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DF闘莉王が誇ったプロ19年間「頭が割れても、肉離れしても、鼻が折れてでも…」

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時にはハンカチを目や鼻に当てていたDF田中マルクス闘莉王

 元日本代表DF田中マルクス闘莉王が現役引退を決断したのは、京都サンガF.C.での2シーズン目を終えた昨季終了後だったという。「いつか自分の心に燃えている炎が消えそうになったら時はどんな時であれ、年は関係なく引退しよう、サッカーに失礼のないようにやっていこうと決めていた」と理由を明かした。

 1998年にブラジルから留学生として単身来日し、2001年に広島でプロ生活をスタート。「入団した当時から今までにないDF、守るだけでなく攻めることをずっと意識してやってきた」。持ち前の闘志と前傾姿勢のプレースタイルを活かし、03年に日本国籍を取得した後は日本代表にまで上りつめた。

 Jリーグでも華々しい実績を残した。DF登録史上最多の通算104ゴールという個人成績もさることながら、浦和と名古屋ではいずれもクラブ史上初となるリーグ制覇を牽引。名古屋に移った際には優勝請負人の異名も取った。

「レッズのJリーグ初優勝は印象的で、さっきの映像に出たような埼スタがあんなに盛り上がる、あの埼玉があれだけ盛り上がること、もう一度あるかどうか。あれだけ埼玉県民、浦和レッズサポーターがあれだけ喜ぶ瞬間をピッチに立たせてもらったのは忘れがたい」。

「それにグランパスの初タイトル。あれだけ期待されて、あれだけ男にするぞという言葉を発信し、自分にプレッシャーがかかっていた中、宣言どおりのタイトルだった。最後の瞬間はピッチに立てなかったが、すごく心に残るものだった」。そうした数々の栄冠こそが「Jリーグの中でも変えのきかない瞬間だった」という。

 それでもキャリア晩年は負傷などの影響により、満足なプレーができる場面が限られていた。引き際を決断したのは「去年の終わり頃」。今季はメンバー入りしていた試合後、相手サポーターに感謝を示すためゴール裏に向かうのを習慣にしつつ、「消えかかっていた炎を最後のエネルギーに変えて一年やった」と振り返った。

 どこに行っても熱いキャラクターは変わることなく、時には悪役になることもいとわなかった19年間。「試合で一瞬も一秒も手を抜くことなく、全力で気合を入れてやってきたことをすごく誇りに思う。時には頭が割れてでも、筋肉が離れても、鼻が折れてでも、ピッチに戻ろうとしたその気持ちを誇りに思う。その全力姿勢が生んでくれたのかは分からないが、たくさんの素晴らしい仲間に出会えたことも誇りに思う」と胸を張った。

(取材・文 竹内達也)
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