世界を目指す流れが出来てくると、高田監督はサッカーのGKの指導に目覚め、仕事の合間を縫って、海外の指導者研修を受講した。2009年にバイエルン、2010年にACミランやパルマの研修を修了。バイエルンには若き日のルーカス・ポドルスキ(ヴィッセル神戸)もいた。

「懇意にさせていただいていた新聞記者の方とのご縁でドイツに行くことができたのですが、施設の充実度が違った。バイエルンでは1968年、メキシコ五輪の時に釜本(邦茂)さんが宿泊されたスポーツ施設に泊まりました。そんな施設がバイエルンの中にとどまらず、いくつもあり、ドイツ代表も別個に持っている。ここにたどり着くまでに何年もかかりますよね。ドイツにはそれがメキシコ五輪の前にあったんです」

11月のアルゼンチン戦で声を張り上げる

 さらに選手の将来性を見抜くスカウトの眼力にも驚かされた。

「トップチームの下のバイエルンBでプレーしていた子供みたいな選手がいたんですが、クラブ関係者がその子を指して『確実に出てくるよ』と言われた。それが2010年の南アフリカW杯で5得点をあげて、史上最年少の20歳で得点王に輝いたトーマス・ミュラーでした。そんなにうまいという感じはしなかったけど、得点をとる才能があったということ。それを見抜く感覚やロジックがヨーロッパには蓄積されているんです。同じことを知っていて、同じ環境にあれば日本だって勝てると思う。でもコーチの知識の量も質も違うと思いますし、当然、選手に教える内容が違ってきます。海外で勉強しなければ、という思いが必然的に強くなりました」

 高田監督は、トップアスリートやコーチのマネジメント業務に関わる「株式会社アレナトーレ」の代表取締役でもある。スペインにもオフィスを構え、日本の指導者育成を目的に優秀な指導者を招く仕事もしており、ヨーロッパの最新情報を日々アップデートできる環境にある。

ベテラン黒田智成にイメージを持たせるため、背中に書いて指示を出す

 ブラインドサッカーとの出会いは2013年1月。2012年のロンドンパラリンピックへの出場を逃し、次の五輪へむけ、GKの強化が課題となる中、専属コーチがいなかったため、関係者を通じて「練習を一度、見てほしい」といわれた。

「それまで競技を見たことがなかったんですが、当時は今ほどパスもつながらないのに、とにかく選手たちが楽しそうにやっていた。こういうサッカーあるんだなと感じました。仕事で会社経営をする中でいわゆる大人の汚い部分にも直面し、彼らの姿に心が洗われるような気がしたんです」

 GKコーチとしてリオデジャネイロパラリンピックを目指し、2015年11月から代表監督に就任した。当時、身近に視覚障がいを抱えた人がいなかった高田監督は、全盲の選手たちとどう接してきたのか。

「あまり特別な先入観は持っていなくて、準備したことはないです。たとえばトイレに連れて行く方法も見様見真似で覚えました。彼らと付き合っていて思ったのは、彼らがやりたいのは、視覚障がい者向けのサッカーではなく、実は普通のサッカーをやりたいのではないか、ということです。ブラサカの選手は視覚を通してボールを把握できないので、足元のパス交換も、健常者がやるように簡単にはいかない。だから『スルーパスは無理だよね』という話になりますが、僕はいつも『まずやってみて、できることを増やせばいい』と考えています。『できない』という打ち消しの言葉は基本的に使わせないようにしているんです。最初は『監督、これ無理』と言っていたましたが、だんだんなくなってきましたね」

 昨年12月の代表合宿でも、中央を固める相手の守備を崩すことを想定した練習で、中央でボールを持った選手が、サイドにいる選手の足元ではなく、選手の前方に広がったスペースにパスを出し、そこに走らせる練習を繰り返した。普通のサッカーに見られる光景だ。高田監督はブラサカにおける常識にとらわれず、どこまで選手たちの可能性を広げるられるか、という戦いにも挑んでいる。

練習前後のフェンスの設営、片付けも自ら手伝う

「国の管轄で専用ピッチを持ち、年間200日間活動するブラジル、アルゼンチンと比べると環境はプロと少年サッカーぐらい違う。でもそれは言い訳にすぎない。我々は与えられた環境で金メダルを狙う。与えられた環境の中で力を出すのが日本人のよさだし、金がないけど勝った、というほうがカッコいいでしょ」

 普段からそう明かす高田監督は、与えられた環境の中で選手と日常的に接する工夫をしている。選手の体調管理やトレーニング内容をリアルタイムで把握するため、ラグビーW杯で南アフリカから奇跡の勝利をあげた日本代表・エディ・ジョーンズ監督が採用したクラウドサービス「ONE TAP SPORTS」を導入。さらに、代表合宿こそ月1回、2~3日だが、合宿以外の平日に選手たちが仕事などを終えた後の夜の時間を使い、平日練習も週に数回実施。グラウンドを借りるために頭を下げ、選手を集め、他の代表スタッフと手分けして選手個々の課題克服に取り組み、世界の強豪との差を埋める努力を続けている。

「去年は、GKとフィールドプレーヤーの主力4人につぐ、5番手、6番手のサブ組を引き上げられませんでした。寺西一日向賢の底上げを図りましたが、まだこちらが思うレベルには来ていない。ここからはベテランの佐々木康裕や、若手の21歳、丹羽海斗、15歳の園部優月あたりも加えて、サブ組の残り4枠を競争してもらう環境を作りたい」

 12日からはじまる今年最初の日本代表合宿に先駆け、10日にも平日練習を始動する見通し。ブラインドサッカーのプレ五輪イヤーがまもなく幕を開ける。

(取材・文 林健太郎)

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