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これぞ背番号10のプライド! ブラインドサッカー日本代表の窮地を救ったエース川村の「心の恋人」

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勝ち越しゴールを決めて高田敏志監督のもとに駆け寄る川村怜

 2020年の東京五輪パラリンピックにむけた「プレ・パラリンピック」と位置付けられる「IBSA ブラインドサッカーワールドグランプリ 2019」は20日、グループリーグ2試合目が行われ、A組の日本代表はコロンビア代表に2-1と逆転勝ちをおさめた。

 前日、勝ってスタートを切りたかった日本代表はロシア代表にスコアレスドロー。目標の決勝進出にはコロンビア戦にどうしても勝つ必要があった。それでも前半7分に先制ゴールを奪われ、1点ビハインドの苦しい展開。日本のピンチを救ったのは川村怜だった。

 前半17分、右サイドで黒田智成が競っていたボールがゴール前中央やや左にこぼれる。川村が体をターンさせながらボールを足元におさめると、相手DFがいないフリーの状態に。右足のトゥーキックでネットを揺らすと、拳を何度もつきあげ、喜びを爆発させた。

「チームが苦しい局面で自分がゴールを決めることでチームを救うこと、それを普段の日常からずっと考えてやってきました。その成果として表れたことがすごくうれしいです」

 前半終了間際には勝ち越しゴールを奪うチャンスだったPKを決められなかったが、同点のまま迎えた残り3分、自陣奥深くから緩急をつけたドリブルで相手のディフェンスを混乱させ、ギャップを作りながら決めた技ありの決勝ゴール。高田敏志監督が「きのう外しまくった川村が決めてくれたことがうれしい」と称えたことを聞くと、「これまでもさんざん外しまくってきたので、やっとそのチームが苦しい局面で2本決められて、これまでチームに迷惑をかけてきた分、得点で貢献できたのはうれしい」と控えめに喜んだ。

 苦しいときこそ、エースが救う。これぞ、日本代表の背番号10番の矜持だ。そんな川村には憧れの人がいる。サッカー日本代表でかつて活躍し、W杯で日本代表の史上初のゴールを記録した中山雅史(現・アスルクラロ沼津)だ。

「僕は背番号10の中山選手に憧れていました。2002年W杯のときは中学生だったんですが、10番でピッチに途中出場してきたときのあの瞬間の歓声……。テレビで見ていたんですが、しびれました。あの一瞬でスタジアムの雰囲気が完全に変わった。その期待感に感動したんです」

コロンビア戦の同点弾直後

 2002年W杯当時の中山は34歳。フランスW杯で歴史的初ゴールをあげてから4年。自国開催の大舞台は出たいと思って練習していたが、その年のJリーグ開幕から不調により、W杯直前まで日本代表から声はかからなかった。しかし、中山が不在の日本代表チームの不調もあり、精神的支柱の役割も期待されてW杯本番直前に滑り込んだ。

 当時ぼんやりとではあったが視力が残っていた川村は、中山がゴールを華麗に積み重ねる姿以上に、不器用ながらゴールを奪うためにひたむきになれる姿に心動かされ、その姿を脳裏に刻み込んだ。葛藤を乗り越えて大舞台に返り咲いた、背番号10の中山に背中に少しでも追いつきたい、と思って厳しい練習を重ねてきている。川村はコロンビア戦の苦しい時間帯に、その思いをゴールという最高の形で示すことができた。

 きょう21日に世界ランク4位の強豪スペイン代表に挑む。スペインはこの大会2試合とも逆転勝利。相手に不足はない。日本代表は過去、A代表との対戦戦績は8試合してわずか1勝。2007年以来、勝利から遠ざかっている。川村は言う。

「スペイン戦に負けると、コロンビアに勝った意味がなくなってしまう。昨年8月に南米遠征をなども経験して、世界のトップの激しさを肌で感じることが出来ました。その強度を、スペイン戦にぶつけて、チームがひとつになるように体を張って、死ぬ気で戦うことが試合の勝利につながると思います。球際のところで僕らの覚悟を示すことが大事だと思います」

 気持ちだけでゴールは決められないが、気持ちがなければ戦えない。春分の日の午後3時。日本代表は12年ぶりの“春”を迎える戦いに挑む。

ワールドグランプリ日程 / ルール

(取材・文 林健太郎)

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