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「安心できる居場所を作りたい」。FC東京と二人三脚で歩んできた知的障がい者のクラブ「トラッソス」のポリシー

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子供たちと笑顔を見せる吉澤昌好副理事長(左、提供:トラッソス)

 サッカーの本場、スペインの現地でバルセロナ移籍が取りざたされるMF久保建英が所属するFC東京が、2014年から知的障がい者のスクールを立ち上げて運営している取り組みを3月1日付 でお伝えした。そのスクール運営を創設期から今まで支えてきたのが、都内に拠点を置くサッカークラブ「トラッソス」だ。現場を統括する吉澤昌好副理事長が明かす。

「2003年、調布市が主体となって障がいがある人へのサッカー教室を開催した時、ちびっこを指導する人がいなくて、お話をいただきました。その教える模様を見ていた当時の調布市サッカー協会の会長さんがものすごく気に入ってくださり、FC東京の幹部の方にお話ししてくださったことがきっかけです」

 FC東京のスクールの場合、20人前後の生徒に対してスタッフは5人。しかし、5人のうち1人は「ピッチ外要員」とされている。なぜなら「集合」の掛け声をかけても、必ずしも全員が集まるわけではないからだ。生徒の中には輪に入ることを怖がり、スクールに来る途中に寄り道をするような生徒もいる。そういった生徒をフォローすることが、トラッソスから派遣されるスタッフの役割でもある。吉澤氏が解説する。

「健常者はその日、気持ちが100%向かなくても、何とかごまかしながら過ごすことができるかもしれませんが、知的障がいのある子たちは自分の気持ちを正直に出します。輪に入れない、というのは理由が必ずある。さかのぼって話を聞いていくと、自分で他者と比較して自尊心を傷つけられていることもある。僕はその輪に入れないような子にしっかり向き合うために、出来る努力を惜しまないように心掛けています」

 はぐれた子にシンパシーを感じるのは、吉澤氏の人生経験と無縁ではないだろう。
「僕は小さい頃、いじめられた経験があって、サッカーというのはある意味、逃げ道だったんです。サッカーの練習にいけば、そこではいじめられない、というか……。でもいじめがなければ、もっと純粋にサッカーを楽しめたと思うんですよ」

(提供:トラッソス)

 高校時代までサッカーをやっていた吉澤氏は一般企業に就職後、24歳のときに脱サラしてサッカーを指導する仕事に就いた。Jリーグの名門クラブが母体となっているサッカークラブで将来、プロを目指す小中学生を指導した。収入を補うため、指導がない午前中に公立中学校の特別支援学級で知的障がい者の方の介助員の仕事をしたことが、障がい者と接するきっかけとなった。

「夕方からジュニアユースの子を観るときは、生徒たちも指導する大人たちも一生懸命。でも午前中は笑ってボールを追いかけている。そのバランスが自分の中でとれなくなっていきました」

 介助員のアルバイトをしていた頃、中学3年生の自閉症で登校拒否が続いていた男の子がいた。学校側から「体育の授業をやってほしい」とリクエストがあり、障がいのある人に初めてサッカーを教えた。しかしその男の子は、吉澤氏がボールを蹴っても最初、ソッポ向いてしまう。「この子が楽しんでやってくれるにはどうしたらいいんだろう」と指導者魂に火が付いた。

「ボール蹴ってごらん」と言って、置いてあったボールをたまたまボールを回してみた。すると絵柄が楽しかったのか、一度はソッポを向いたその子はボールに向かった。蹴り終わって、再びボールを蹴ったら、そのボールが見事にゴールに入った。

 吉澤氏はその男子生徒のこれまでの経験を一生懸命、推察しようと努め、サッカーをやることで自信を持てるように導いた。すると、その子がサッカーをするために週1回、学校に登校するようになり、数か月後には、秋の文化祭で全校生徒の前で主役を張るまでになった。その子に関わっていた先生は涙を流していた。

「当時、知的障がい者に対して何の知識もない。ただ興味を引きたかっただけなんです。サッカーに関心のないように見えた子が、でもそこで変化を見せてくれた。そこが面白いな、と感じたんです。僕が長い間サッカーをしてきて、『誰かと一緒にサッカーをしたい』と思ったのが彼ら(障がい者)が初めてでした」

 トラッソスはこの4月の時点で幼児から成人までの生徒で構成されるスクール生76人と、原則、高校生以上のクラブチームに61人が在籍。年齢は幼稚園の年長から45歳と多岐にわたる。大事にしていることは「やりたくなるサッカー」。自発的に行動を促す雰囲気つくりや選手への声のかけ方をコーチ陣も常に学び続けており、「発達性協調運動障害」を研究しながら現場で実践指導を続ける筑波大の澤江幸則准教授を招き、定期的に勉強会も開催している。

提供:トラッソス

 彼らは練習の時から同じウェアを着ている。試合では統一しても、練習からそろえるクラブは珍しい。これも吉澤氏のこだわりのひとつだ。

「視覚から『みんな一緒の仲間』『団体の一員になる』ということを植え付けて壁をなくしたいんです。(障がいの有無は関係なく)僕は『受容感』が大事だと感じています。誰かが僕を受け入れてくれたことをちゃんと感じられること。そこに気づいたときに『ああ、僕ここにいていいんだ』と思う、この相互関係です。僕がいくら受け入れても、相手が『受け入れてもらった』と感じていなかったら、その距離感は遠いままですから」

 知的障がいがあり、小学3年生の頃から22歳の現在までトラッソスに通い続けているある男子生徒が、高校卒業の際、急激に精神状態が不安定になり、外を歩けなくなってしまった。そんなときもトラッソスの存在によって救われた。男子生徒の母親が言う。

「その不安の中身がわからないのが、この障がいの悩みでもあります。ただ小さい頃から一緒だった友達から『大丈夫?』って気にかけてくれて救われました。トラッソスに来ると、親ではどうしようもないことがあることがわかります。一方で友達や仲間だからこそしてもらええることもあることを教えてくれる。ウチの息子は、親に対しては全面的な甘えが出ると、かえって不安な気持ちが逸れない。けれど、好きな友達に会いたい、という気持ちが沸き上がってくると、不安を越えられることがあるんです。トラッソスをたとえて言うなら、『しおれた花が水をもらって咲くところ』です。『場所は人が作るものだな』とつくづく思います」
 
 吉澤氏はトラッソスに来る子をどんな生徒にしたいのだろうか。

「社会にかわいがられる子、社会がほおっておけない子ですね。だから、いつもニコニコしている子にしたい。障がいの有無は関係ないと思うんですが、自信がなくてうつむき加減になったりする子は、そのグループの中で腫れ物にさわるような存在になってしまう。トラッソスに通うことで、『よくできた』『楽しいな』という体験を増やし、自然に笑みが生まれ、どのグループにいても『受容感』を実感できる人間になってほしいです」

(取材・文 林健太郎)

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