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「アンプティサッカーをはじめる!」。19歳のがん患者につながった「遺志」(上)

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エキシビションマッチに出場した鈴木夏弥君(左端)

 下肢や上肢の切断障がいの人がプレーするアンプティサッカーの「第6回レオピン杯」が18、19日に大阪・鶴見緑地公園サッカー場で開かれる。障がい者サッカーの7競技団体の中で今年度最初の全国大会となるが、近い将来、アンプティサッカーをはじめることを治療に励みにしているがん患者がいる。この春から埼玉・所沢にある国立リハビリテーション学院義肢装具士養成校に通う鈴木夏弥君だ。

 鈴木君がアンプティサッカーに触れたのは3月10日、東京・調布で開催された東日本リーグ最終節後に行われたエキシビションマッチだった。ここではじめてクラッチ(杖)を使い、ボールを蹴った。ゴールに向かってシュート練習もした。

「学校も決まって、いよいよ上京に備えて動き出そうというときにコウ君のご両親からたまたま連絡をいただいて、『(アンプティサッカーの)試合があるから見に行かないか』と誘っていただいたことが、試合に出られたきっかけです。やっぱりシュートはいいですね。他の選手の方が片杖でボレーシュートを打つ姿も見て、やってみたくなりました。アンプティサッカー専用の杖があるんですが、あれが一番動きやすくて、そのうち買いたいなと思っています」

 鈴木君が明かした「コウ君」とは杉浦行君(以下、コウ君)。鈴木君が、筋肉や関節などに発生した悪性腫瘍、軟部肉腫の治療で東京・築地の国立がん研究センター中央病院に入院していたとき、コウ君も骨肉腫と戦った「戦友」だった。地元・新潟県で剣道を9年間続け、サッカーは未経験だった鈴木君が「ボールを蹴りたい」と思うようになったのは、コウ君との出会い抜きには語れない。


 鈴木君は高校2年だった2016年、お尻に腫瘍が見つかり、左足にずっと痛みを感じていた。2017年7月に退院したものの、2018年4月に今度は左足の内ももに転移し、足を切断することを余儀なくされた。その頃、コウ君と顔を合わせた。

 2人の距離が一気に縮まったのは昨年7月、鈴木君が足を切断する手術を受ける日の前夜だった。鈴木君やコウ君のほか、病室の4人はすべて同じ高校生だった。スマホにドラゴンボールのアプリを落とし、みんなでお菓子をつまみながらゲームに講じた。鈴木君が振り返る。

「事故などどは違い(手術の)1か月前から足を切ることが決まっていました。その1か月間は母とテニスをしたり、とにかく運動をしまくりました。そうやって迎えた前日で、『いよいよ明日か』というより『楽しく遊んでやろう』という気持ちでした」

 鈴木君と同じ学年のコウ君は高校時代、川崎フロンターレで活躍する中村憲剛らを輩出した都立の強豪校、東久留米総合高サッカー部に在籍していた。高校2年生の夏に左足に痛みを感じ、のちに左大腿骨の骨肉腫と診断された。翌年春に腫瘍部分を取り除いて人工関節を入れる手術を受けたが、半年も経過しないうちに肺に転移がみつかった。その治療を続けているときに、新潟から上京してきた鈴木君と出会った。

 コウ君はある「夢」を抱いて治療に向き合っていた。鈴木君が振り返る。

「アンプティサッカーをやりたいって言っていたんです。一緒にやらないか、って誘われていました。そのことで動画を見るようになったのが、僕がアンプティサッカーに興味をもちはじめたきっかけです」

 コウ君が「アンプティサッカーをしたい」という希望を励みに病気と闘っていることを、ある報道で知ったアンプティサッカーの日本代表選手がさっそく動いた。

昨年10月のW杯で円陣を組む古城主将(背番号14)

 日本代表主将の古城暁博が、コウ君と同じ、骨肉腫を克服してアンプティサッカーをはじめ、今もなお現役プレーヤーである上中進太郎とともにコウ君の自宅を見舞った。昨年10月、メキシコで開かれたワールドカップ(W杯)に旅立つ直前のことだった。古城が振り返る。

「ニッカンスポーツ・コムに掲載されていた、『アンプティサッカーをしたい』という希望を持っているコウ君の紹介記事を、僕の知人がシェアしていたことで知りました。同じ記事を知った上中さんからも『何とか彼を励ますことができないか』と相談を受けて、コウ君のSNSのアカウントにたどりついて連絡をとることができました。W杯直前に上中さんとお見舞いさせていただいたんですが、コウ君は簡単に治る病気ではないことも理解した上で、その大変さを感じさせず、ご家族もすごく明るくて、前向きに戦っているんだなと感じました。逆に僕がパワーをいただいた感覚でした。コウ君に上中さんを紹介することで、コウ君と同じ境遇を乗り越えた人の存在を知ってもらい、そのことが彼にとってプラスになってほしい、と思っていました」

 3人は、W杯が終わった後に再会を約束して別れた。日本代表はメキシコW杯で史上初の10位に食い込む結果を残して帰国した。しかし帰国後、古城が予期せぬことが待っていた。
(明日に続く)

(取材・文 林健太郎)

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