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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:家族の日常(昌平高・柳澤直成)

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昌平高CB柳澤直成。(写真協力=高校サッカー年鑑)

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 この3年間の、いや、それよりもっと以前からの日々を思い出すと、もう涙をこらえることはできなかった。「母は自分よりも1時間ぐらい早く、4時半ぐらいに起きながら毎日弁当を作ってくれて、この会場には来れませんでしたけど、テレビの前で応援してくれたと思いますし、妹はみんなのためにご飯を作ってくれたりして、本当に素晴らしい妹ですし、お父さんもこの大会期間中も毎日LINEで声を掛けてくれたり、自分に期待してくれていたので、本当に大好きな家族の目の前で、全力で戦えて良かったです」。父、母、妹、そして直成。柳澤家にとってこの3年間は、最高の“日常”だったのかもしれない。

「試合を見に行った時に、それぞれの選手の特徴を生かしている印象があって、その環境でやってみたかったのと、自分が中3の年にインターハイで3位だったということで、選手権で全国を狙うにも良いチームだと思ったんです」。15歳の夏。埼玉県で存在感を高めていた昌平高校への進学を、直成は決断した。

 家からは電車で約1時間半。普段は朝の5時半に起き、通学電車に揺られていくが、直成の在籍していた選抜アスリートコースには、週2回の“0限”があったため、その日は5時に起きる必要があった。さらに、朝練が7時スタートに設定された夏休みは、4時起きで電車もほぼ始発。ということは、昼食用の弁当を作る母はそれより早く起きなくてはいけない。

「1年生の夏休みが一番お母さんに負担を掛けていたんじゃないかなと思います。ふざけてだとは思うんですけど、『え?明日も7時?』みたいなことは言いながら(笑)、嫌な顔を一切せずに自分のためにいろいろとしてくれていましたね」という直成の言葉を、父が補足する。「妻もその頃に弁当を作るのが『一番キツかった』って言ってましたね(笑)」。

 登校に1時間半掛かるということは、言うまでもなく下校にも1時間半が掛かる。母は夜遅くに練習から帰ってくる息子の食事や風呂を用意し、就寝しても起きるのは朝の4時近く。あくる日も弁当を作り、学校へと送り出す。実は8年前に大病を患ったこともあり、自身も無理はできず、周囲も無理はさせたくない。いろいろな意味で今まで以上に、家族がお互いにサポートし合う“3年間”がスタートした。

 2017年度の昌平も全国上位を狙える実力を誇っており、すぐに1年生がAチームに入れるような選手層ではない。「チームメイトがお父さんの顔を覚えたりしていました。『今日もいるじゃん」みたいな(笑)」と直成が笑ったように、入学時から息子の練習試合はほとんど観戦してきたという父も、「1年生だけの公式戦にはスタメンじゃなくても途中から出たりしていたので、とりあえず最初はそんなもんかなと思ってました」と当時を振り返る。

 転機は1年の冬に訪れる。所属していたカテゴリーでも前目のポジションで使われなくなっており、薄々は感じていた。「森田(光哉)先生から『オマエのリーダーシップやコミュニケーション能力は、後ろから発信することで確実にチームに良い影響をもたらすことができる』という話もしてもらったので、そこで真剣にやろうと思いました」。アタッカーからセンターバックへのコンバートを受け入れる。

 2年時は着実にステップを踏んだ時期。ベスト4となった全国総体の登録メンバーには入れなかったものの、帯同を命じられた直後の遠征から帰ってくると、Aチームのメンバー入りを果たす。それまでBチームでも定位置を掴んでいた訳ではなかったが、いわば“抜擢”に近い形。「その時は『怒られないようにやろう』と思っていました」と直成も率直な気持ちを明かす。

 その年の選手権予選は信じられない形で幕を閉じる。一方的に押し込んでいた浦和南高との決勝はまさかの逆転負け。冬の全国にはあと一歩届かなかった。その光景をベンチで見守っていたことで、感情は揺り動かされる。「先輩たちが埼スタで崩れ落ちている所や、浦和南の選手が表彰台の上で凄く喜んでいる姿を見て、『高校3年間の集大成として、来年は絶対に選手権には行かなきゃな』と思いました」。決意は定まった。片道1時間半の通学も、いよいよ最後の1年に差し掛かっていく。

