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「選手のひたむきさに魅せられたのはフロンターレと同じ」アンプティサッカー協会 武田理事長が見る夢

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大会後、選手たちの前で挨拶する武田信平理事長

 2017、18年シーズンにJ1リーグを連覇し、常勝軍団への階段をのぼる川崎フロンターレが11日、新体制発表会見を行う。かつて2000年~2015年に同クラブの社長をつとめた武田信平氏は今、アンプティサッカー協会のトップとして新たな夢の実現にむけて、ひた走っている。

■アンプティサッカーの魅力は見ないと分からない■

 Jリーグクラブの経営トップが日本障がい者サッカー連盟(7団体)に参画するケースが増えてきた。特定非営利活動法人日本アンプティサッカー協会の武田信平理事長もその一人である。社長、会長を歴任した川崎フロンターレからの役職を退き、現職に就任したのは2016年4月。病気や事故で腕や脚を失った選手たちが熱闘を繰り広げる姿を見て、武田理事長は当初「クラッチを使ってこんなプレーが出来るのか」と驚いたという。

「川崎フロンターレのクラブの社長をしていた時もそうでしたが、私は選手に魅せられているのかも知れないですね。Jリーグでも、お客さんは一生懸命やる姿に感動するんですよ。チームのベースには、最初に” ひたむきさ”がなければならない。その上での戦術だと思うんですよね。試合は勝つこともあれば負けることもある。当然ファンは勝つことを望んでいます。でも負けた時にも温かい拍手で称えてくれる試合じゃないといけない。一生懸命にやった、負けたけど次も頑張ろうじゃないか。そこでファンと選手の一体感はできるんですよね。アンプティサッカーの魅力はご覧いただければ分かります。逆に見てもらわないと分からないかもしれない」

 理事長就任後は資金力不足に直面してきただけに、川崎フロンターレ時代の協賛企業を皮 切りに、トップセールスの日々を過ごす。スマートフォンにアンプティサッカーの映像を入れ、それを紹介しながら頭を下げる。「2000部も刷れれば良いほう」という全日本選手権のプログラムへの広告営業である。大半の協賛企業は企業の武田理事長の情熱と理念に共鳴し、コストパフォーマンス度外視で協賛している。地道な営業の成果もあり、協賛企業の数は増え、収入は向上している。それでも常勤職員を雇える資金レベルには達していない。

 一般社団法人日本障がい者サッカー連盟に所属するのは、日本ブラインドサッカー協会、日本ろう者サッカー協会、日本CPサッカー協会、日本ソーシャルフットボール協会、日本知的障がい者サッカー連盟、日本電動車椅子サッカー協会、そして日本アンプティサッカー協会の7組織。このうち「ブラインドサッカー協会以外は、みんな資金面での課題を抱えている」と指摘する。

「職員も雇えない中で、みんなボランティアで運営しています。そんな中でスポンサーを獲得していくというのは本当に大変なことです。私のように仕事から外れてしまった人間は、昼間でも営業活動できる時間がありますが、そうでない人は昼間動けないわけですから」

 運営面での課題は山積したままだ。

2010年、サッカーW杯日本代表発表会見。左から川島永嗣鄭大世、武田社長(当時)、中村憲剛稲本潤一(写真:アフロ)

■成功の原点は” 不退転の決意”■
 昨年12月に70歳の古希を迎えたアンプティサッカー協会理事長がトップセールスを地道に続ける情熱の源泉は、フロンターレの社長時代に見出せる。

 クラブの代表取締役社長に就任したのは2000年12月。今でこそ、Jリーグ屈指の人気クラブだが、社長に就任したのはわずか1年でJ2へと降格した直後。実質的には社長初年度だった2001年には、同じ川崎市をホームタウンにしていたヴェルディ川崎が東京都へのホームタウンを決めており、地元の目線は冷たかった。2000年シーズンに7384人(J1リーグ)だったホーム等々力競技場の平均観客動員数は、J2初年度の翌2001年シーズンに3784人とおよそ半分にまで一気に落ち込んだ。
 武田氏は川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部時代に選手、マネージャー、JSL(日本サッカーリーグ=Jリーグの前身)などを務めてきた文字通りの「富士通の人間」。それにも関わらず、クラブ社長として自ら発案し、率先して推進したのが「クラブの脱富士通化」「ホームタウンに根差したクラブ作り」だったのだ。

