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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:Giant Step(FC東京U-18・青木友佑)

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FC東京U-18のFW青木友佑は9か月ぶりとなる復帰戦でゴール

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 その軌道がゴールネットへと突き刺さった時。どれだけの人が彼の過ごしてきたこの1年近い日々に、想いを至らせただろうか。「『青木友佑、戻ってきたんだよ』って。『今まで応援してきてくれてありがとうございます』っていう想いを、結果で見せられたんじゃないかなって。本当に仲間のために、みんなのために決められたゴールだったかなと思います」。まだその一歩は再び踏み出したばかりの小さな一歩かもしれない。だが、青木友佑にとってその一歩は、大切な人たちへの感謝に彩られた、大きな、大きな一歩でもある。

 2月11日。東京都クラブユースサッカー(U-17)選手権大会3位決定戦。FC東京U-18が3-0とリードしていた後半36分。ピッチサイドにとうとう18番が姿を現す。「後半が始まって、どんどん時間が迫ってきて、試合に出る時には結構バクバクしてきていて。緊張しましたね」。ちょうど9か月ぶりの公式戦。白いユニフォームを纏った青木友佑が、西が丘の芝生へ駆け出していく。

 2018年。既に3月の時点でサニックス杯の遠征メンバーに選ばれ、高円宮杯プレミアリーグEASTの開幕戦でも途中出場を果たすなど、1年生ながら大きな期待を背負ってFC東京U-18に加わった青木。早くも第8節の市立船橋高戦では劇的な同点弾を叩き出し、リーグ戦初ゴールを記録。9月にはU-16日本代表の一員としてアジアの戦いに挑み、翌年のFIFA U-17ワールドカップの出場権も獲得してみせる。

 チームこそプリンスリーグ降格の憂き目を見たものの、個人としては上々の1年目を過ごし、さらなる飛躍を誰もが予感した中で迎えた2019年。新チームの立ち上げに当たる東京都クラブユースサッカー(U-17)選手権大会の初戦でも、1点ビハインドの後半開始から投入されると同点ゴールを奪い、チームも逆転勝利。幸先の良いスタートを切ったように見えたが、以降のメンバーリストから青木の名前は突然消えた。

「2月ぐらいからは試合にも出ていなかったですね。右ヒザの後十字靭帯が損傷していて…」。決して軽くはない負傷の影響で、チームの骨格を形成する大事なプレシーズンの時期に2か月近い離脱を余儀なくされる。

 それでも、復帰戦となったプリンスリーグ関東第3節の桐生一高戦ではいきなりゴールという形で復活をアピール。ダービーとなった第6節の東京ヴェルディユース戦でも唯一の得点に絡むなど、改めて自身の存在を強く印象付けていた矢先に、ある日のトレーニングでその出来事は起きてしまった。

「元々ジュニアユースの時に半月板は傷めていたみたいなんですけど、無理なターンをしてパスを出した時にパキッて完全に割れた感じになったんです」。FC東京の育成部でトレーナーを務める山本良一はそう説明する。診断結果は左ヒザ半月板損傷。重傷だった。

「トップチームのドクターに見てもらって、病院にも行ったりして『手術した方がいい』と言われました」と明かすのは青木。「あのケガの状況ではプレーするのは難しかったので、手術という選択肢の中で、やっぱり最近だと若い選手は“縫合”すると。ただ、『縫合すると復帰に半年は掛かる』ことと、『そこでしっかりやれればまたちゃんと帰ってこれるよ』ということは親と本人に話をしました」と山本も当時を振り返る。

 16歳の心は揺れる。「ヒザを手術することがあまり良くないということは誰でもわかると思いますし、『手術したらワールドカップには間に合わないだろうな』とは思っていて。やっぱりワールドカップには本当に出たかったですから」。自分の今を想って悩む。自分の未来を想って悩む。
 
 最後は自ら結論を出した。「ヒザが痛い状況でプレーできるかと言われたら、100パーセントでできないし、今はまだそこ(U-17ワールドカップ)じゃないかなって。将来を考えた時に、『今はやっぱり足を治すことが優先だな』ということで、“そこ”は自分の頭の中から切り捨てて、手術を決めました」。6月3日。トップチームのドクターが執刀し、左ヒザの手術を受ける。ここから青木の長いリハビリ生活が幕を開けた。

「本当に手術するってなった時は心が折れましたね」。先の見えない日々に不安が募る。「自分の中で『またサッカーできるのかな』っていう不安な気持ちになったり、『もうやめた方がいいのかな』とか、そういうことも考えちゃった時もありました。『サッカーから離れた方がいいのかな』とか」。

 そんな時期にありがたかったのは高校のクラスメートの存在だ。サッカーとは関係のない仲間が、サッカーとは関係のない所で、自分に寄り添い、気遣ってくれる優しさが嬉しかった。あるいはずっとサッカーに生きてきたからこそ、改めてその“世界の外”の意味を実感し直す時間を持つことができたのかもしれない。