 2019年はケガから始まった。Bチームの一員として参加した年始のニューバランスカップで、以前から抱えていた足首の痛みが悪化。このまま練習を続けていても、マイナスアピールになるだけだと感じた直成は、家族とも相談の上、しっかり休むことを決断した。その間にチームは4試合で25得点無失点と、圧倒的な成績で新人戦の県制覇を達成。「複雑な気持ちでしたね。『これって試合出れるのかな?』って。スタンドから見ていました」。焦りがなかったと言ったら嘘になる。

 ところが、自信を持って挑んだ関東大会予選も総体予選も揃って2回戦で敗退。特に全国出場の懸かった総体予選は、正智深谷高に0-3と完敗を喫するなど、守備陣の立て直しは急務だった。その2週間後に控えていたリーグ戦。相手はまたも正智深谷。早々に訪れたリベンジの機会を前に、直成は練習である“異変”に気付く。

「正智戦に向けて紅白戦をやった時に、自分はメンバーがスタメンとサブでミックスされていたものだと思っていたんですけど、よくよく自分のチームを見たら、ボランチが柴ちゃん(柴圭汰)と(小川)優介で、隣にテル(西澤寧晟)がいて、前に(小見)洋太とレギュラーばかりで、『ん?そういうことなの?』って。『チャンスが来たのかな。やるしかないな』ってその時に初めて思いましたね」。

 結果から言えば、直成は“持って”いた。2-0と総体予選の雪辱を果たしたゲームで、予想通りのスタメン起用に無失点という結果で応えたばかりか、2ゴールまでマークしてしまい、主役の座をかっさらう。「『たぶん今週は試合に出るんだ』って話をクラスメイトにしたら『マジで?』『点取ったらジュース何本でもおごってやるよ』みたいな。『無理だよ』と返していたんですけど、試合が終わって月曜日に学校行ったら、みんなオレの所に来て『オマエやったな!』みたいな(笑) みんなからも期待されていたんですかね」。以降のスタメンリストには常に直成の名前が書き込まれていくようになる。

 やっと掴んだ定位置。手放したいはずがない。自然と自主練の量も増え、遅い日は帰宅が夜の10時を過ぎることも。そこから夕飯、風呂、ストレッチ。就寝は11時近くなる。「ストレッチに時間が掛かるので、何回もお父さんに『お母さん寝れないから早くして』みたいに言われて、『わかってるんだけど、そうも行かないんだよ』みたいな」。身体のケアを最優先にしつつ、母もスムーズに就寝できるようにルーティンの順番を入れ替えることもあったそうだ。

 父は母の想いをこう代弁する。「子供が好きなことをやっていて、それをサポートするのはむしろ楽しかったはずです。ただ、実際に『体力的にキツそうだな』というのがあったので、そこは負担を掛けないように周りがサポートしながら。でも、直成だけとか妻だけとか娘だけとかじゃなくて、『みんながうまく周りのことをいろいろ考えていこうね』というような感じではいましたね」。

 直成がAチームの試合に出始めた頃から、妹にも変化が訪れる。「いつも昌平って試合前に相手の分析のスカウティングレポートをもらうんですけど、妹が『それ、貸して』って(笑) で、コピーしたものを試合会場に持って行って試合を見て。最後の方は『まだ今週のもらってないの?』とか言ってました(笑)」。

「娘の今のクラスの担任がサッカー部の顧問なのかな。たぶんクラスの男子のサッカー部の子よりも、サッカーは一番見ていると。『まあ、そうだよな』って。今年の昌平の試合はほとんど来ていますから」という父の言葉に、直成も笑いながらこう続ける。「父から話を聞く限りでは『あ、今絞ってる』とか、「今、ライン上げてる」とか言ってるみたいです(笑)」。

