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知的障がい者サッカーの歴史的試合で1ゴール1アシスト。鹿児島の日本代表、原良田の夢

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左足シュートをするフューチャーズの原良田龍彦(撮影:内田和稔)

[10.20 知的障がい者サッカーメモリアルマッチ 鹿児島ユナイテッドFCフューチャーズ  2-1 横浜F・マリノスフトゥーロ](鹿児島・白波スタジアム)

国内で初めてJリーグ加盟クラブに所属する知的障がい者サッカーチーム同士の対戦が実現。ホームにあたる鹿児島ユナイテッドFCフューチャーズの背番号10を背負う19歳のFW原良田(はらだ)龍彦が1ゴール1アシストと2得点にすべて絡む活躍を見せた。

「いつもゴールを狙っているのでそれはよかったです。点が入って」

2000年に鹿児島県大口町で生まれた原良田がサッカーに出会ったのは小学4年生の時。それまでは昼休みに同級生と校庭でサッカーで遊んでいるぐらいだった。いつも一緒に遊んでいた友達から地元のサッカー部「大口サッカースポーツ少年団」への入団を誘われた。

しかし原良田の父親は、「障害があるから周りに迷惑をかけるんじゃないか、集団競技は出来ないんじゃないか」と当初は入団に反対。しかし大口サッカースポーツ少年団の向原監督から「健常者も支援学級(障害者)もサッカーをするのに関係がない」という言葉に、父親の気持ちも変化し、原良田は入団を許された。

サッカーを始めた原良田は仲間と一緒に嫌いな練習を乗り越え、徐々に試合に出るようなる。試合に出るようになるとサッカーを楽しいと思うようになり、自分に変化が生まれていることも実感した。原良田がこう明かす。

「自分は人見知りで、同年代に(話題)ついていけなかった。授業中もじっとしていることが出来ずに教室を飛び出してしまうこともあった。サッカーを始めてからそういうことをしなくなった。勉強や学校のことも頑張ろうと思うようになりました」

中学でもサッカー部に入り、サッカー漬けの3年間を送る。3年生の時には中体連伊佐・出水地区大会で優勝。初めて県大会に出場した。

だが、中学卒業前に進路に迷った。中学では支援学級に通っていた原良田には高校に進学してサッカーを続けることが出来ない。進学先に考えていた養護学校にはサッカー部がないので「真剣にやるサッカーはもう終わりだ」と一旦はサッカーを諦めていた。

そんな時、支援学級の担任の先生が、知的障がい者のサッカーワールドカップ(W杯)「INASサッカー世界選手権南アフリカ大会」の新聞記事と映像を見せ、原良田に知的障がい者サッカーがあることを教えてくれた。知的障がい者が真剣にサッカーが出来る場所、W杯の存在を知った原良田の心に、日本代表を目指す気持ちが生まれた。サッカーを続けるために親元を離れて、鹿児島高等特別支援学校に進学した。

進学後、原良田は鹿児島県選抜、九州トレセンで選ばれ左サイドハーフとして活躍。2018年には日本代表選手に選ばれ、INASサッカー選手権スウェーデン大会にも出場した。知的障がい者サッカーという競技が存在したことによって、一度はあきらめた好きなサッカーで世界への扉を開いた。

「すごい重みを感じた。やっとこの舞台に立てたという重みと喜びの気持ちがあふれた」

これからの目標についても原良田は力強くこう明かす。

「次のW杯に出るための代表入り。自分が憧れた谷口選手(鹿児島県出身元日本代表2度W杯出場)のような若い選手のお手本になるような選手になりたい。鹿児島ユナイテッドFCフューチャーズを引っ張っていく選手になりたい」

 強い気持ちでサッカーに取り組んでいる原良田は、これからの日本代表の中心選手としての活躍が期待される。

(取材・文 内田和稔)

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