 運営法人名は「富士通川崎スポーツマネジメント」から「株式会社川崎フロンターレ」へと変更した。「富士通から来た人なのに、富士通を外すとはねえ、と驚かれましたよ」と武田氏は言う。「サポーターからは今でも言われるのですが、当時FUJITSUという名前がエンブレムに入っていたのですが、それも外しましたからね」

 当初は「どうせあなたたちもヴェルディと同じだろう(川崎を出ていくのだろう)」「川崎市のクラブと言っても富士通のチームだろう」と見ていた人たちも、経営陣が第三者の資本受け入れ、サポーター持株会の導入などの経営改革。何よりクラブ幹部、職員スタッフの「地域密着への本気度」を見て、少しずつクラブへの見方と姿勢を変えていった。

 現在のJリーグ屈指の人気クラブ、川崎フロンターレの原点は間違いなくこのJ2時代にあった。チームは戦う集団へと変貌を遂げつつあった。フロントも負けてはいない。広報部は積極的にメディアに取材企画を売り込み、事業部は面白い企画をどんどん練りだしていく。そして、社長の武田氏は日々隈なくホームタウンを練り歩き、クラブの名前とビジョンをPRしていく。

「トップの私が自ら地域を回らずして、地域密着なんてありえないと思っていました。社長に就任した時から、もう富士通には戻らないと決めていましたから」

 経営トップが不退転の決意で挑んだ改革は年を追うごとに形になっていく。平均観客動員数は2002年以降右肩上がりの曲線を描いた。記録的強さでJ2優勝、J1昇格を決めた2004年の動員数は9148人。翌J1復帰初年度の2005年、動員数は前のJ1時代のほぼ倍となる13658人にまでふくらんだ。さらに2018年のJ1連覇を挟み、昨年2019年まで5年連続で20,000人を超えている。シルバーコレクターだったチームは、J1リーグタイトルを勝ち取るようになり、このままいけば常勝軍団へと変貌するかもしれない。クラブトップの不退転の決意と類まれな現場への情熱が、不可能とも思えたミッションを達成させたのだ。

 現在、アンプティサッカーの日本における競技人口はおよそ100人程度。とはいえ、Jクラブ社長時代、あれだけの覚悟を持っていた人物だからこそ、まだ日本では黎明期にあるアンプティサッカーを大きく変えてくれるのではないか。そんな期待が高まる。

武田理事長は普段は物静かだが、アンプティサッカーを語り出したら止まらない

■2020年の目標は海外チームの招致■
「将来的にはアンプティサッカーがパラリンピックの種目になってほしいと考えています」と武田理事長は言う。「その実現のためには世界的なスポーツでなければならない。その点、アジアはまだまだですね。大陸別の大会はアジアにはありません。アジアアンプティサッカー連盟もまだ存在しない。そういう課題を他の国と連携しながらクリアしていなければならないと思います」

 そのための第一歩として、2020年には国際大会を日本で開催する予定だ。もちろん、開催するための資金調達面での課題は残る。だが、全日本選手権の開催地である川崎市が「かわさきパラムーブメント」を立ち上げ、TOKYO 2020以降もパラリンピック競技への支援を推進しようという動きを見せるなど、武田理事長の夢を後押しするバックグラウンドは出来つつある。

「壁があるといえば、全てが壁になります。支援者を一人ずつ増やして、地道にやっていくしかない。不慮の事故や先天的な病気といった事情で手や足を失った方たちが、このスポーツと出会って元気になり、新たな生きがいを見出してくれています。それが何より嬉しいし、もっとこのスポーツを普及させたいと思っています」

(取材・文 鈴木英寿)

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