 とはいえ、休日の大半に兄のサッカーへ付き合う中学生の妹も、おそらくはそう多くない。「他にも自分自身に充てたい時間もあったはずなのに、家族のためにそういう時間へ充ててくれたことは感謝しています」と直成も素直な想いを口にする。週末の柳澤家が“サッカー”を中心に回っていたことは間違いない。

 選手権予選は満身創痍だった。太もも裏の肉離れに始まり、シュートブロック時に足首を捻挫。さらに“あばら”も傷めてしまい、息をするだけで激痛が走る。「とりあえず病院で肋間筋の肉離れというのがわかって、監督に電話したら『最後の大会だからやれる準備はやれ。最後の判断はオレがする。人間は最初からできないと決めつけるとやらないから。オマエなら行けるだろ』みたいな感じで言われて、『やるしかねえな』って思いましたね」。

 だからこそ、決勝で勝利のホイッスルを聞いた瞬間は、嬉しさと同時に安堵の想いが強かった。「最初はとりあえずホッとしました。実は決勝でもまた痛めたんですよ(笑) 高校まで全然ケガはなかったんですけどね…」。埼玉スタジアム2002のスタンドには家族の姿もあった。「決勝は妻も来ていました。『全国凄いね。行っちゃったよ』みたいに言っていて。やっぱり選手権は反響が凄いですよね。会社に行けば『テレビ見たよ』ってなりますし、とりあえず1つ結果が出て良かったねというのがありました」と父も嬉しそうにその日を思い出す。しかし、この決勝は母にとって直成の“高校サッカー”をスタジアムで見届ける最後の試合となる。

 1月2日。高校選手権2回戦。興國高と対峙する浦和駒場スタジアムの会場に母の姿はなかった。「この年末はちょっと、妻もあまり無理はできない感じで、相当調子が悪かったんです」と父が明かしたように、体調が思わしくない状況が続いていたため、現地観戦は断念せざるを得なかった。「去年から考えたら、まさか自分がここに立っているとは思っていなかったので、小さい頃からテレビで見ていた選手権に出ているのは、少し不思議な気持ちもありました」。父のため。母のため。妹のため。そして、自分のため。憧れの選手権のピッチに4番を背負った直成が歩みを進めていく。

 大会屈指の好カードと目されていた2回戦は2-0の快勝。翌日に行われた3回戦の國學院久我山高戦も、後半アディショナルタイムの決勝点で1-0と劇的な勝利。父と妹はスタンドで、母は自宅のテレビの前で2つの白星を見届ける。次の相手は高校年代最強の呼び声高い青森山田高。3年間の集大成をぶつける舞台がやってくる。

 今でもそのシーンは思い出すという。1月5日。高校選手権準々決勝。「自分の判断ミスというか、クリアミスもあって、キーパーとしっかりコミュニケーションが取れていれば、防げた失点じゃないかなとは思います」。0-1とビハインドを追い掛けていた19分。自陣のエリア内で直成が蹴ったボールは相手に渡り、そのままゴールネットへ叩き込まれてしまう。さらに1点を追加され、青森山田が3点のアドバンテージを握って最初の40分間が終了する。

 後半に入ると、昌平の意地と反発力が炸裂する。9分に1点を返し、35分にも1点差に迫るゴールを記録。最強の相手を土俵際まで追い詰めたが、最後はわずかに1点及ばずタイムアップの笛を聞く。「頑張りましたね。よくあそこまで行きました。欲を言えば『もうちょっと先にも行けたんじゃないかな』と思いますけど、高校生活が終わるだけで、まだまだ先がありますからね」。スタンドから息子の雄姿を見つめていた父は、晴れ晴れとした想いの中に身を置いていた。直成と柳澤家の“3年間”は、こうしてフィナーレを迎えた。

「県予選からずっと大変でしたね。全国もさらに大変でしたし、興國、國學院久我山、青森山田と誰もが知っている素晴らしいチームと試合ができたことは、本当に自分の中で一生の宝物です。地元の友達も『応援してるよ』って言ってくれたり、実際に応援しに来てくれたりして、もう思う存分楽しめました」。時折笑顔も浮かべながらミックスゾーンで試合を振り返る直成には、やり切った者だけが味わうことのできる充足感も漂っていた。だが、最後に家族への想いを問われると、一瞬逡巡したような表情を見せながら、ようやく絞り出した声がだんだん続かなくなっていく。