 とはいえ、やはり青木にはサッカーのある日常がよく似合う。共にU-16日本代表としてアジア制覇を勝ち獲り、FC東京U-18でもチームメイトの角昂志郎は、笑いながらその頃を思い出す。「リハビリをやっている時も我慢できずにボールを蹴って、それでトレーナーに怒られていましたけど(笑)、そのくらいサッカーが大好きだということは感じていました」。本人もそのことは覚えていた。「みんなの試合とか見ているとうずうずしてきて、ボールに触っちゃって怒られたりしましたね(笑)」。

 改めてサポーターに対する感謝の念を強く感じたのもこの頃だという。「今までもゴールを決めたら、サポーターの方から『友佑おめでとう!』とかたくさんツイートしてもらったり、声を掛けてもらったりしたんですけど、初めてこんなに大きなケガをして、試合にも出れずにビデオを撮ったりしていた時にも、挨拶するとしっかりいろいろな言葉を返してくれて、そのサポーターの方々の声は本当に自分の支えでしたね。どこにでも駆け付けてくれて、旗を振って応援してくれて、本当に物凄いサポーターの方たちだなって、本当に感謝しています」。

 周囲の支えもあり、先を見据えながら少しずつ前進していく。ところが、復帰を目前に控えた11月。またも左ヒザが暴れ出す。「あとちょっとで復帰という時に痛みが結構強くて。『もしかしたら再発しているのかもしれない』と。その中でオペという選択、再手術という話も出て、本人と話して『どうしよう』と」。山本の言葉を青木も引き取る。「ヒザの炎症が結構続いていて、トレーナーに鍼を打ってもらったり、注射したりとかいろいろ試したんですけど。なかなか治らなくて、『どうしたらいいんだろう』って」。試練は続く。

 状況が好転したのは2020年に入ってから。年末から短いオフを取ったこともあって、炎症が収まってきたのだ。「意外と落ち着いてきたので、『これだったらオペしないで行った方がいいんじゃないか』と」(山本)「落ち着かなかったらもう1回手術しようということだったので、あそこで落ち着いてくれたので良かったです」(青木)。オフが明けると、慎重にトレーニングを重ねていく。部分合流から全体合流へ。少しずつ、少しずつ、復帰の青写真のピントが合っていく。

 2月2日。ヴェルディとの東京ダービーに引き分けたゲーム後。その日のメンバーには入っていなかった青木がそっと教えてくれた。「たぶん次の試合は10分くらい出られるかもしれないです」。短いフレーズからも自身への大きな期待と、少しの不安が伝わってきた。ようやく青木が試合のピッチに帰ってくる。

 トレーニングからはやる気持ちを抑え切れない。「もうメチャメチャワクワクしていたというか、本当に試合が楽しみだったので、練習でも元気にやったり、1個1個の球際とかも強く行って、アピールし続けていました」。そんな青木を思い出しながら笑うのは、FC東京U-18を率いる中村忠監督だ。「今週1週間は凄く頑張っていたんですけど、もう昨日も鼻息荒く練習をやっていたので、なんか危なっかしくて『明日10分は出してやるから』って。『今日の練習で頑張っても頑張らなくても10分は時間与えるから』っていう話をして(笑)」。その陰にはトレーナーの山本の進言があった。「忠さんには『まずは10分、MAXで15分ぐらいで行ってくださいね』というふうに話しました」。舞台は整った。特別な瞬間はもうすぐそこまで迫っている。

 2月11日。東京都クラブユースサッカー(U-17)選手権大会。FC町田ゼルビアユースとの3位決定戦。試合前に配られたメンバーリスト。青木の名前の横に書かれた“サブ”の欄に〇が付いている。最後に出場した公式戦はホームでヴェルディと戦ったプリンスの東京ダービー。その日からはちょうど9か月もの月日が経っていた。

「会場に来た時はあんまりだったんですけど、アップの時にピッチでボールを蹴った時ぐらいからちょっとずつ緊張してきました」。何度も立っている西が丘の芝生が、青木の緊張感と高揚感を包み込む。以前はそこまで気にしたことのなかったユニフォームの重みも実感する。自分がピッチに立っているシーンをイメージしながら、キックオフの瞬間をベンチで迎える。

 山本はプロの予備軍を預かるトレーナーだ。ゆえに要求も当然高くなる。青木のリハビリ時のメンタルについて尋ねても、「そこはもうメンタルがどうこうというより、やるかやらないかなので、『プロになりたいんでしょ?だったら、今何するの?』と。復帰したいなら悲観している場合じゃないのは本人もわかっていたと思うんですけど、僕はそこまで優しくはないので(笑)、そこはシビアに接していました」と語る一方で、「浮き沈みはありましたけど、それでも復帰するという目標が彼の中では強かったので、本当に前向きに頑張ってくれましたね」とも口にした言葉に、2人の重ねた時間の長さが滲んだ。

