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縦隔腫瘍の発覚、手術、復帰…今治東FW山本亮成は無念と感謝の涙「サッカーに救ってもらった」

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病気の打ち克った今治東山本亮成(8番)(写真協力=高校サッカー年鑑)

[1.3 全国高校選手権3回戦 静岡学園高2-0今治東中等教育学校 駒沢]

 憧れのピッチには立てなかった。今治東中等教育学校(愛媛)のFW山本亮成(3年)は、何度も涙を拭う。悔しさはもちろんあったが、その涙にはサッカーを通じて感じた感謝の気持ちが溢れていたーー。

 2017年の秋、体に異変が起きた。「サッカーをしていて『しんどいな』と感じたり、笑っただけで胸が痛くなったりして、いつもと違うなと……」。病院で診察を受けると、胸のあたりに腫瘍が見つかる。縦隔腫瘍(じゅうかくしゅよう)だった。「サッカーどころじゃないという話になって、治療に専念することになりました」。手術と入院生活を余儀なくされ、学校に復帰するのに半年を要した。「もう無理かなと思いました」。一時はすべてを捧げていたサッカーを辞めようとしていた。

 入院中、サッカーを通じて出会いがあった。地元クラブ・FC今治岡田武史オーナー、同ラモス瑠偉チームアドバイザーの両氏が見舞いに駆けつけた。「ラモスさんが『好きな選手は誰なの?』と聞いてくれて、『本田圭佑選手です』と答えたら、本田選手のユニフォームを持ってきてくださったんです」。手術前にプレゼントされたユニフォームに本田のサインは入っていなかったが、これはラモス氏の計らいだった。「『手術がんばって終わってから、会いに行くんだよ』と言っていただいて。(ロシア)W杯前に日本代表の練習に連れて行っていただいて、本田選手にも会えてサインもしていただきました」。

 ラモス氏からはもうひとつ大切なものを送られていた。それは2016年に脳梗塞で自身が倒れた際に、回復の祈りを込めた十字架のネックレスもだった。「いまでもずっと持ち歩いています」。そのお守りが心の支えとなっている。

 手術後学校へ復帰し、そこからさらに半年後にサッカー部にも合流できたが、病気の発覚から約1年が経過していた。「僕の高校サッカーは2年間」。声が震わせながら悔しさを噛み殺した。

 それでも今治東というチームが、彼の居場所だった。「このチームじゃなかったら戻ってきていなかった」とチームメイトにも感謝は尽きない。「トップBというチームで、県1部リーグでもキャプテンとして出させていただいて、大好きなサッカーをもう1回できるようになった」。

 そして、チームは初めて選手権予選を突破し出場権を獲得した。メンバー入りした山本は、プリンスリーグ四国と同じ背番号8を託されるも、選手権では出番に恵まれなかった。「強豪の静岡学園相手でもたくましい試合をしていて、すごいと思いました。出られなかったけど、いい試合をしてくれてうれしかったです」。ベンチから見ていたチームメイトたちが誇らしかった。

 誰かの顔を思い出しては、目には涙が浮かぶ。山本は家族への感謝の言葉も続けた。「お父さんがお医者さんなので、それが自分には本当に心強くて。僕が病気になったときに、ちょうどお姉ちゃんが医学部の受験を控えていたんですけど、家族が僕のことを支えてくれました」。家族の存在が再びピッチに戻る原動力となった。

「僕はサッカーに救ってもらったので、新しいステージでがんばりたいです」。高校卒業後は中京大学へ。18歳のサッカー人生はこれからも続いていく。

(取材・文 奥山典幸)
●【特設】高校選手権2019

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