 この3年間の、いや、それよりもっと以前からの日々を思い出すと、もう涙をこらえることはできなかった。「母は自分よりも1時間ぐらい早く、4時半ぐらいに起きながら毎日弁当を作ってくれて、この会場には来れませんでしたけど、テレビの前で応援してくれたと思いますし、妹はみんなのためにご飯を作ってくれたりして、本当に素晴らしい妹ですし、お父さんもこの大会期間中も毎日LINEで声を掛けてくれたり、自分に期待してくれていたので、本当に大好きな家族の目の前で、全力で戦えて良かったです」。母に、父に、妹に、家族に早く会いたかった。

 ようやく家に着き、部屋のドアを開けると、そこにはいつもの笑顔が待っていた。この3年間の、いや、今までのすべてにありったけの感謝を伝えようと思っていたが、先に言葉が溢れたのは母の方だった。「一目散に駆け寄りましたね。そこで『よく頑張ったね』ということと、『自慢の息子だ』ということを言ってくれて。その後で『3年間、毎日本当にありがとう』としっかり言葉で伝えました」。直成の想いはもう、十分過ぎるほどに伝わっていた。それはスタジアムで自分の姿を見て欲しかったけれど、その言葉は胸に、そっとしまった。

「山田戦が終わって、電話したら妻は号泣していました。また直成が凄い泣きっぷりでテレビに映っていましたからね。ちょっと時間を置いて電話したら、録画したのを見てまた泣いているという(笑)」。父の自然な軽やかさは、家族を良い意味で力強く支えている。そんな彼は“娘”への感謝をこう語る。「この1か月、本当に妻の調子が悪かった時の、娘の働きには感謝していますね。普段そんなに積極的に料理をする子でもなかったんですけど、『その気になればそんなにできるのね』『こんなことまでちゃんとできるんだ』みたいな」。息子と同様に、しっかり成長している娘の姿がたまらなく嬉しかった。

 ふと、父があることを教えてくれた。「アイツ、最近『昌平のマネージャーになる』とか言い出してるんだよあ」。直成がその言葉を引き取る。「なんか妹が自分の代のマネージャーと仲良くなって、『待ってるよ』とか言われたみたいで。そう言えばついに『選手権の決勝見に行こう』って言われたので、たぶん行くと思います(笑)」。どうやら柳澤家と昌平高校の“縁”には、もう少し続きがありそうだ。

 母の体調はだいぶ回復し、少しずつ柳澤家には日常が戻って来つつある。「ちょっと前に妻と話していて、『直成はプレーなら首を振って周りを見てとかできているのに、普段の生活でできないね』って。だから、『サッカーでできているんだから、普段の生活でもできるだろ』って。そういう言い方に変えようって(笑)」。父の投げた直球に、直成は苦笑するしかない。「最近言われました。『ピッチでできるなら、家でもやれよ』って(笑) でも、『ピッチと普段は繋がるよ』とか言われますけど、どうなんですかね(笑)」。

 妹は来年に高校受験が控えている。直成は大学でもサッカー部に入るつもりだという。そして、父と母には子供の成長を見守りつつ、大好きなJリーグのチームを応援する日々が待っている。確かにこの3年間は特別なようでいて、これからも続いていく毎日の中の一コマであったとも言えるだろう。ただ、彼らは毎日の中の一コマが持つ幸せの意味を、強く強く実感している。「まだまだこれからですよ。いろいろなことがありますからね」。父の言葉は、家族のみんなが抱えている想いを過不足なく表現していた気がした。

 父、母、妹、そして直成。柳澤家にとってこの3年間は、最高の“日常”だったのかもしれない。それゆえに、きっとこの先にはまだまだ新たな“家族の日常”が、優しく柔らかく、彼らを包んでいくことを願ってやまない。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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●【特設】高校選手権2019
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