 FC東京U-18が3-0とリードしていた後半36分。ピッチサイドにとうとう18番が姿を現す。「後半が始まって、どんどん時間が迫ってきて、試合に出る時には結構バクバクしてきていて。緊張しましたね」。ちょうど9か月ぶりの公式戦。白いユニフォームを纏った青木友佑が、西が丘の芝生へ駆け出していく。

「やっぱり今まで本当にいろいろな人が支えてくれて、『復帰できるのかな』という想いもあったんですけど、トレーナーや親、学校の友達、チームメイト、サポーターの方がたくさん声を掛けてくれたので、しっかり見ている人の心に残るようなゴールを決めたかったし、決められなくても全力で最後までやり切ろうと思ってピッチに入りました」。その想いは、最高の形で表現される。

 投入から3分後の後半39分。右サイドで高橋安里が浮き球を前方に送ると、青木が落下地点に走り込む。「『どうしようかな』という気持ちは一瞬頭をよぎったんですけど、もう自分の右足を信じて振り抜きました」。ペナルティエリアの外からダイレクトで撃ち抜かれたボールは、美しい軌道を描きながら左スミのゴールネットへ突き刺さる。例えるならマルコ・ファン・バステンが西が丘に降臨したかのようなスーペルゴラッソ。チームメイトが全速力で青木の元へ駆け寄る。

「シュート練習とか、キックの所で言えばウチの中でナンバーワンなので、その良い部分が出ましたね」(中村監督)「彼は特別な想いでこの試合に臨んでいたと思うので、そのゴールを決めた時に同じピッチにいたのは非常に嬉しいです。もう友佑らしいゴールで、『やっぱり友佑凄いな』って」(角)「『ああ、入ったな』って(笑) 嬉しかったですけど、アイツが頑張ってきたことがここに繋がったかなと。他の選手たちも待っていた所があったと思うので、みんな嬉しかったと思いますよ」(山本)。

「もう、本当に最高でした。決めれて本当にメチャメチャ嬉しかったし、もう…、本当に嬉しかったです。とりあえず。本当に。メチャメチャ嬉しかったです」。努力は必ず報われるなんて、残念ながらそうとも言い切れないことは、サッカーの世界に生きている者なら誰もが十分に理解している。でも、青木の努力は結果という形でまずは証明された。これまで彼が幾度となく重ねてきた、そしてこれから幾度となく重ねていくであろうゴールの中でも、この日のそれはきっと心の中で常に輝き続ける1つになるはずだ。

 試合後。山本はある人にLINEをしたという。「今日はこの後にACLがあるので、そちらへ帯同しているトップチームのドクターに友佑の復帰とゴールを報告しました。喜んでくれていましたね」。そう言いながらも、トレーナーとしての顔もしっかり覗かせる。「いつも言うんですけど、頑張るのは当然なので、あとはその頑張り方とどうなりたいのか、です。やっぱりプロという所を考えてやって欲しい気持ちはありますね。まだまだ足りないですよ」。青木が周囲の大人に恵まれていることも、また間違いのない所だろう。

 手術をする前とした後では、サッカーに対する意識も大きく変わったようだ。「ケガする前はケアとかをちゃんとやっていなかったし、まだちょっとサッカーのことをナメていたのかなって。だけど、このケガをして、今までコーチが言っていたことをしっかり受け入れるようになれて、本当にサッカーをナメちゃいけないなと。その場で言われると、つい反抗しちゃったり、聞き流したりしていたんですけど、この経験ができたことで、やっぱりもっとコーチたちの言葉を聞いていれば良かったかなと思えたので、しっかり聞く耳を持ちたいと思います(笑)」。

 高校生で経験したこの1年間が、長く苦しいものだったことは言うまでもない。けれども、この1年間があったからこそ、自分を支えてくれる人たちのありがたさに改めて気付くことができた。サッカーがあっても、サッカーがなくても、自分は自分だと改めて気付かせてもらうことができた。その上で、自らの感謝の想いを最も表現できる手段がサッカーだということも、改めて実感している。だからこそ、少しずつ、じっくりと、時間を掛けて恩を返していけばいい。だってこの日のゴールのように、一瞬で多くの人を笑顔にできる才能に恵まれているのだから。

 その軌道がゴールネットへと突き刺さった時。どれだけの人が彼の過ごしてきたこの1年近い日々に、想いを至らせただろうか。「『青木友佑、戻ってきたんだよ』って。『今まで応援してきてくれてありがとうございます』っていう想いを、結果で見せられたんじゃないかなって。本当に仲間のために、みんなのために決められたゴールだったかなと思います」。まだその一歩は再び踏み出したばかりの小さな一歩かもしれない。だが、青木友佑にとってその一歩は、大切な人たちへの感謝に彩られた、大きな、大きな一歩でもある。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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